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パシン。
乾いた音だけが静寂の中に流れる。誰もが息を同じタイミングで飲んだ。
「私に触らないで」
「なっ」
「ステラッ!」
後ろで、モアンさんが叫び、倒れた音がした。本当に、モアンさんには申し訳ないと思っているし、胃を悪くさせたに違いない。けれど、私は何も言わずにはいられなかった。
ラオシュー子爵はまさか叩かれるとは思っていなかったのか、叩かれた手を押さえながら、私に丸い目を向けている。少し恐怖しているようなその目に、間抜けだな、なんて感想を私は抱く。
そして、送れて自分のされたことに気づいたのか、ラオシュー子爵はカッと顔を赤くして、ツバをまき散らしながら叫んだ。
「貴様、何をしたか分かっているのか。こ、この私の手を叩くなど」
「領主として。貴族として、いかがなものかと思ったので。貴方に婚約者がいるかどうか知りませんし、既婚者かも知れませんけれど……見境なしに、女性を物色しようと思うのはどうかと思います。貴方が、貴族としてのプライドがあるなら、こんなことはやめるべきです」
「何だとッ」
私の言葉で何かが変わるわけでもない。周りの誰かが、それに賛同してくれるわけもなく、ただ黙ってみているだけ。これが現実だと思った。声を上げたところで、それが少数である場合、または、敵対している人間の権力が強い場合、誰も助けてくれない。自分が苦しむのが嫌だから。周りから見ているだけなのだ。内に何を秘めていたとしても。出さなければ意味がない。
(虐められたときも、こんな感じだったんだろうな……)
思い出すのも辛い。好きなものが違ったぐらいで仲間外れ、陰湿な虐め。少数派は多数派に殺されるとはこういうことを言うのだと。
(思い出さなければよかった……)
前の世界でもそうだった。価値観を押しつけられて、偽物のレッテルを貼られ。私は、声を上げることを諦めようとしていた。それでも、トワイライトやリースが支えてくれたから、あの世界ではちゃんと自分の足で立って主張を続けられた。誰にも耳を貸して貰えなくても。
権力を振りかざす貴族がいる社会。圧倒的な地位格差。声を出せないのか、それとも弾圧されているかは分からないけれど。私は、一度断罪を受けた身だから、もう怖いものなんてなかった。声を上げない方が格好悪いって。こんなの、無謀で馬鹿なことだと思っているけれど。
だって、これからどうなるかなんて分かりたくもないじゃない。
「誰に向かって口を利いていると思っているんだ」
「私は、平民という身分ですが、声を上げる権利はあると思います。ただ、税金を納めるだけの道具ではない。貴方に意見する権利はあると、私は考えています。そして、貴方はその民の声を聞く義務があるんじゃないでしょうか」
私がそう言えば、ようやく心が動いたのか、ざわざわと周りの人々がどよめき出す。それでも、そうだ! と、賛同の声を上げてくれる人はいなかった。
(まあ、そうよね……)
変わらないのは分かっている。
私は、ラオシュー子爵から視線を外さなかった。ラオシュー子爵は一瞬狼狽え、一方後ろに下がったが、変なプライドがそれを邪魔したのか、直ぐに私へと視線を戻した。
「私に意見するか」
「貴方様がした事をそのままお返ししたまでです」
「……生意気な平民め。貴様など、この場で即処刑しても構わないのだぞッ!」
ラオシュー子爵のあまりの剣幕に、周りにいた人たちが一斉に後ろへさがり始める。誰も助けてくれないこの世界で。私はここで死ぬかもしれないのに、ちっとも怖くなかった。もっと怖い思いをしてきたせいか、感化が麻痺しているんだろうな、と自分でも思う。ラオシュー子爵は、馬車の横で待機していた護衛騎士から剣を奪い、その鞘から引き抜くと、剣先を私に向けた。
「今ここで、土下座して謝り、私のものになるのなら許してやろう。でなければ、この場で切り刻んでくれる」
「……」
ぴくぴくとこめかみが動いている。相当頭にきているんだろうなと思ったけれど、こういう時刺激するのではなく、じっと見つめてやった方がいいのではないかと、私は動じることなく見つめていた。また、ラオシュー子爵んぐっと、面食らったように顔を歪ませる。ガタガタと危なく剣先が揺れている。もし当たるようならば、最悪だけど防御魔法を使えばいいだろう。あれは一応、物理攻撃も防げるものだから。だから、怖くないというのも勿論あった。
「な、生意気な小娘が……ッ」
「そんな小娘に頭を下げて謝りませんか?」
冷静にそう言えば、ラオシュー子爵は馬鹿にされたと思ったのか、更に顔を怒りで赤らめていた。わなわなと体が震えている姿を見ると、流石にもう少し刺激したら倒れてしまうのではないかと思ってくる。
(大丈夫……大丈夫よ)
私は自分にそう言い聞かせながら、じっとラオシューが動くのを待っていた。馬車の横に立つ騎士も、助けようともせずに佇んだままだ。
(さて、どうしようかな……)
何でこんなに張り合っているのか自分でもよく分からなかった。ただ、闇魔法の人間の価値を下げ続けるこの男が許せないのか、それとも、ただ此奴がクズだから許せないのか。昔の自分では考えられないなあ、なんてぼんやり思っていると、ラオシュー子爵は奇声に似た叫び声を上げて、剣を振りかざしてきた。スカッと、ラオシュー子爵の剣は狙いがはずれ、地面に突き刺さる。その衝撃で、ラオシュー子爵も地面と衝突し、凄い音を立ててこけた。村人たちは怖くなったのか、さらに私達から距離をとった。ラオシュー子爵は、ぐぬぬぬ、と唸りながら、立ち上がり、血走った汚い顔で私を睨み付ける。
「この私に、恥をかかせよって……ッ」
「自分が招いた結果でしょ」
冷静にそう答えれば、ラオシュー子爵の顔は赤から青に変わり、また一瞬で顔が赤くなる。本当に忙しい人だなと思う。怒りで我を忘れているのではないかと心配になるぐらいだ。こんな奴に同情の余地はないし、貴族としてどうかと思う。本当にこういう奴らのせいで、彼の評価が下がるんだ。私は呆れた目で彼を見ていれば、ラオシュー子爵は顔を真っ赤にして叫ぶように口を開いた。
「小娘がっ!調子に乗るなあああッ!」
「……きゃっ」
捨て身タックルのごとく、突っ込んできたラオシュー子爵の突進を避けきれず、私はラオシュー子爵に押し倒される。しまったと立ち上がろうとすれば、腕を頭上で一つにまとめられてしまう。ラオシュー子爵は、勝ち誇ったような顔で私を見下している。
「貴様のような平民が、貴族の私に歯向かうなど言語道断!私に先ほどの無礼を謝り、私の奴隷となって生きることを誓え」
(誓うわけないでしょうが。そんな人生こちらから願い下げよ)
私は心の中で返事をして、ラオシュー子爵の顔を睨んだ。私が怖じ気づいていないことが可笑しいのか笑うと同時に、私の頬を叩いた。私が叩いたときよりも酷い音がして、左頬に痛みが走る。口の中がきれたんじゃないかと思うくらい、口内に鉄の味が広がっていく。いや、きれている。
「ほら、早く誓え。公開処刑でもされたいのか」
「……誓うわけないでしょうが。それに、本当にアンタ貴族として終わってる」
「まだ、口答えするのかッ」
「……ッ」
ビリッと、私の服が破かれた。一気に肌が外気に触れて、私は声にならない悲鳴をあげた。
(本当に信じられない!)
ラオシュー子爵の興奮した荒い息が顔にかかる。全年齢の乙女ゲームでは見せられない場面よ、となんで冷静にツッコミを入れているのか、自分を殴りたくなった。だけど、もうここまで来たら、この男をぶっ飛ばしてもいいよね? と心の中で自分に確認をとる。手がふさがれていても、魔法を使うことは出来る。イメージさえ出来れば。
雷でも落としてやる、とそう思って魔力を集めようとしたとき、ラオシュー子爵の頭にもの凄い勢いで石がとんできた。
「ぐああっ」
ラオシュー子爵の身体は横に倒れ、頭を抑えてのたうち回っている。
私にかぶさっていた重みが消えた瞬間、慌てて起き上がって服を抑えてラオシュー子爵から距離をとる。頭を抑えながら、ラオシュー子爵は何とか立ち上がったが、その黄金色の髪にまでべったりと赤い液体が付着している。
ラオシュー子爵は、誰が石を投げたのだと犯人を捜す。すると、パシ、パシと宙に石を投げ、それをキャッチし、また投げ……と繰り返しているフードを被った男がくくくと、笑う。ラオシュー子爵の視線は一気にその男に注がれた。
「貴様かッ!」
「ああ、悪ぃ悪ぃ。さすがに、ヤベえなって思って、手ぇ出ちまった」
男は、フッと不敵な笑みを浮べ、石を地面に落とし黒い手袋をはめた手をひらひらと振った。