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「わたしが課長を好きになるなんて絶対にありません」
「絶対?」
「絶対です…!」
だって…課長みたいな人に、わたしがつりあうわけない…。
「はっきり言うね」
とん、と背中に冷たい感触を感じた。
いつのまにか、反対側の壁に追い込まれていた。
「キミって意外に強情だね。そこも可愛いけれど。その言葉いつまで続けられるかな」
キャメル色の瞳。
形のいい唇。
魅力的過ぎて…身動きがとれない。
あごがくいと上を向かされる。
突き離して逃げたい。でも動けなかった。脳裏にはあのやわらかい唇の感触が残っていて…。
わたし、求めてる…?
もう一回、って…課長のキスを望んでる…?
課長の顔がすぐ近くまで来た。
キャラメル色の瞳しか、視界に入らなくなって…。
チン
そこへ、エレベーターの到着を告げる音が鳴った。
誰か来た…!?
と思った時にはすでに遅く、エレベータの中から背の高い男の人が降りてきた。
こんな朝早くにわたしと課長がいるのを見られたら、絶対に怪しまれる。
もう万事休す―――と思ったら。
「なんだ友樹(ともき)か。いいところを邪魔しやがって」
名前呼び?
うそ…課長と親しい人なの…?
だって、降りてきたの、服部部長ですよ?
「…裕彰?出社二日目から早いな」
どういうことだろう。
服部部長もまた遊佐課長のことを名前呼びした。
そんなおどおどしているわたしの存在に、部長が気づいた。
そして、そのわたしに壁ドンをしている課長とを見くらべて、事態に勘付いたみたいだった。
「おまえ、まさかその子に教えたのか?」
「さっすが友樹、ご名答」
「おまえなぁ…」
部長はため息をついた。
「さんざん秘密を守ってやったのに、配属を変えた早々自分からバラすとは…ほんとにしょうもないやつだな」
「亜海は大丈夫だよ?今だってこうして約束を確認していたんだし」
なんてしれっと言う課長を、心底呆れたと言う表情でにらみつける服部部長。
なんか…部長のこういう顔初めて見たかも。
超有能でいつも隙がないくらいに冷静沈着だから。
「あの…どういう」
「ああ、友樹…服部部長は俺の学生の頃からの腐れ縁でね。秘密を全部知っている数少ないヤツ」
からっと笑顔を浮かべて課長は部長の肩にポンポンと手を置いた。
対して部長はぐったりとしてもう言葉も出ない様子だ。
…なるほど。
社長が当事者として絡んでいるとはいえ、こんなおっきな秘密をよく数年も隠し通せたなと不思議だったけれど…こうして服部部長という協力者がいたからできたことだったんだ。
部長が社員の残業にやたら厳しいのも、このためだったんだ…。
これを逆手に社員の能力アップも図っているところはさすがの一言だけど。
「簡単にばらしたりなんかしてほんとに大丈夫なのか、裕彰」
「ああ、亜海は口が堅いから。なぁ、亜海」
「え、あ…はい」
社を代表する敏腕コンビに見下ろされ、わたしは思わず背筋を正した。
「…このことは絶対に秘密にします、部長」
じゃないとクビは間違いない。
服部部長の影響力はすさまじい。
「そうか。まぁ、こいつが自分で招いたことだし、もう俺としてはどうとでもなれだが」
「うわ、ひど」
眉をしかめる課長の言葉なんか聞こえてないように、部長は続けた。
「ま、こいつもちょっとは大人になる気になったんだろう。こんなヤツだがよろしく頼む」
「は、はい…!」
た、頼まれてしまった。
ということは、こうして秘密を知った部外者はわたしだけってことなのかなぁ。
「じゃあ裕彰…じゃない、遊佐課長。今日から足をひっぱらないようよろしくたのむぞ」
「そっちこそ、あんまし固い頭で俺を困らせないことを祈るよ、服部部長」
売り言葉に買い言葉を交わしながらの握手は力強かった。
部長が営業部のオフィスへと入って行くのを見送りながら、ふたりのやり取りを思い起こした。
腐れ縁、かぁ。
その通りって感じのふたりのやりとりだったな。
課長はいつも以上にくだけた笑顔だったし、部長も鉄仮面な普段では絶対に見せない表情を浮かべていた。
部長はシステムソリューション部門の企画営業。
課長はそのソフトウェア開発を担うプログラマー。
切っても切れない関係。
ふたりの連携が社の躍進の原動力になっているのは誰もが認めることだった。
そんな中にわたしが入るなんて、恐れ多いなぁ。
そうこうしているうちに、もう他の社員が出社して来てもおかしくない時間になっていた。
「じゃ、わたしはこれで」
留まっていたエレベーターに乗り込もうとした。
すると課長が手を取って、わたしを引き戻した。
「待って亜海。さっきの続きがまだだよ」
そして不意打ちに、頬にキスをおとされた。
「じゃ、今夜から待ってるからね」
でも、わたしはもう後戻りできない状況に入りこんでしまったのだった。