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竜斗の弔いも済み、庭に墓を創ってから随分と経った。惨事のあった離れから付喪神達は退去させたが、それ以外は全て当時のままだ。とてもじゃないがあの屋敷に何かをする気になどなれない。足を運ぶのも気が引けるが人任せにもしたくない。だが、何日が経とうともあの日の悲しさに引き戻されてしまうので、一切の手出しが出来なかった。
紅焔はあの日から地下牢に閉じ込めたままにしてある。罪を償わせる為というよりは、今尚暴れに暴れて話にならないからだ。
ひとまず気絶させて、その間に数多の帯達を避難させたまでは良かったが、それからはずっと牢の中で暴れ続け、自害すらしかねない勢いだった。なのでまた意識を失わせ、手枷と足枷をつけて石造りの壁に拘束した。口にも枷をして舌を噛むなどもさせない様にし、その上で更に結界を張り自由を奪ったが、彼はそれでももがき続けた。
いつか落ち着くだろうと思って楽観視していたのだが、一年が経ち、十年が流れ、五十年を過ぎても紅焔の怒りと悲しみが静まる気配は無く、地下牢に閉じ込めたまま無駄に年月が消え去っていく。
喜怒哀楽の中でもっとも怒の感情の振り幅が大きい種族なので容易くはいかない事は理解出来るが、まさか此処までとは……。
ツンッとした態度を取りながらも、竜斗を深く愛していたのだと知り、徐々に私の中で紅焔への憎しみは薄れていった。
——あれから百年程が経過したある日の事。
急に地下牢が静かになった。叫び声も暴れる音も、手枷などの金属音も聞こえない。
(まさか、死んだのか?)
不安になり、慌てて地下へと続く階段を降りて牢に向かう。
竜斗に酷い仕打ちをしたとはいえ、面倒をみると引き取り、息子の伴侶になったであろう子だ。義子にも近い存在なので、閉じ込めたのが牢だとは言っても、今ではよくある牢屋の様に酷い場所では無い。足元にはちゃんと畳を敷き、半地下の様な造りなので日の光も上から入り、見た目は割と普通の和室に近いものにした。木製の頑丈な仕切りや、手枷や足枷を繋ぐ金具が石造の壁に無ければの話だが。
『…… 紅焔?』
階段を降り、狭い廊下を進んだ先にある牢に向かって声を掛けたが、反応は無い。
まだ少し距離がある。声が聞こえなかったのかもしれないと思い、私は廊下を真っ直ぐに進んで行った。
両サイドには空っぽの牢が何部屋もある。念の為にと遥か昔に用意したはいいが、役立つ日などどうせこないと思っていたので手入れはほどんどされていない。此処が神々の国でなければ、とっくに劣化して朽ち果てていただろう。
『……気持ちは、落ち着いたかい?紅焔』
壁に吊るされたまま、紅焔がぐったりとしている。
彼の足元には口枷の残骸が転がっていて、二度と使えぬ程までボロボロになっていた。百年近くも彼が噛み続けていた物なので流石にもう耐えられなかったのだろう。
枷の当たる部分の肌は暴れ過ぎたせいで真っ赤に染まっていて、この先もずっと跡が残りやしないかと心配になった。 目元には今、細長い布を巻いてがんじがらめにしてある。呪による封印も施し、ひとまず今は私以外は外せぬ様にした。現状程度の能力であれば、視線さえ合わなければ魔眼の力が発動していようとも害は無い。なのでしばらくはこのままにしておくつもりでいる。
牢の前に立ち、耳を澄ましてみた。彼の微かな呼吸音が聞こえるので生きてはいるみたいだ。これで死なれていては竜斗の魂に合わす顔が無かったところだったので、私はほっと安堵の息を吐いた。
『……紅焔?もしかして、今は眠っているのかな?』
反応が無いので寝ている可能性もあると思ったのだが、私の問いに対してやっと紅焔は反応を示し、ゆっくりと顔を持ち上げた。
『——コウエンとは、吾の名前か?』
疑問符が頭に浮かんだが、『そうだよ』と答える。
『……そうか、吾は……コウエンというのか』
他人事の様に呟き、紅焔が体を動かそうとする。だが当然口枷以上に頑丈な作りをしている手足の枷に動きを阻まれ、何も出来ない。その事に気が付いても、気力が尽きているのか、紅焔は無駄な抵抗などはしなかった。
『吾は罪人なのか?……一体、何をしたのじゃ』
わからないといった様子で紅焔が軽く首を横に振る。 何をさっきから言っているのだ?と思うが、嘘をつくタイプの子でも無い。なので私は、このまま少し様子を見てみる事にした。
『そうだね、罪人と言えるかもしれない』
『そうか。じゃあ、死ねるのだな』
乾いた笑いを口元に浮かべ、嬉しそうにそうこぼす。
『君は死にたいのかい?そこまでの罪だと、どうして思うんだい?』
『わからぬ。わからぬが……死にたい……無性に、とにかく消えてしまいたいのじゃ』
この様子だと、どうやら自分が何をしてしまったのかを覚えていないみたいだ。なのに罪悪感だけが胸には残っていて、苦しくって仕方がないのだろう。
『……“竜斗”と聞いて、思い当たる事はあるだろうか?』
『……?』
紅焔の目元が見えずとも、何の事だろうかと不思議に思っている事が嫌でもわかる。どうやら彼は、竜斗の事を忘れてしまったみたいだ。
多分、意図的に。
しかも自分の名前と共に。
彼の名前は竜斗が贈ってくれたモノだから仕方が無いのかもしれない。
『あぁ、いや。わからないのならいいんだよ、うん』
苦しくって記憶から逃げたのか。それとも大事に仕舞い込んだのか。答えを知る術は無いが、そうしなければ理性を取り戻せなかった程に竜斗を愛していたのだとは理解してやれた。
『此処から出たいかい?紅焔』
『出られるのならな、当然じゃろう』
『でも、今君は此処から出たら自害するだろうね』
『……』
返事が無い。だが空気感だけでそうだとわかる。どうやって死のうか、それしか考えてない者の纏う独特の暗い匂いもした。
『私と賭けをしよう、紅焔』
『賭け?』
『あぁそうだよ、賭け事だ。君は鬼だからね、遊戯は好きだろう?賭け事なんかはお手軽で、特にお気に入りのはずだ』
『……まぁ、そうだな』
『丁度ここに鈴が三個あるんだ』
やるとは言っていないが、断りの言葉も無いので合意したものとして扱う。
『私がこれを高く投げて、何個掴み取る事が出来るか賭けようじゃないか。ちなみに私は、三個に賭けよう。私が外せば君の願いを叶えて殺してあげる。でも私が勝ったら、願いを一つ聞いて欲しいな』
『……吾も三個に——』とまで言った彼の言葉を私は遮って、『それじゃあ賭けにならないじゃないか。君はもう二個か、一個のどちらかしか選べないよ。どちらにする?』と返す。
『はははっ……ずるいな、お前は。もっと早く断るべきだったよ』
『そうだね、でももう遅い。君は賭けをしないと断らなかったんだからね』
『……わかった。じゃあ二個だ。万が一があるかもしれぬしな』
『いいね。潔い子は嫌いじゃないよ』
『そりゃどうも』と返す声はぶっきらぼうで、諦めが感じ取れた。
着物の裾から鈴を三個取り出し、何の気なしにそれを高く投げる。人に紛れて神社の祭りに参加した時に村の子供からもらったはいいが使い道が特に無く、もう神社を彷徨く野良猫の首飾りにでもしようかと入れておいただけの物が、違う形できちんと役立ってよかった。
小さな鈴が宙を舞い、ある程度の高さを上がると、今度はすとんと落下してくる。これが大きな物だったなら掴み損ねる事も多少はあり得たかもしれないが、当たり前の様に三個同時に掴み取った。運の要素なんか微塵も無い、先見をせずともわかる当然の結果だった。
『私の勝ちだね!じゃあ願いを叶えてもらおうかな』
わかっていた結果でもあろうとも、嬉しいと思う感情は湧き起こる。勝ったという事実は些細でも良いものだ。
『……あぁわかった。どうせ捨てる命だ、お前の好きに使うがいいさ』
はぁとため息を吐き、紅焔が項垂れる。全てに対してどうでもいいと思っているのが丸わかりの彼に対し、私は巫山戯る様な真似はせず、切実な願いを伝える事にした。
『——私を、助けて欲しい』
『……い、意外な願いだな。罪人の鬼に助けて、だと?お前はどう見ても八尾の白狐だろう?助けなんぞ誰に求める必要もなく、全てが全て自由だろうに』
心からの願いに対し、紅焔はキョトンとした顔を返してきた。私の事も、誰なのかわからないみたいだ。
『助けたい魂があるんだが、輪廻転生が上手くいかないのだよ』
今の彼には思い当たる事など何も無いはずなのに、紅焔が黙り、口元を無自覚に引き結ぶ。
『神の腹では駄目なんだ。この子には半分人の血が入っているからね、拒絶反応が酷い。かといって人間の腹でも、半神半人の魂では生まれ落ちるまで耐えきれず、流産してしまうんだよ』
何とかしてもう一度竜斗に体を与えたい。神の子としてはもう無理だとしても、ならばせめて人間としてでもいい。自分の息子だとは言えない関係になろうとも、とにかくもう一度あの子の姿が見たかった。
なので私は、“彼の者”の血を引く者であれば“竜斗”を産めるのではと思い、早速私を祀る神社の神主一族の血脈の腹で試してみた。予想通り宿すまでは問題無く出来る。なのに途中で竜斗の魂が耐えきれず、勾玉に戻さねばならなくなってしまうという事を、もう何度も何度も繰り返していた。
世代を変えて、期間をあけて試してみる。
最初は一ヶ月しか保たなかったのが、次は二ヶ月保った。次は三ヶ月、四ヶ月目までと少しづつ可能性の芽が育っていく。今度試みるのはまた、別の世代まで待たねば。この一族は必ず一度は流産をすると思われては厄介だ。ごく自然なペースにせねば。
『……聞く限りだと、吾に出来る事など無いと思うが。出産なんぞ、神の守護範囲だろう?呪い殺すとかならば吾等の領分だが』
『そうだね。でもね、君は鬼母神の息子だ。彼女は多産安産で有名だからね、君の持つ力を良い方向へ利用出来れば、成功率が上がると思うんだよ』
『“魔眼”を活用するという話か』
(母と眼の事は覚えているのだな。そうか……。ならば話は早いかもしれない)
『そうだよ。今のままでは君の“魔眼”は文字通り災いしかもたらさない。だけどね、折角私の元に居るんだ、縁を切る眼では無く、縁を結ぶ事も出来る眼にまで開花させてはくれないだろうか?』
『ま……待て待て待て!まさか、吾に鬼のまま神になれと?無茶苦茶な事を言うな、お前は』
顔を上げ、私の顔を真っ直ぐに見据えて紅焔が焦りを露わにする。
ただの荒々しい化け物になれという話では無い事は何となく伝わっているみたいだ。鬼でありながら神族の様な能力を身に付けろと言われたのだ、この反応は無理もないかもしれない。だけど、私には紅焔ならば出来る確信があった。
『無茶では無いよ、鬼母神の息子である時点で君にも可能性は充分過ぎる程にある。神鬼であれとは思うけど、悪鬼羅刹になれでは無い。ただ君には、その“魔眼”を自在に扱えるくらいの力を身に付け、私の救いたい魂と肉体との縁を強めて、彼が無事に産まれてくる様にして欲しいだけなんだ』
『過程の過酷さの割りに、最終的な望みが小さいな』
くはははっと小さく笑う顔が何故だか楽しそうに見える。
救う魂が今は誰のモノなのかわからないはずなのに、紅焔は『いいだろう。面白いではないか。鬼が神になるとか……母や、かの悪名高き酒呑童子をも超えられる存在になれ、とはな。……些細な望みの為であろうが賭けは賭けだ、お前に従おうではないか。——でもな、吾だけでは何をすれば善行となり、神通力を高めていけるのかわからなぬから、指針は示してくれよ?』と、口元に弧を描きながら言った。
この笑みだけ見れば、腹の奥で悪巧みをしていて、枷を外せば言質などガン無視して逃げそうな雰囲気なのだが、言葉には微塵も嘘が無い。根っ子の部分では、私が救いたい魂が竜斗であるとわかっているのではないだろうか……。
『じゃあ、契約成立だな』
『あぁ』
『では、君に新たな呼び名をあげようか』
『呼び名を?…… 何故じゃ。吾は“コウエン”なのであろう?』
『あぁそうだよ、君は紅焔だ、でも——』
その名前は、竜斗が贈った大事なモノだ。今はあの子を忘れているおかげで平静を保っていられるが、名前の持つ言霊を聴き続ける事で、記憶の蓋に微々たるひびを入れかねない。それはいずれ亀裂になり、割れて砕け、竜斗の事を思い出した時にはパンドラの箱を開けた時の様に最悪を撒き散らす事にもなり得る。絶対に失敗はしたくない、些細な芽であっても早い段階で摘んでおかねば。
『名前を教えるという事は、相手に自分の運命を掴ませるという事になるんだよ。嫌だろう?他者に命運を掴まれるだなんて』
嘘では無い。
……かなり誇張はしたが。
『それは確かに、胸糞が悪いだけだな。主人の様なお前にならば構わないが……他は、殺してしまいそうだ』
『だろう?だから、呼び名をあげよう。今度からどうしても仕方なく名前を誰かに教えなけれいけない時は、“焔”と名乗るといいよ』
『“ホムラ”、か。悪くはないな』
『だろう?』と言いながら、牢をあけて室内に入る。
紅焔の前に立ち、私は彼の手枷と足枷を自分の手で外してやった。予想通り紅焔には逃げる気配が無い。暴れる訳でもなく、ただじっと自分の腕を見ている。
『しばらくは跡が残りそうだね』
『仕方がないさ、罪の証というものであろうて。なーに、いずれはコレさえも隠しておける程に色々な術を身に付けてみせるわ』
自信満々にそう言う紅焔を前にして、少し嬉しくなってくる。まるで子供の成長を見る親のような気分にもなった。
地下牢で約束を交わしたあの日から更に幾年月が過ぎ去った。
青い青い透き通る様な空を、紅焔のお気に入りの場所である二の鳥居に、座って一人で見上げる。
まだこの世界で人間として生きていた頃の竜斗の考えたゲームの世界を、再会の舞台として、異世界に創ってはやった。主人公枠には紅焔を送り出しもした。後はもう二人が努力して、再び縁を結ぶ番だ。
「あの日初めて出逢った日に、札にかけられた呪を無意識のまま無効化してまで、自分と竜斗を無理矢理“運命の赤い糸”で繋いだ程の君だ。あまりに自然で、当時の私がそうである時が付くのに随分かかった程だったんだ。 だから、きっと今回も……あの子を欲しがってくれるよね、焔——いや、紅焔」
碌に主軸のストーリーや設定といった類の確認もせずに天地創造の能力でざっくりとだけベースを造った箱庭を竜斗に与えたが、まさか異世界でまで最終的には殺し合う事になっているなどとは微塵も気付かぬまま、私は暖かな風に身を委ね、最愛の子供達と“彼の者”へ想いを馳せたのだった。
【番外編① 昔々の物語 願う再会・完結】