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第五話 ②【ドアの向こうの気配】
一分もしないうちに、相良刑事と若い警官が部屋に来た。
相良は入るなり部屋を見回し、誉たちの顔を順に確認する。
疲れたような目つきの刑事だが、今夜はその目がいっそう鋭かった。
「三人とも無事ですね」
「はい……たぶん」
誉が答えると、相良はローテーブルの上の写真とノートパソコンに目を留めた。
「……勝手に動かないでください、と言いたいところですが」
「言ってください。俺もそう思ってます」と誉。
「でも、もう見つけたんですね。ロッカー」
「はい」とシオン。
「開けました」
「そうでしょうね」
相良は深く息を吐いた。
怒鳴るでもなく、呆れるでもなく、ただ“やっぱりな”という顔をした。
「中身、全部見せてください」
誉は少し迷ったが、すぐに封筒を差し出した。
隠しても仕方ない。もう完全に警察の領域だ。
相良は写真を一枚ずつ確認し、USBを見て、最後にメモを読む。
“本名で呼べ”の文字に視線が少し止まった。
「……シオンさん」
「はい」
「本名を聞いても?」
「嫌です」
「そうですか」
相良はあっさり引いた。
もっと追及するかと思った誉は少し意外だった。
「でも、いずれ必要になる可能性はあります」
「その時に考えます」
「頑固ですね」
「よく言われます」
誉は横で、今そういう会話してる場合かと少し思ったが口には出さなかった。
相良は写真のうち、雑居ビルの非常階段でシオンとコートの男が写っているものを取り上げた。
「この男、誰だか分かりますか」
シオンは少しだけ黙った。
「……たぶん」
「名前は?」
「確証ないです」
「推測でも」
「いや」
シオンは写真から目を逸らした。
「今ここで言うと、話が余計ややこしくなる」
「もう十分ややこしいですよ」と誉が小声で言う。
「北松は黙ってて」
「なんでですか」
相良は二人のやりとりを気にした様子もなく、今度は詩織を見る。
「あなたが秋山圭介さんの知人ですね」
「……はい」
「秋山さんが失踪する前のやりとり、見せてもらえますか」
詩織がスマホを差し出す。
相良はメッセージを確認し、短く頷いた。
「ありがとうございます」
そのあと、相良はポケットから小さなメモ帳を出した。
「では、こちらからも情報を共有します」
誉は背筋を伸ばした。
さっきの電話の続きだ。
“秋山が見つかった”。その意味を、まだ誰も知らない。
「秋山圭介さんは、一時間ほど前に見つかりました」
相良の声は落ち着いている。
だからこそ、その内容が余計に重く聞こえた。
「都内のビジネスホテルで、意識不明の状態で」
詩織が口元を押さえる。
「……生きてるんですか」
誉が聞くと、相良は頷いた。
「生存はしています。搬送済みです。ただし、頭部の外傷に加えて、薬物性の強い眠気が出ている。医師の話では、自分の意思でまともに動ける状態ではなかった可能性が高い」
「病院を抜け出したのに?」と誉。
「そこが不自然なんです」
相良は言う。
「病院の監視カメラには確かに歩いている姿が映っています。ところがホテルのチェックイン記録や移動経路を追うと、途中から誰かの介入があったとしか思えない」
「連れ去られたってことですか」
「その可能性は高い」
「じゃあ、病院を出たあと誰かが秋山さんを確保して、ホテルに運んだ」とシオン。
「ええ。しかも、ただ隠しただけじゃない」
相良は一枚の印刷写真を取り出した。
ベッドの脇のテーブルを写したものだ。
そこには、使い捨ての携帯電話と、小さな紙片。
「ホテルの部屋に残されていたものです」
紙片には、たった一言。
『まだ違う』
「……何が」と誉。
「こちらが知りたいです」と相良。
部屋が静まり返る。
「秋山さんは、何かを探していた可能性があります。もしくは、何かを確認させられていた。ロッカーのメモにあった“渡す前に確認”ともつながるかもしれない」
「じゃあロッカーの中身は」と詩織。
「相手にとって“違った”ものかもしれません」と相良。
「違った?」
誉は写真、USB、メモを見た。
誰かを張った写真。動画。テキスト。
これが“違う”。
「……つまり、もっと別の何かがあるってことですか」
「可能性としては」
相良はノートパソコンの画面に視線を移す。
「USBの中身、どこまで見ました」
「動画一本と、テキストファイルひとつ」と誉。
「音声は?」
「まだです」
「今、ここで確認しましょう」
相良の言葉で、誉の胃がまた重くなる。
しかし止める理由もない。
誉はパソコンの前に座り、音声ファイルの一つを開いた。
ざ、というノイズ。
しばらく無音。
そのあと、ポケットの中で誤作動録音されたような、くぐもった声が入る。
『……確認してからだって言ってんだろ』
男の声。
低い。聞き覚えはない。
続いて、別の声。
『だから時間がないって』
こちらは少し高い。
詩織が身を強ばらせた。
「……秋山」
相良が無言でメモを取る。
音声は少し乱れ、足音のようなものが混じる。
『本名で呼ばれるの、そんなに嫌かよ』
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
誉が思わずシオンを見る。
シオンは表情を消していた。
録音の向こうで、秋山が笑う気配がある。
いや、笑っているというより、挑発している。
『おまえ、捨てた名前に追いつかれるのが怖いだけだろ』
がた、と小さな音。
誰かが何かを蹴ったか、ぶつかったか。
そして別の男の声が低く入る。
『その話は今するな』
三人とも顔を上げた。
この声は、さっきの最初の男とは違う。
しかも——
「……これ」
誉が言う。
「動画にいたコートの男じゃないですか」
「たぶんそう」とシオン。
「知ってる声?」
「……知ってる」
「誰ですか」
「だから」
シオンはそこで言葉を切った。
相良の視線が鋭くなる。
「シオンさん」
「……元バンド仲間です」
部屋が一瞬静まる。
「え?」
誉が素で聞き返す。
「仲間?」
「昔、別のバンドやってた」
「初耳なんですけど」
「言ってないし」
「いや、そうですけど」
相良が問う。
「名前は」
「高瀬晃一」
シオンはようやくそう言った。
「今は何してるか知らない。でも、こっちの界隈からはだいぶ前に消えた」
「その人物が、なぜ秋山さんと接触していると思いますか」
「分かんない」
「ですが、シオンさんの本名を知っている」
「……知ってます」
誉はその一言に、妙な重みを感じた。
“本名で呼べ”。
その一文は、ただの嫌がらせじゃない。
シオンの過去にいた人間だからこそ成立する、いやらしい圧力だ。
「高瀬さんと、何があったんですか」
相良が聞くと、シオンは少し笑った。
その笑い方はいつものからかいではなく、ただ疲れたみたいな笑みだった。
「解散」
「それだけ?」
「それだけで十分こじれることあるでしょ」
誉は何も言えなかった。
たしかにそうかもしれない。
特に、若い頃の名前や夢が絡むなら。
音声は続いていた。
『……それ、ちゃんと本人に渡るんだろうな』
秋山の声。
『渡るよ。だから確認してる』
『K.H.って、ほんとにこいつで合ってんの?』
誉の喉がひゅっと鳴る。
やはり、自分のことだ。
『見れば分かる』
高瀬らしき男の声。
『あいつは、最初に見てる』
その瞬間、誉の背中を冷たいものが走った。
最初に見てる。
それはテキストファイルと同じ意味だ。
ホームで柱の影の男を最初に見たこと。
あれが、誰かに知られていた。
音声はそこで途切れた。
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ruruha