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真昼間の公園には、数人の主婦とたくさんのちびっ子たちがいて、何だか居心地が悪かった。
けれど他に行くべき場所も俺にはなくて、変な目で見られながらもベンチに座り続けている。
手には壊れた古い眼鏡があって、どんよりとした気分にため息が漏れた。
まん丸い汚れたレンズに錆びた黄土色のフレーム。その鼻にかける部分の上、ブリッジと呼ばれるところが、ぽっきりと真二つに折れていた。
いや、折れていた、というとどこか他人事のようなので言い直そう。
この俺が折ったのだ。
高校から帰宅して、何も考えずに通学鞄を放り投げた仏間の、その畳の上。
そこには昨年末に亡くなった爺ちゃんの遺品が整理途中のまま投げっぱなしになっていて、運悪く俺の投げた鞄の下に、その爺ちゃんの遺品であるこの眼鏡が転がっていたのである。
畳の上に置いていた婆ちゃんが悪い、と開き直ろうとも思った。俺はいつも通りに鞄を投げただけで、たまたまそんなところに爺ちゃんの眼鏡があっただけの話で、俺は何も悪くないと主張したかった。
けど、そんなことできるはずもなかった。
婆ちゃんは爺ちゃんのことが大好きだった。爺ちゃんが死んだ時だって、まるで婆ちゃんまで死んでしまったみたいに、魂が抜けきったかのように茫然自失としていたくらい、ふさぎ込んでいたからだ。
おまけに爺ちゃんを火葬して以来、婆ちゃんは遺品整理と言いながら日がな一日爺ちゃんの遺品を眺めてばかりいて、なかなか整理は進んでいなかった。
たぶん。爺ちゃんのことが今でも好き過ぎて、捨てるに捨てられないんだと思う。
父さんも母さんも、そんな婆ちゃんにまだ何も言えていない。そのうち言わなきゃな、とは話しているんだけれど、どうしても気が引けて、爺ちゃんが死んでからのこの数か月、誰も言えないままでいた。
この折ってしまった眼鏡は爺ちゃんがずっと愛用していたもので、俺の記憶の中でも爺ちゃんと言えばこの眼鏡のイメージだった。
いつ買ったものかは聞いていないから解らないけれど、婆ちゃんが爺ちゃんの為に選んであげたフレームってことだけは聞いていた。
爺ちゃんも婆ちゃんのことが大好きで、結局死ぬまでこの眼鏡から買い替えるようなこともしなかったのだ。
そんなふたりの大事な眼鏡を折ってしまった俺は、何をどうすればいいのか悩み悩んで、近くの公園でただ無為な時間を過ごしている、というわけだ。
眼鏡屋に持って行けば直してくれるんだろうか?
直してもらうのに、いったいどれくらいのお金と時間がかかるんだろうか?
そもそも直せないと言われたら、果たして婆ちゃんはどんな顔をするんだろうか。
今、婆ちゃんは母さんと一緒に買い出しに出かけているらしい。そう先に帰っていた妹が言っていた。
婆ちゃんが帰ってくる前に、どうにかしないと……
そう思いながら、大きなため息を漏らした時だった。
「お兄さん、どうしたの?」
唐突に横から声がして顔を向けると、いつの間にか小さな女の子が俺の左隣に座っていた。
長い黒髪にキラキラした大きな眼、可愛らしい口元の右下には小さなほくろが見える。白い半袖シャツには『I am Witch.』と手書きのような黒い文字がシンプルにデザインされていて、デニムのスカートから覗く足には黒いロングソックスを履いていた。
「あぁ、いや」
言い淀む俺に、見知らぬ女の子は「ぷぷっ」と噴き出すような笑みを浮かべると、
「もしかして、その眼鏡を壊して困ってるの?」
初めて会う相手に対していきなり小馬鹿にしたような笑い方しやがって、と思いながらも、俺はそんな細かいことをちびっ子相手に言うほど子供じゃない。
「そう」
短く答えて、目を逸らせる。
こんなよく解らない子供になんて、今は関わっている場合じゃない。
だから俺は、立ち上がってその場を去ろうと思ったのだけれど、
「――直したい? その眼鏡」
後ろから声をかけられて、俺は再びその子に振り向く。
「そりゃまぁ」
すると女の子は、口元にニヤリと笑みを浮かべると、
「なら、私がいいところに連れてってあげる! ついて着て!」
と俺の腕を強く引っ張った。
俺はこの子が何をしようとしているのか解らなかったけれど、
「お、おい! 引っ張るなよ!」
渋々ながら、藁をもすがるような気持ちで、女の子のあとを追いかけたのだった。