車に押し込まれた楓は、ハンカチのような物を口に当てられる。
ツンとする臭いがしたと思うとその場で意識を失った。
次に目を覚ました時、楓は見覚えのない部屋のベッドの上にいた。
すぐに起き上がろうとしたが両手を頭の上で拘束されていて身動きが取れなかった。
横になったまま室内を見回すと、ここは誰かの寝室のようだ。
クイーンサイズのベッドが部屋の中央に鎮座し、西洋風の高級感溢れる家具や調度品が壁際に並んでいた。
そして楓が寝ているベッドにも高級そうなシルクのベッドカバーが掛けられている。しかしその安っぽいショッキングブルーの色合いは、場末のラブホテルのように品がない。
その時突然ドアが開いて一人の男が入って来た。
金髪にソフトモヒカンスタイルの男は、ガッチリとはしているが少し小太りの体格で黒のシルクのガウンを着ている。
肌は真っ黒に日焼けし、その肌の上で金色のアクセサリーが光っている。
(誰?)
楓がそう思っていると、男が口を開いた。
「ホーッ、君が渚ちゃんかぁ。見たよぉ君のデビュー動画! アレすっごく良かったのになんで引退しちゃったのー?」
男はニヤニヤと笑いながら近付いてくる。
楓は男をキッと睨み返した。
「いいねぇ~挑発的なその顔! そういうのにそそられるんだぁ~」
男がベッドに腰かけると、重みでマットレスがギシッと沈み込む。
男は身動きの取れない楓を見下ろしながら、今度は威圧するように言った。
「俺が誰だかわかるかぁ?」
「…………」
「俺はなぁ、梅島会の時期組長、梅島龍平だ! 覚えておけよ!」
「…………」
楓は何も言わずに龍平を睨み続けている。
そんな楓を見て龍平が言った。
「ほほぅ、渚は結構根性があるみたいだなぁ。さすがあの東条一樹が見込んだ女だけある。それに顔も身体もかなりの上物じゃあないか。……ったく東条め、一人だけいい思いをしやがって」
龍平は今度は屈み込むと楓の耳元でこう囁いた。
「今日は俺がなぁ、東条よりもいーっぱいお前を感じさせてやるからな。お前はもう二度と俺から離れられない身体に生まれ変わるんだ……覚悟しておけよ」
龍平はニヤッと笑うと楓の首筋に唇を這わせる。
そのぬめっとした感触に思わず鳥肌が立った。
(嫌よっ……絶対に嫌っ……助けて……誰か助けてっ!!!)
楓は身体をよじって必死に龍平の舌から逃れようとするが、きつく手を縛られていて身動きが取れない。
そんな子ウサギのように怯える楓に刺激されたのか、龍平は一度ベッドを降りると黒いガウンを脱ぎ捨てた。
その瞬間、楓の目には鮮やかな梅の花と二羽のメジロの刺青が飛び込んできた。
楓は呆然とその刺青を見つめる。
(ほ、本物のヤクザなんだわ……どうしよう……もう逃げられない……助けて……)
絶望感に襲われた楓の目には涙が溢れてくる。
しかしそんな楓にはお構いなしに、龍平はブリーフ一枚のままチェストの傍まで行くと引き出しから何かを取り出す。
そしてごそごそと何かの準備を始めた。
龍平の背中越しにチラリと注射針が見えたので、楓はギョッとした。
(覚醒剤? 私に打つつもり?)
楓が恐怖に怯えていると、龍平はその注射器を持って戻って来た。
そして注射器を一度ナイトテーブルの上に置く。
楓が恐怖のあまり注射器をじっと見つめて震えていると、龍平が笑いながら言った。
「いきなり打ちゃしねーよ。最初はまず素のままで俺の最高のテクニックを堪能してもらわないとなぁ……」
そして龍平はいきなり唇を近付けて来た。
楓は顔を左右に振ってなんとか逃れようとするが、とうとう龍平の手で顔を抑えられて唇を奪われる。
そしてキスをしながら龍平は両手で服の上から楓の胸や太腿をまさぐり始めた。
その時、楓はあのおぞましいAV動画の撮影現場を思い出す。
「い……嫌っ……た、助けてっ……誰かっ、誰か助けて……」
しかし辺りはシーンと静まり返っている。それはこの建物が男が牛耳っているテリトリーだという事を物語っていた。
だから楓が大声を出しても誰も助けには来ない。
それに気付いた楓は深い絶望感に襲われていたが、それでも抵抗はやめなかった。
「やっ、やめて下さいっ……お願い……」
「おーいいねぇ、その懇願するような表情がたまらないなぁ。まるであの動画そのものだな」
龍平はニヤニヤしながらごくりと唾をのみ込むと、今度は楓の首筋に舌を這わせる。
そのおぞましい感触に、楓は吐き気がこみ上げてくる。
「や…やめて……た、助けてっ……社長……助けに来て……社長………」
楓は無意識に一樹に助けを求めていた。
その言葉を聞き、龍平はクックッと笑い始める。
「渚ちゃんは東条の事を社長って呼んでるのか? ハハッ、まさか社長呼びとはなぁ。もしかしてあいつと会社で職場プレイでも楽しんでいるんじゃぁねぇのか? だったら俺にもやらせろよー」
更に興奮した龍平は、楓が着ていたセーターを一気に捲り上げる。
そして手荒にブラジャーのホックを外すと、いきなり楓の乳房を揉みしだき片方の乳首に吸い付いた。
「い、いやっ、やめてっ…………」
楓はなんとか魔の手から逃れようと必死に身体をよじるが、力のある男には叶わない。
露わになった乳房を男に自由に弄ばれながら、楓の脳裏にはある情景が浮かんでいた。
それは夜空に三日月が浮かぶ景色だった。
両親が亡くなってすぐに施設へ入所した楓は、淋しくなると空に浮かぶ三日月を眺めて心を癒していた。
小さな楓には、その三日月はまるで夜空の大海原に浮かぶ船のように見えた。
(あの船に乗ったら、お父さんとお母さんに会いに行けるのよね?)
そう信じていつも三日月を見上げていた。
それからは、嫌な事や辛い事があるといつも月を眺めた。あの三日月の船に乗って遠くへ逃げれば、目の前の苦しみからは一気に解放される……そう思う事によりなんとか心の平穏を保ってきた。
楓にとって三日月は癒しそのものだった。
三日月の船が行きつく先には穏やかで平和な世界が待っている……楓は今でもそう信じていた。
その時、楓の脳裏にふとよこしまな考えが浮かぶ。
(死ねばこの苦しみから解放されるのかな? 生きていてもこんな事ばっかり……だったらここで終わらせるのも手かも……)
そこで楓は以前聞いた話を思い出す。舌を自分の歯で噛み切れば死ねるという事を。
(こんなケダモノに抱かれるなんて絶対に嫌。ねぇ、お父さん、お母さん、私もう疲れちゃったよ……だから私ももうそっちに行ってもいいでしょう?)
楓は心の中でそう語りかけると、意を決して舌を上下の歯で挟み込む。
そして歯にグッと力を入れようとした瞬間、楓の耳に一樹の声が聞こえたような気がした。
『俺は楓を生涯大切にするし命をかけて守るから』
その声が空耳だとわかった瞬間、楓の瞳にとめどなく涙が溢れた。
(社長の嘘つき……やっぱり助けになんて来てくれないじゃない……)
その時、楓の頭には一樹と過ごした日々が走馬灯のようによみがえる。
楓の料理を美味しいと言って嬉しそう食べる一樹の笑顔、社内で楓の近くを通りかかった時に優しく微笑みかける一樹の笑顔、車のハンドルを握る一樹の横顔、そして何よりも一番印象に残っているのは、毎朝起きた時に間近で見る一樹の安らかな寝顔……。楓にとっては全てかけがえのない愛しい時間だった。
(社長は絶望の淵にいる私を救ってくれただけじゃない……社長はいつも優しくしてくれて平穏な日々を私に与えてくれた……だから感謝してもしきれない。あの平穏な毎日が本当の幸せだったのかもしれない……私に幸せの本当の意味を教えてくれたのは社長だったのね……)
そして楓は死ぬ前にもう一度一樹の顔を思い浮かべようとそっと目を閉じた。
その頃、一樹は車で都内の梅島会東京本部へ向かっていた。
(楓、今助けに行くからな……俺は絶対にお前を守る……)
一樹の車は円城寺一家の車列約二十台を率いていた。
そして一樹の車の前には、愛宮署の瀬尾が率いるパトカーや覆面パトカー、それに機動隊の車列が続いていた。
その車の数は相当数に上る。
けたたましいサイレン音と物々しい雰囲気に、道行く人々は一斉に道を開けその車列を不安そうに見つめていた。
先頭の覆面パトカーに乗っていた瀬尾謙一郎は、逸る気持ちを抑えながらその時を待っていた。
「待ってろよぉ~、梅島龍平のクソ野郎! 俺の手でお前を未来永劫ムショの中に封じ込めてやる!」
まるで念仏のように唱え続ける瀬尾の手には、梅島龍平に対する逮捕状が握られていた。
その罪状は膨大な数に上る。
ざっと見ただけでも、インサイダー取引規制違反、わいせつ目的誘拐罪、覚醒剤取締法違反、不同意わいせつ罪、殺人罪、脅迫罪、保険金殺人罪等、その他にもあらゆる種類の罪状が並んでいた。
瀬尾はこれまでの長い年月、証拠集めに奔走していた。そして今夜その血のにじむような努力が実を結ぶのだ。
一方、梅島会東京本部にいる楓はグッと歯に力を込めようとしていた。
しかし突然けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。サイレンはパトカーのようだ。
サイレンの音はどんどん大きくなり、楓がいる場所へ徐々に近付いて来るのがわかった。
異変に気付いた龍平は、一旦身体を起こすとベッドを下りて窓辺へ向かう。そしてカーテンを少し開けて外を覗き込むが、外は真っ暗で何も見えない。
「ん? 何かあったのか?」
龍平は床に落ちていた黒いガウンを羽織ると楓に言った。
「ちょっと様子を見て来るからそこでおとなしくしてろよ」
そして龍平は部屋を出て行った。
死ぬ覚悟をしていた楓は、ホッとして身体中からフーッと力が抜ける。
しかしすぐにハッとすると、なんとかここから逃げようと必死に手元の縄を解こうとした。
その時、廊下の先でバタバタと人の動きが激しくなる音が聞こえた。やがて怒号が飛び交う。
何と言っているのかわからなかったが、その物々しい雰囲気からはかなり緊迫した様子が伝わってきた。
その時パトカーのサイレンの音が最大限になったかと思うと突然ピタリとやんだ。
パトカーは楓がいる建物の前で停まったようだ。
(警察が来たの? 助けに来てくれたの?)
楓は必死にロープを解こうとする。しかしなかなか解けない。
建物内では更に激しい怒号が飛び交い、その後梅島組の組員達が外へ飛び出して行く音が聞こえた。
窓の向こうからもその様子が伝わってきた。
組員達が外に出ると、パトカーの方から拡声器を使って誰かが叫んでいる。
しかし外にいる組員達からはいっそう激しい怒号が飛び交い、それを抑える為に拡声器からも大声が飛んできた。
そんな騒動の中、突然、
パーンッ
という乾いた音が響いた。
(えっ?)
楓の頭は真白になる。
しかしその後すぐに、
パーンッ パーンッ
同じ様に乾いた音が二度続いた。
その瞬間警察官達が一斉に敷地内に踏み込んだのだろう。外では怒号のような大声が響き渡り、辺りは騒然とした雰囲気に包まれる。
そこでまた拡声器から大きな声が響いた。
「手を上げろっ! 周りは既に包囲されている。おとなしく降伏しなさい!」
その瞬間辺りがシーンと静まり返った。
それと同時に誰かが叫んだ。
「救急車! 早く救急車を呼べーっ!」
(えっ?)
楓はパニックになる。
(しゃ、社長は無事よね? うん、無事に決まってるわ。きっとすぐに助けに来てくれるはず)
楓は泣き笑いの状態で必死に縄を解こうとする。
その後5分ほどして救急車のサイレンの音が近付いてきた。救急車は建物の前でピタリと停まった。
「誰が撃たれたの? 誰が撃たれたのよーっ!」
楓は半泣きの状態で大声で叫んだ。
その時突然部屋の扉がバンッと開いた。
楓がびっくりしてドアの方を見ると、そこには知らない男が立っていた。
男は手に銃を持っている。男は刑事の瀬尾だった。
部屋に楓がいるのを見た瀬尾は、すぐに廊下に向かって叫んだ。
「いたぞーっ! こっちだ!」
「瀬尾さんっ! 楓さんは?」
「無事だ。良かった、間に合った」
瀬尾の後からヤスが凄い勢いで飛び込んで来た。更にその後から兄の良が青ざめた表情で入って来る。
「楓さんっ! ああっ、こんなひどい目に合って……可哀想に……」
「楓っ! 大丈夫かっ! ああ、なんでこんな事に……」
そこで良とヤスが楓の手の縄を解いてくれた。
「大丈夫か? 奴に何かされたのか?」
「ううん、大丈夫。それよりも社長は? 社長はどこっ?」
楓は必死に廊下の方を見つめながら聞いた。
しかしその質問に良とヤスは顔を見合わせるだけで何も答えない。
「ねぇっ! お兄ちゃんっ! 社長はっ? 社長はどこなのっ?」
そこで良が苦しそうな表情で言った。
「楓、ごめん……俺のせいで……」
「えっ? どういう事? ねぇお兄ちゃんっ、社長はどこなのっ? 社長はどこにいるのっ?」
楓は半泣きの状態で必死に訴えかけたが、二人はただ悲痛な表情でうつむくだけだった。
コメント
101件
楓ちゃん、助かって良かった....😢でも一樹さんが....!😱どうかお願い、助かって!!!😭
じっくり読み返しまして…またコメントさせてくださいm(_ _)m🌙 愛宮署の瀬尾さんもありがとう!!
楓ちゃん〜無事で良かったぁ 間に合って良かったです。一安心😮💨間に合わないのかと思ってしまった😅でも、一樹さんは、大丈夫なのかなぁ😢 明日は、仕事中に読みだと思うと やばいですね。携帯が気になってしまう。 幸せになって欲しい。楓ちゃん🫶