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まさか本当に、念じたとおりに夢の中に入れるだなんて思ってもいなかった。
僕は驚愕しつつ、じっと僕を見下ろしてくる黒い影と見つめ合う。
影は、グルグルとまるで喉を鳴らすように首を伸ばしたて、僕のすぐ目の前に頭|(たぶん、頭だと思う)を伸ばしてきた。
「……きみは、真帆ねえのなんなんだい?」
その問いかけに、影はその眼を――たぶん目なのではないかと思う、小さな白いふたつの光を、何度もはたはたと瞬かせた。
或いは、この影は真帆ねえ自身なのではないかとも考えたのだけれど、明らかにまとっている匂いが違った。
ここが真帆ねえの夢のなかであることは間違いない。
この場のバラの香りが、それを証明している。
けれど、この黒い影だけは、どこか異質で、歪で、恐ろしさと優しさと懐かしさが同居しているように感じられて。
そしてこの黒い影の匂いを、僕は間違いなく知っていた。
その匂いは、僕のなかにもあるものだ。
それを言葉にするなら、なんだろうか。
魂。
命。
生命力。
あるいは――魔力。
僕はそこに至り、頷いた。
……そうだ。
その黒い影からは、魔力と同じ匂いを感じるのだ。
「きみはもしかして、真帆ねえの魔力そのものなの……?」
僕は黒い影に手を伸ばしながら、そう訊ねた。
影は一瞬、ひるんだように身をわずかに引いたけれど、すぐに数度瞬きしてから、僕の伸ばした手を受け入れた。
そして、すっ、と影に手が触れた瞬間。
「――っ!」
僕の頭のなかに、とんでもない量のなにかが流れ込んできたのである。
それをどう表現していいのか、僕にもまるでわからなかった。
それは映像ではなく、音声でもなく、たぶん、情報と呼んだほうがいいかも知れない。
それは、真帆ねえのすべてだった。
真帆ねえと、真帆ねえに関わった全ての人と、そして――僕のことだ。
真帆ねえが年を重ねても老けない理由。
それは、真帆ねえが本当に幼かった頃のこと。
魔力から生まれた存在が次々に魔法使いたちから魔力を奪い、死に至らしめていく事件が起きた。そんななか、赤ん坊だった真帆ねえは、どのようにしてか、その魔力から生まれた存在――夢魔をその身体に取り込んだ。
以来、真帆ねえは強大な魔力により、長命を得ることとなる。
しかしそれは、生命としての機能にも影響を及ぼした。
長命であるがゆえに、子孫を残す機能を失いかけたのである。
それを知った当初の真帆ねえは、その事実を気にも留めていなかった。
自分が誰かと結婚するはずがない、子を為すはずがないと思っていたのだ。
けれど、その予想は大きく外れた。
シモハライさんと出会ったのだ。
真帆ねえはシモハライさんに恋をするのと同時に、ひとつの絶望に苛まれるようになっていった。
シモハライさんと愛を深めていったとしても、夢魔の影響で子を為す事ができない可能性に深く悩むようになっていったのだ。
そこで真帆ねえがとった行動が、シモハライさんとの子供を秘密裏に――魔法で――儲けるというものだった。
とある魔法使いが編み出した、借り腹の魔法という、医療術系の魔法を知った真帆ねえは、その魔法に一縷の望みを託した。
真帆ねえは自身の遺伝子とシモハライさんの遺伝子をかけ合わせて、親戚だった僕の母親のお腹を借りることで子供が――僕が生まれてきたのだった。
そしてそれは同時に、真帆ねえの苦悩の始まりでもあった。
真帆ねえは、その事実を誰にも言わずにいた。
育ててくれた祖母や祖父、姉、もちろんシモハライさんにも、それは秘密だった。
当然、この世に生を受けた僕に対しても。
真帆ねえは僕に対する後ろめたさから、せっかく命を宿した僕の妹か弟――たぶん妹だ――に対してまで、罪の意識を抱いていったのである。
……なんという事実だろう。
すべては、真帆ねえの我がままともいえることだったのだ。
けれど、僕は驚きもしなかった。
何故なら、それは僕の予想していた通りでもあったからだ。
これまで不思議に思っていたこと、疑っていたこと、その真実を知ったことに対する安堵の方が、はるかに勝っていたのである。
僕は真帆ねえの全てを知り、大きなため息とともに、その黒い影――真帆ねえの魔力の源泉ともいえる存在――夢魔を見上げた。
僕は呆れたように肩を落としながら深いため息を吐いて、
「……まったく、つくづく勝手な人だよ、真帆ねえは」
けれど口元には、思わず笑みを浮かべていた。
それから、夢魔が愛おしそうに抱いている、明滅する小さな光――僕の妹に目をやった。
小さくも力強いその光は、きっと真帆ねえとシモハライさんのもとで、幸せな生活を送ることになるだろう。
もちろん、そこには僕もいるわけで。
「やれやれ、だね」
それから僕は、ふたたび夢魔に顔を戻した。
「キミは、この命を見守りたいんだね」
すると、夢魔はゆっくりとした動作でこちらを向いて、
「イノチ、ヲ、ミマ、モル」
片言で、僕の言葉を繰り返した。
「そう、命」
僕は頷いて、そして真帆ねえと繋がっているのであろうこの夢魔に、
「――大丈夫。安心して」
意味が分からなかったのか、わずかに首を傾げる夢魔。
「なにも不安に思うことはないよ。僕は、全部を理解したから。受け入れているから」
真帆ねえに向けたこの言葉が、どれだけ夢魔を介して真帆ねえに伝わるかはわからない。
けれど、僕はそれを信じる。
真帆ねえの言葉を借りるなら、そう、勘だ。
実の母親である真帆ねえから引き継いだ、魔法使いとしての、僕の勘。
それから僕は、もう一度、夢魔の身体にそっと触れて、
「妹のこと、キミに頼むね」
夢魔はしばらく僕の顔を見つめていたが、やがて小さな光――いや、真帆ねえにとっては僕と同じ、“小さな魔法”に視線を戻し、
「――ワカッタ」
こくりとひとつ、頷いた。
その途端、夢魔の身体が淡く白く輝き始めた。
それはとても温かい、力強い輝きで。
僕はあまりの眩しさに、思わず瞼を閉じて、そして――






