空には大きな入道雲が浮かんでいる。
夏ももうじき終わりを迎えるだろう。
それでもセミの鳴き声はやかましいし、外を歩けば日焼けする。
いつか通い詰めた橋の下に段ボールハウスはもうない。
じっと眺める彼もあれはひと夏の夢だったのかと思ってしまうほどだ。
朝の匂いが好きで、彼はときおり学校に向かわず橋の下を確認して、それから登校する。
夏休みが前倒しされて、まだ8月も終わらないうちから二学期を迎えたわけだが、彼はそれでも文句も言わず学校に通う。
「あの日、隅っこのあの子を見つけた時には本当に嬉しくって……危なく笑顔になってしまうところだった」
校門を通り、下駄箱で上履きに履き替えてから時計を確認する。
まだまだホームルームにだって時間がある。いつも教室に着くのは一番だ。
「だって見るからに……素質の塊だったんだもん」
通い慣れた教室の扉を、職員室で借りた鍵で開ける。一番乗りを実感できる瞬間である。
「一緒に、教科書を見たのも遠い昔のようだよ」
教室の窓ぎわの一番うしろの席。そこにはかつてもうひとつ机があった。
「忘れはしない。あの時、君がいてくれたから」
カバンを掛けて、彼は椅子に座る。
「あの時、君と一緒にくぐったあの日。たまらなかった……」
カバンから教科書を取り出して、書かれた文字をなぞる。
「君が付け足した言葉もここにはちゃんとあるのに、それでも──」
彼がそう思いをはせる時間は、他の生徒たちの登校により終わりを迎える。
「いよっ、最近朝くるのはええな、ほんと」
「まあ、ね」
陽キャらしい彼の挨拶にももう慣れた。
「そういや、明日転校生来るらしいぞ」
「へえ、そうなんだ」
段ボールハウスはなかった。明日もそれさえ確認出来ていれば、その転校生はただの転校生だろう。
「なあ、どんな奴だと思う?」
こいつのこれは挨拶みたいなものだ。さして意味もない。だからさほどに考えて答える必要もない。
彼は、大きな眼鏡を軽く持ち上げながら言う。
「わたしは誰でもいいよ」
たとえ段ボールがあったとしてもそれは……この彼にはもう関係のないことだから。
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