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あれは、中学一年生の秋だった
季節は少しずつ涼しくなり、澄んだ空が高く広がるようになっていたのに
僕の胸の奥はずっと、息苦しいままだった。
まるで、肺の中に冷たい鉛が詰まっているかのように
呼吸をするたびに重く、苦しさが募っていく。
体育の授業がある日や、廊下ですれ違うとき
あるいは教室でふいに目が合うだけで
心臓がドクドクと、まるで警鐘を鳴らすかのように激しく暴れ出す。
その音は僕の耳にだけ響き渡り、周囲の喧騒をかき消すほどだった。
そして、彼らが少しでも大声を出したり、僕に視線を向けたりするだけで
頭が真っ白になって、次に何をすべきか
どんな言葉を返すべきか、一切分からなくなる。
喉が締め付けられ、言葉が音になる前に消えてしまうようだった。
……クラスには、いわゆるガキ大将のような男子がいた。
彼はいつも数人の取り巻きを連れていて、何かにつけて僕に突っかかってきた。
休み時間には、僕が必死に書き写したノートを何の悪気もなく奪い取り
ページをぐしゃぐしゃにしたり、床に投げ捨てたりした。
大切に使っていた筆箱は、彼らの笑い声と共に無造作に床に落とされ、中身が散乱する。
僕がそれを拾い集めている間も、彼らは僕を馬鹿にし、嘲笑の視線を浴びせる。
悔しくて、情けなくて
胸が張り裂けそうになるのに、僕は何も言い返すことができなかった。
声が出ない。
体が震えて、動けない。
ただ、彼らの言葉が、刃物のように僕の心に突き刺さるのを感じるだけだった。
「どんくさい」「気持ち悪い」「男のくせに暗い」
そんな言葉のひとつひとつが、まるで鋭利な刃物みたいに僕の胸に突き刺さって深い傷を刻んでいく。
その傷は日ごとに増え、やがて僕の心を覆い尽くすようになった。
そのうち、教室にいるだけで、まるで透明な壁に囲まれているかのように息が詰まるようになっていった。
朝、目が覚めると、胃の奥からこみ上げる吐き気が止まらなくなり
ベッドから起き上がることすら困難になった。
学校へ行くことが、僕にとって最も恐ろしい試練となっていた。
病院で「パニック障害」と診断されたのは、そんな日々が続いて
心身ともに限界を迎えていた、その少し後のことだった。
医師の淡々とした説明を聞きながらも、僕の頭の中は真っ白で
ただ
「ああ、やっぱり」という漠然とした納得だけがあった。
でも、そんな僕を――
誰よりも早く、僕の心の奥底に隠された苦しみを見つけ出し
そして、手を差し伸べて助けてくれたのが、|岬《みさき》くんだった。
「無理して笑わなくていいんだよ」
「苦しいなら逃げたっていい。俺は朝陽くんの味方だから」
そう言ってくれたのは、当時中学三年生だった
隣に住む幼馴染の|沖田 岬《おきた みさき》くん。
彼はいつも僕の少し先を歩く、頼りになる存在だった。
小さいころからずっと一緒で、僕にとっては優しい“お兄ちゃん”のような存在だったけれど
そのときの岬くんはただ優しいだけのお兄ちゃんじゃなかった。
僕の震える肩にそっと手を置き、その大きな手から伝わる温かさが
僕の凍り付いた心を溶かすようだった。
「大丈夫」って、僕の目をまっすぐ見て微笑んでくれたその横顔に
ドクンと、それまで感じたことのないような激しい鼓動が胸を高鳴らせた。
それは、恐怖や不安とは全く違う
甘く、切ない響きを持つ鼓動だった。
あのときからだったと思う。
岬くんのことを、ただの幼馴染や優しいお兄ちゃんとしてではなく
好きだという、特別な感情を抱くようになったのは。
彼の存在が、僕にとっての光であり、救いであり
そして、いつしか心の支えになっていた。
それから数年が経ち、高校二年生の春。
僕は、あの頃の弱かった自分とは違う
少しだけ強くなった自分を信じて、勇気を出して、岬くんに告白した。
放課後の人気のない公園で
桜の花びらが風に舞い、僕の心臓の音だけが、耳元で大きく響いていた。
緊張しすぎて、声が裏返ってしまい、何度も言葉に詰まりながら
それでも僕は、震える声で何度も言い直した。
顔が熱くなり、目頭が熱くなって、今にも泣き出してしまいそうだったけれど……
それでも、しっかりと、僕の全ての想いを込めて
「こんなこと、言われると…気持ち悪いって、思われるかもしれないけど、僕…岬くんのことが好きなんだ……!だからその…っ、付き合って、くれません…か」
なんて伝えた。
そしたら、岬くんは僕の予想とは少し違う
けれどとても穏やかな、少し驚いたような顔をしてから
ふわりと、花が咲くように優しく笑って言った。
「実を言えばさ…俺も朝陽くんのこと、ずっと好きだったんだよね。まさか、朝陽くんから言ってくれるとは思わなかったから、ちょっとびっくりしたけど……嬉しい。すごく嬉しいよ」
その言葉を聞いた瞬間
僕の視界は涙で滲み、世界が輝き出したように感じた。
長年抱え続けてきた不安や恐れが、一瞬にして溶けていくようだった。
こうして、僕と岬くんは――
桜の花びらが舞い散る春の陽光の下で
晴れて、恋人同士になったのだ。