テラーノベル
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第1話 宣告の儀式
灰色の通知が、深夜一時十三分に鳴った。
画面には、ただ一文字だけが浮かんでいた。
[K]
ミナトは布団の中で目を開けた。
部屋の照明は落としていた。
窓の向こうで、街灯が雨ににじんでいる。
テーブルの上には、飲みかけの水と、折り目のついた調査ノート。
壁際には古いリュックが置かれていた。
ミナトは、細い指でスマホを拾った。
二十六歳。
やや長めの茶色の髪。
眠るときも眉間に力が残る顔。
目元には疲れがあり、グレーのパーカーの袖は少し伸びていた。
人前では落ち着いて見えるのに、一人になると肩がわずかに沈む。
画面を開く。
配信が始まっていた。
視聴者数は、すでに三千万人を超えている。
画面の中央に、顔の見えない人物が座っていた。
姿は影のように加工され、声も低く変えられている。
背景には何も映らない。
ただ、ぼんやりとした灰色の輪郭だけが揺れていた。
人々は、その配信者をボスと呼んでいた。
配信の題名は、いつも同じだった。
本日のK宣告
ミナトの喉が動いた。
指が冷える。
コメント欄は、滝のように流れていた。
次は誰だ
また始まった
社長か
俳優か
政治家か
一般人はやめろ
ミナトは音量を上げた。
ボスが、ゆっくり口を開いた。
「本日のK宣告を始めます」
部屋の雨音が遠くなる。
「今回の対象者はこちらです」
一拍。
画面に名前が表示された。
久世ミナト
ミナトの手から、スマホが滑り落ちた。
床に当たる軽い音。
画面の中で、ボスは言った。
「君の信用が、この世界でどこまで脆いか実験しよう」
ミナトは動けなかった。
呼吸が細くなった。
その名前を知っている人は、多かった。
ミナトはK宣告を受けた人々のそばに立ってきた。
噂を止めるために走った。
職場に残れる方法を探した。
家族と話す場を作った。
崩れかけた人の手を、何度もつかんだ。
そのミナトが、宣告された。
コメント欄が爆発した。
ついに来た
信用守る人が宣告された
これは見たい
助かるのか
ボス本気だ
ミナトは床のスマホを拾い上げた。
画面の中で、ボスは続けた。
「七日以内に、君に[K]を持たせます」
ミナトは唇を結んだ。
[K]。
誰も正体を知らない。
物なのか。
情報なのか。
ただの噂なのか。
宣告された人は、少しずつ人生を削られる。
最初は、小さな違和感。
誰かの返信が遅れる。
店員の目線が変わる。
職場の会話が止まる。
家族が言葉を選ぶ。
知らない誰かが、昔の投稿を掘り返す。
そして、いつの間にか。
その人は、何かを持っていることにされる。
[K]を。
ミナトは立ち上がった。
膝が少し震えた。
まず、カーテンを閉めた。
次に、玄関の鍵を確認した。
それから机に向かい、調査ノートを開いた。
一ページ目に、自分で書いた文字があった。
疑われた人を一人にしない。
ミナトはペンを握った。
手が震えて、線が少し曲がった。
それでも書いた。
宣告を受けた時刻。
配信の言葉。
視聴者数。
コメントの反応。
部屋にあった物。
今日会った人。
今日行った場所。
無実を叫ぶだけでは足りない。
Kは、叫んだ人から飲み込む。
ミナトは知っていた。
だから、最初にやるべきことも知っていた。
隠れない。
逃げない。
黙らない。
けれど。
スマホがまた震えた。
母からだった。
ミナトはしばらく画面を見つめた。
そして、通話を押した。
「ミナト?」
母の声は、いつもより小さかった。
「見た?」
「見たよ」
「大丈夫なの?」
その言葉は、心配だった。
でも、ほんの少しだけ疑いも混じっていた。
ミナトは目を閉じた。
これがKだ。
宣告された瞬間、近い人の声にまで影が入る。
「大丈夫。今から記録をまとめる。警察にも相談する。職場にも連絡する」
「あなた、何もしてないのよね?」
ミナトは息を吸った。
胸の奥で、何かが小さく割れた。
「してない」
「ごめん。そうよね。ごめんね」
「ううん。聞いてくれていい。聞かないまま怖がられる方がつらい」
母は黙った。
雨が窓をなでた。
「明日、行こうか」
「来なくていい。今は、近くにいる人まで巻き込まれる」
「でも」
「大丈夫」
そう言いながら、ミナトは自分の声が少し遠いことに気づいた。
大丈夫ではなかった。
でも、大丈夫の形を作らなければならなかった。
通話を切ると、別の通知が来ていた。
仕事仲間のレイナからだった。
今から行く。鍵開けて。
ミナトは一瞬、迷った。
レイナは三十歳。
短く切った茶色の髪。
丸い眼鏡をかけ、いつも大きめの緑のジャケットを着ている。
早口で、怒ると爪先で床を叩く癖がある。
K宣告の現場で何度も一緒に動いてきた。
信じたい。
でも今は、その言葉が重い。
ミナトは返信した。
来るなら、通話つなぎっぱなしで来て。
到着までの道も記録して。
僕も玄関を開けるところから撮る。
すぐに返事が来た。
了解。そういうところが嫌い。でも正しい。
ミナトは少しだけ笑った。
その笑いは、すぐに消えた。
配信はまだ続いていた。
ボスは、コメントの波を眺めるように黙っている。
しばらくして、静かに言った。
「彼は、これまで人々に言ってきました。疑う前に話せ、と」
ミナトは画面を見た。
「では、彼自身はどうでしょうか」
コメントがまた走る。
「信じる側に立てるのでしょうか」
ボスの声には、感情がなかった。
「それとも、誰よりも先に世界を疑うのでしょうか」
ミナトはスマホを伏せた。
見ていたくなかった。
けれど、見ないことはできなかった。
これは、自分への宣告であると同時に、自分が助けてきた人々への問いでもあった。
あなたを助けた人間は、本当に信用できるのか。
その問いが、世界中に投げられていた。
十五分後。
インターホンが鳴った。
ミナトはスマホのカメラを起動した。
玄関へ向かう足音まで録音されるよう、胸ポケットに入れる。
ドアを開ける。
レイナが立っていた。
髪は雨で少し乱れ、眼鏡の縁に水滴がついていた。
緑のジャケットの肩も濡れている。
手にはコンビニの袋。
表情は険しい。
「まず言う」
レイナは部屋に入る前に、まっすぐミナトを見た。
「私は疑ってない」
ミナトはうなずいた。
「ありがとう」
「でも確認はする」
「うん」
「それが信用だから」
ミナトは、少しだけ息を深く吐いた。
レイナは部屋へ入ると、袋をテーブルに置いた。
「飲み物。全部未開封。レシートもある。買った店の映像も残ってるはず」
「助かる」
「助けに来たんじゃない」
レイナはスマホを取り出した。
「戦いに来た」
その言い方が、少しだけいつもの彼女だった。
ミナトはノートを差し出した。
「まず、今日の行動記録を作る」
「それから?」
「警察へ相談。職場へ連絡。関係者へ一斉通知。あと、配信を切り抜かれる前に全文保存」
「もう切り抜かれてる」
レイナが画面を見せた。
そこには、ミナトの名前と、ボスの言葉だけが短く編集された動画が並んでいた。
信用を守る男、終わる
Kを止める人がKへ
これは本物か
レイナが舌打ちした。
「早すぎる」
「違う」
ミナトは画面を見つめた。
「早いんじゃない。待ってたんだ」
レイナの指が止まった。
「誰が?」
「みんな」
部屋の空気が、雨より冷たくなる。
K宣告は恐れられている。
でも、同じくらい求められている。
誰かが落ちるところを見たい人がいる。
誰かの信用が崩れる瞬間を、娯楽のように待つ人がいる。
自分ではない誰かが選ばれることで、ほっとする人がいる。
ミナトは、その構造を何度も見てきた。
そして今、自分がその中央に置かれていた。
レイナは静かに言った。
「逃げる?」
ミナトは首を振った。
「逃げたら、逃げたことがKになる」
「黙る?」
「黙ったら、黙ったことがKになる」
「反論する?」
「反論したら、焦ってるって言われる」
「じゃあ、どうするの」
ミナトはノートの端を指で押さえた。
「生活する」
レイナは眉を寄せた。
「生活?」
「そう。記録しながら、隠さず、騒がず、普段通りに生きる」
「それで勝てる?」
「勝てない」
ミナトは小さく笑った。
「でも、壊れずに済むかもしれない」
レイナはしばらく黙っていた。
やがて、椅子を引いて座った。
「分かった。じゃあ、生活を守る作戦ね」
「うん」
「作戦名、地味すぎ」
「派手にすると負ける」
「それもそう」
二人は朝まで記録を作った。
部屋にある物の写真。
今日の移動。
連絡履歴。
外部から届いた荷物。
未開封の飲料。
配信の保存。
コメントの変化。
関係者への連絡文。
午前三時を過ぎたころ、最初の異変が起きた。
ミナトの仕事用アカウントに、予約キャンセルが届いた。
次に、取材依頼が来た。
その次に、知らないアカウントから短い文が届いた。
あなた、本当は何を持ってるの?
ミナトは返信しなかった。
その代わり、画面を保存した。
レイナは目をこすりながら言った。
「もう始まってる」
「うん」
「怖い?」
ミナトは少し考えた。
「怖い」
正直に言うと、喉の奥が軽くなった。
「でも、怖がってる僕を見せる」
「それで?」
「Kは、隠したものに育つから」
レイナは、ペンを止めた。
「それ、前にも言ってたね」
「誰に?」
「最初に助けた人」
ミナトは記憶を探った。
数年前。
まだK宣告という言葉が、今ほど広がっていなかったころ。
一人の女性が、理由の分からない噂で仕事を失いかけた。
ミナトはその時、怒りながら言った。
これは危険で、怖くて、正体が分からない。
だから、Kと呼ぼう。
その言葉を、なぜ今思い出したのか。
ミナトはペンを握る手を止めた。
「どうしたの」
レイナが聞いた。
「いや」
ミナトは首を振った。
「何でもない」
でも、胸の奥に小さな痛みが残った。
朝五時。
雨は止んでいた。
窓の外の街は、まだ眠っているように見えた。
ミナトはスマホを立て、配信用の画面を開いた。
レイナが目を丸くする。
「何する気?」
「話す」
「今?」
「今」
「寝てない顔だよ」
「それも映す」
ミナトは深呼吸した。
画面に自分の顔が映る。
疲れた目。
乱れた髪。
伸びた袖。
震えを隠しきれない指。
それでも、彼は配信開始を押した。
視聴者はすぐに増えた。
千人。
一万人。
十万人。
コメント欄がざわめく。
本人だ
逃げてない
何を言うんだ
ミナトはカメラを見た。
「久世ミナトです」
声は少しかすれていた。
「昨夜、僕はK宣告を受けました」
コメントの流れが速くなる。
「怖いです」
その一言で、流れがわずかに変わった。
「でも、隠れません」
ミナトは机の上のノートを映した。
「今日から、僕は自分の生活を記録します。必要な相談もします。助けてくれる人の安全も守ります」
レイナが横から小さく手を振った。
「そして、僕は僕だけを守りません」
ミナトは、そこで一度息を吸った。
「K宣告を受けた人は、これからも出ます。誰かが宣告された時、その人を一人にしないでください」
コメント欄に、冷たい言葉が流れる。
きれいごと
自分が対象になったから言ってる
信用できない
ミナトはそれを読んだ。
目をそらさなかった。
「疑ってもいいです」
レイナが、横で顔を上げた。
「でも、疑う前に、一度だけ立ち止まってください」
ミナトの声は、少しずつ落ち着いていった。
「その人の人生は、あなたの娯楽ではありません」
配信は三分で終わった。
長く話せば、それも利用される。
短すぎれば、逃げたと言われる。
ちょうどいい長さなど、どこにもなかった。
だからミナトは、終わらせた。
配信終了後、レイナはしばらく黙っていた。
「よかったと思う?」
ミナトが聞く。
レイナは腕を組んだ。
「分からない」
「だよね」
「でも、少なくとも、あなたは逃げなかった」
その時、スマホが鳴った。
非通知。
ミナトとレイナは目を合わせた。
ミナトは録音を開始してから、通話に出た。
「はい」
しばらく無音。
そして、加工された声が聞こえた。
「よくできました」
ミナトの背筋に冷たいものが走る。
ボスの声だった。
「でも、生活を守るだけで、信用が守れると思いますか?」
ミナトは答えなかった。
「七日あります」
声は、笑っていないのに笑っているようだった。
「君が誰を信じ、誰を疑うのか。楽しみにしています」
通話は切れた。
レイナがスマホを見つめる。
「今の、保存できた?」
「できた」
ミナトはうなずいた。
その指は、また震えていた。
窓の外で、朝の光が街を薄く照らし始めていた。
新しい一日が来る。
けれどそれは、救いではなかった。
一日目が始まっただけだった。
ミナトはノートを開き、最後に一行を書いた。
Kは、持たされるものではない。
人々が、持たせたことにするものだ。
ペン先が止まる。
その言葉を見た瞬間、ミナトの胸の奥で、遠い記憶がまた揺れた。
昔、自分が誰かに言った言葉。
危険で。
怖くて。
正体が分からないもの。
それを、Kと呼ぼう。
ミナトは、ノートを閉じた。
まだ、自分が何を始めてしまったのか。
彼は知らなかった。
コメント
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いやー、めっちゃ引き込まれたわ……! 第1話から主人公・ミナトがK宣告される衝撃、そしてその後の「生活する」って戦い方がめちゃくちゃ新鮮で刺さった。レイナの「戦いに来た」も熱いし、配信で「怖い」って正直に言える強さ、かっこよすぎる。まだ始まったばかりなのに、この七日間どうなるんだろうって期待で震えてる🔥 作者さんの世界観、マジで好きです!