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#追放
第156話 観測の穴
【重なった中枢】
カシウスが半歩だけ後ろへ下がった。
その足が止まった場所は、石の魔術紋と白い制御線が、
もっとも濃く重なっている中心だった。
ただ立っただけではない。
そこに“合わせた”のだと、ハレルにも分かった。
カシウスは床を見下ろし、静かに言う。
「君たちは、“顔”と“中身”を分けたい」
「なら、それがどれほど脆いか、ここで確かめればいい」
次の瞬間、床の白い線と石の魔術紋が一斉に明滅した。
石の塔の力。
現実側の処理線。
その両方が中心へ集まり、円の真ん中の空気を無理やり引き裂く。
それは、観測の穴だった。
最初は細いひびのように見えた。
だが、ひびではない。
黒い空間に穴が開いたわけでもない。
そこだけ“現実の輪郭”がなくなり、
代わりに白い数字と黒い煤が渦を巻き始めたのだ。
サキのスマホが激しく震える。
《CORE INTERFERENCE》
《OBSERVATION SHIFT》
《LOCK LOST》
「……何これ」
サキが息を呑む。
セラがすぐに答えた。
「観測の境目を、意図的に剥がしています」
「この部屋に溜まっていた“役割”だけを、外へ引きずり出してる」
ハレルは眉を寄せる。
意味はすぐには飲み込めない。
だが、カシウスが何をしようとしているかは分かった。
――この部屋に溜まった“人の顔”や“役割”を、敵として使うつもりだ。
カシウスは、全員の理解を待つようにゆっくり言う。
「警官、社員、教師、兵士、術師」
「人は中身より先に、役割で相手を判断する」
「だから、その“役割だけ”で十分なんだ」
つまり狙いは明確だった。
「本物の人間に見える敵を出す」
「こちらに一瞬ためらわせる」
「顔と中身を見分けられるか試す」
「その間に、この重なった中枢をさらに不安定にする」
ハレルの背中に冷たいものが走る。
カシウスはただ敵を出したいのではない。
こちらが“人を傷つけたくない”ことまで計算して、ためらいを武器にしている。
「……最悪だ」
ヴェルニが低く言う。
「最悪だから効く」
カシウスは静かに返した。
【観測の穴】
穴の縁から、何かが這い出てきた。
最初は、黒い煤と白い数字の塊だった。
人の形ですらない。
湯気のように揺れながら、床の上に積もる。
だが次の瞬間、その表面に“顔”が貼りついた。
警官の帽子。
社員証を下げたスーツ姿。
教師のジャケット。
王都の兵士の鎧。
駅員の制服。
術師の外套。
それは本物の人間が出てきたように見える。
けれど、よく見るとおかしい。
顔はある。
服もある。
だが、目の奥が空だ。
皮膚の下に肉がない。
制服の中身が、白い数字と黒い煤でできた空洞に見える。
誰にでも分かるほどはっきり言えば、
人の顔をした“中身のない殻”だった。
「うわ……」
サキが小さく声を漏らす。
それらは一体ずつきれいに出てくるわけではない。
途中で混ざる。
警官の制服に、教師の顔。
兵士の鎧に、会社員の名札。
駅員の声で、王都の術師みたいな動き。
“役割”だけを引っ張り出しているから、
途中から組み合わせまで崩れ始めているのだ。
カシウスがそれを見て、わずかに目を細める。
「ほら」
「君たちが信じていた輪郭なんて、その程度だ」
【重なった中枢/異世界側】
最初に動いたのは、兵士の鎧を着た殻だった。
だが顔は兵士ではない。
王都の術師の顔に似ている。
そのくせ、動きは槍兵の突進だ。
アデルが即座に前へ出る。
左腕の副鍵が白く光る。
「〈封界・第二級〉――『止まれ』!」
透明な壁が、殻の突進を正面から受ける。
激しい音。
止まった。
だが次の瞬間、その顔が兵士から教師へ、教師から社員へ、ぬるりと変わる。
「顔が変わる……!」
ハレルが言う。
「顔だけだ!」
アデルが叫ぶ。
「中身は一つ!」
その言葉で、ハレルもようやく敵の見方が分かる。
本物の人間じゃない。
いろんな“役割の表面”を貼り替えているだけだ。
だから見た目に惑わされるな。
その横を、教師の顔をした殻がサキへ一歩で詰めた。
普通に走ったわけではない。
距離だけを縮めたように、急に近くにいた。
「サキ!」
ハレルが反射でサキを引く。
同時に主鍵を前へ出した。
熱が跳ねる。
「――っ!」
術式の名前は出ない。
だが主鍵から白い杭のような光が走り、教師の顔をした殻の胸を刺した。
その瞬間、殻の表面が大きくぶれた。
「効いた!」
サキが叫ぶ。
「芯がある!」
セラが言う。
「顔じゃなくて、中の“固定点”を狙って!」
リオがすでに前へ出ている。
右腕の副鍵が強く光る。
「〈拘圧・第三級〉――『止まれ』!」
空気そのものが殻を掴む。
表面の教師の顔がひしゃげ、中の白い数字と黒い煤の塊がようやく見えた。
「今だ、アデル!」
リオが叫ぶ。
アデルの左腕の副鍵が、それに応じるように光る。
「〈断界・第三級〉――『分けろ』!」
結界の刃ではない。
“顔”と“中身”の間へ差し込むような薄い線が、殻を縦に裂く。
顔の皮が剥がれるみたいに、教師の顔がずるりと落ちた。
その下にあったのは、人間の体ではない。
白い数字と黒い煤が渦巻いているだけの、空っぽの芯だった。
ヴェルニが口元を上げる。
「見えたな」
両手に炎と風が巻く。
「〈爆裂・第四級〉――『砕けろ』!」
今度はただ吹き飛ばすのではない。
剥き出しになった“芯”そのものへ叩き込む。
殻は内側から破裂し、白い数字と黒い煤になって床へ散った。
顔はもう戻らない。
「そういうことかよ」
ヴェルニが笑う。
「見た目を剥がして、中を潰せばいいんだな」
「そうです!」
セラが即座に言う。
「顔を相手にしないでください。
中の固定点だけを見るんです!」
◆ ◆ ◆
【重なった中枢/現実側】
現実側では、もっと厄介だった。
こちらは相手が警官や社員の顔をしていると、一瞬どうしても手が鈍る。
しかもここには、実際に普通の社員もいた。
本物と偽物の見分けを一瞬でつけなければならない。
“若い警官の顔”をした殻が、木崎の目の前へ一歩で詰める。
その動きは人間ではない。
だが顔だけは、本物の警官に見える。
「――っ!」
木崎はカメラを振り、金属の角でその顔面を打った。
顔は揺れる。
だが、中身は手応えがない。
「やっぱり空だ!」
“若い警官”はそのまま木崎を抜いて、日下部へ向かう。
城ヶ峰が横から体をぶつけるように押しずらす。
隊員が強光を当てる。
その瞬間、白い床の上に石の観測環が一拍だけ重なった。
日下部の端末が跳ねた。
《TRIANGULATION》
《KEY REFERENCE DETECTED》
「向こうと同期してる!」
日下部が叫ぶ。
「主鍵と副鍵が揃った瞬間だけ、こっちでも芯が浮く!」
木崎がレンズを向ける。
今度ははっきり見えた。
警官の顔の奥。
胸のあたり。
そこに小さな黒い点がある。
あれが“固定点”だ。
「城ヶ峰!」
木崎が叫ぶ。
「顔の奥、胸の真ん中だ!」
日下部が端末を構える。
「三秒ください!」
「固定します!」
城ヶ峰が隊員へ怒鳴る。
「光を切るな!」
木崎がフラッシュを焚く。
白い閃光で顔の表面が一瞬だけ剥がれ、胸の黒い点が露出する。
日下部がそこへ拘束線を走らせる。
白い線が黒い点へ巻きつき、“若い警官の殻”をその場へ縫い止めた。
「今です!」
隊員が警棒を振り下ろす。
ただ叩くのではない。
固定された“芯”へ正確に打ち込む。
黒い点が砕けた。
次の瞬間、警官の顔も制服も一緒に崩れ、白い数字と黒い煤になって床へ散る。
木崎が荒く息を吐く。
「なるほどな……」
「顔を壊すんじゃなくて、中を潰すのか」
城ヶ峰が短く返す。
「そういうことだ」
【重なった中枢】
観測の穴から、さらに新しい殻が湧く。
今度はもっと分かりやすく混ざっていた。
兵士の鎧に社員証。
教師の顔に警官の帽子。
術師の外套に駅員の手袋。
もう“それらしく見える”ことすら雑になってきている。
カシウスは、それを見ても顔色一つ変えない。
「境界が薄くなれば、当然そうなる」
「役割も、記録も、観測も混ざり始める」
「それが本来の自由だ」
「自由じゃない!」
ハレルが返す。
「中身をぐちゃぐちゃにしてるだけだ!」
セラも、いつもより強い声で言う。
「輪郭が消えるだけです」
その瞬間、観測の穴が大きく脈打った。
部屋全体がずれる。
現実側の白い床が石へ。
異世界側の柱が白い監視卓へ。
一拍だけ、互いの部屋が互いの中へ食い込む。
サキのスマホの画面が真っ赤になる。
《MAIN KEY》
《SUB KEY R / SUB KEY L》
《SYNC CONDITION PARTIAL》
「……両方!」
サキが叫ぶ。
「リオとアデル、両方の副鍵が条件に入ってる!」
セラがすぐ理解する。
「三点です!」
「主鍵一つに、副鍵二つ――この部屋の重なり方そのものを逆に使える!」
ハレルの胸元の主鍵が強く熱を持つ。
リオの右腕の副鍵。
アデルの左腕の副鍵。
三つの光が、中心のずれた床へ向く。
アデルが低く言う。
「ハレル、前へ」
リオも一歩出る。
「来い!」
だがその前に、観測の穴からさらに大きな殻が這い出ようとした。
兵士、警官、教師、術師、社員――
いくつもの役割が一体に貼り付いた、これまでで一番大きな塊だ。
ヴェルニが前へ躍り出る。
「だったら道作る!」
炎と風が両手に巻く。
「〈爆風・第四級〉――『押し返せ!』」
今度は殻そのものではなく、観測の穴の縁を吹き叩いた。
穴が一瞬だけ歪み、湧き出る速度が落ちる。
「今だ!」
ヴェルニが吠える。
ハレルが前へ出る。
リオが右へ。
アデルが左へ。
三つの鍵が、中心を指す。
カシウスはそこで、初めて半歩だけ下がった。
ほんのわずかな距離。
だが、それはこの部屋へ入ってから最初の“間合いの取り直し”だった。
ハレルはそれを見逃さなかった。
怖がったわけではない。
だが、無視できないと思ったのだ。
なら、届く。
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