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森で猫と葉月に出会った日のこと。
ソファーの上に大量に積み上げられた書籍の一部を押しのけて場所を作ると、その窮屈な隙間へと森の魔女は静かに腰掛けた。そして、本の山の一番上の一冊を手に取ってパラパラと捲っていたが、すぐに別の物に持ち換える。
館にある書籍は全て読み終わっている。何度も読み返した物がほとんどなので、表紙を見るだけで内容をスピーチできそうなくらいだった。
ただ本を動かしただけで、周辺に埃が舞い上がる。使用人を追い出してから随分と経つので、ずっと手入れされていない館の中はすっかり荒れていた。広々としたホールは物に溢れていて実際よりも手狭な印象を与える。まともに換気されていない上に、塵と埃が層を成していたので空気もどんよりとしていた。
テーブルの上も同じで、ごちゃごちゃと物が散乱していた。何が入っているのか分からない麻袋や、束になった乾燥薬草、ここにもまた書籍が山を作っていた。それらを無理矢理どけた隙間に置かれた陶のカップには緑と茶色の中間くらいの苦々しい色をした薬草茶。それを一口こくんと飲むと、ベルはふぅっと息を吐いた。
誰にも干渉されず一人だけで過ごしていると、誰かと一緒の時よりも時間が経つのがとてもゆっくりに感じる。この持て余している長い時間を溜まりに溜まった調薬作業に使えば良いのだが、それはまた別の話。部屋の片隅には納品を待ち続けている空瓶の入った木箱がいくつも積み上げられていた。
口寂しくなったのか、テーブルの上の麻袋に手を突っ込んで、中から干し肉の欠片を取り出して口に入れる。よく噛んでから、また薬草茶を飲んで流し込む。
もう一度、ふっと息が漏れた時に、その気配を感じたのだった。
「?!」
全く初めての感覚だった。強くて優しい魔力の塊がすぐそこまで近づいて来ているのが分かった。それが何なのかまでは分からなかったが、居ても立っても居られずにローブを羽織っただけで館から飛び出した。
ただの好奇心とかではなく、まるで何かに導かれていくかように、五感に従って森の中を歩き進んだ。とてもはっきりした存在がそこに居るのが分かるから、迷うことはない。
そして、見つけた。
肩で切り揃えられた黒髪に上下のラフな服装で、なぜか裸足の少女と、初めて見る小さな獣を。
魔獣を焼き消したであろう消し炭を前に、少女は立ち尽くしていた。その足元には白と黒のまだら模様で背に翼のある獣が寄り添うようにいた。強い気配は、翼の生えた獣から出ているようだった。
もっと大きな物が居るのかと思っていたので、正直言って呆気にとられた。枝をかき分けて近寄っていく。少女達からは敵意は微塵も感じられない。
「あら。何かと思ったら……」
この森にいて人と出会うのはいつぶりだろうか。他人に声を掛けるなんて、何年ぶりだろうか。魔獣の住まう森でうろつく人はほとんど居ない。特にこんなに奥まったところに足を踏み入れてくる人なんて皆無だ。
「まぁ。珍しいわね」
純粋に訪問者が嬉しかった。そんな感情が湧いてくるということは、そろそろ一人で籠る生活も限界だったのだろうか。
そして、ふと気付いた。つい先程に目を通していた書籍に、この小さな獣に似た生き物が出てなかっただろうかと。それは専門書でもなければ、獣図鑑的な書物でも無かった。子供にも読み聞かせれるような空想を交えた伝説のような物語。
「この子は……もしかして、猫かしら? 」
他の本でも読んだことはあったし、遥か昔には本当に存在していたとは聞いてはいたが、まさか……。
挿絵でしか見たことが無かったから、こんなに小さな生き物だったとは思わず、驚きを隠せない。これまで見たことがある獣とは違う、足音も立てずに静かに歩き、滑らかに動く様に目が離せない。
「みゃーん」
そうだと言わんばかりに、返事をしてくれた鳴き声にはどう猛さは無い。けれど確かに、館から感じた強い力の発信源はこの子だった。この国において猫は聖獣の扱いをされていて、物語だけじゃなくて経典にもその存在を記されているくらいだ。
「あら。実物を見たのは初めてだけど、猫って人懐っこいのね。この子はあなたの契約獣なのかしら?」
言いながら手を差し出してみると、猫はベルの手に頭を擦り寄せて来た。まるで敵意は無いということを態度で示しているかのように。
そして、葉月と名乗った少女から話を聞いてみると、猫は彼女の契約獣などはなくて家族同然の飼い猫で、彼女たちはとても信頼し合った関係だということが分かった。
「あの……ここって、どこなんですか?」
葉月は自分がいる場所がどこだかを理解していないようだった。まるで気付いた時にはここに居た、とでもいうかのように。
(まさか迷い人、なのかしら?)
国家の歴史上で、どこか遠いところから転移して来た、迷い人と呼ばれる存在がいたということは明らかにされていた。数は少ないのだろうが、史実として記録されている程度はあった。
もし彼女達がそうだとすると、考えられる原因は一つだけ。
「あら。連れて来ちゃったのね?」
「みゃ~ん」
未知なる聖獣の力が関係しているのだろう。ベルの問いかけにも猫はそうだと言いたげに鳴いてみせた。
「仕方ないわね。とりあえず、うちに来るといいわ。それと……私のブーツでサイズ合うと良いんだけれど」
真っ赤に荒れてしまっている葉月の足がとても痛々しかった。館に戻ったら一番に治療してあげないといけないわと、傷薬の置き場所を必死で思い出していた。