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雲一つとして無い透き通る蒼空を見上げると、息子の事を思い出す。
人間の腹から生まれた愛おしい子。
青い瞳をした可愛い子。
黒い髪、中世的な眼、白い肌、一尾の狐の子。
だが、懐かしい我が子の姿はもう、目蓋の奥かこの空が見せる幻想の中にしか無い。あの子のを産んでくれた“彼の者”と同じく、私の隣にはもう、二人とも居ないのだ。
愛おしい子、愛らしい子……焔に殺された、私の私の可愛い子——
『お父様ぁー』
着物姿の小さな我が子が心許ない足取りで私の元へ走って来る。今にもぺしゃんと廊下で転んでしまいそうだが、過保護にするのもよくないと思い、その場にしゃがんで竜斗が此処まで辿り着くのをのんびりと待つ。
六歳になったというのに竜斗は成長が遅く、身体能力の伸びが悪い。神の子でありながら、人間の腹から生まれた弊害だろう。だが、私が初めて愛した“彼の者”の忘れ形見なのだと思うと、成長が遅い事など些末事だった。
『今行きますねぇー』
『あぁ、待っているぞ』
ニコニコと笑う顔が“彼の者”によく似ている。
私を主神として祀る神社の初代神主を勤めた愛おしい人。既に人間の妻も子もありながら、それでも尚私に愛される事を選んでくれた“彼の者”は、私の子を産んだ事で死んでしまった。
体が耐えられなかったのだ。
人間の男性が子を産む事自体にそもそも無理があった。
神であろうが私だって万能では無い。 “彼の者”を死なぬ様に繋ぎ止めるのには限界があって、肉体を保ってやる事が出来なかった。ならばせめて魂だけでもと思ったのに、神の子を産んだ事で、それさえも飛散してしまった。
私が愛したから、“彼の者”は死んでしまった。
永遠、永劫、永久——
もう、絶対に彼とは逢えないのだ。ならばせめて“彼の者”の名前を私だけのモノにするしか、もう愛おしいあの人を愛してやる術が無い事を苦しく思わない日は無い。……この子と居る時だけは、別として。
『とうちゃーくっ』
『おお、よくやったなぁ竜斗』
“彼の者”の面影がある顔が嬉しそうに笑ってくれるだけで、私の心も穏やかな気持ちになる。
『よく出来たなぁ、よし!高い高ーいをしてやろうな』
『わぁぁぁいっ』
脇に手を入れて、高く高く持ち上げてやる。そして廊下を走り、和室の中を駆け回ってやると、キャッキャと竜斗が喜んでくれた。
この声を聞くだけで、体温を感じるだけで、重みを受け止めてやるだけで、後悔の念が薄れてくれるから、私は竜斗と遊ぶのが大好きだった。
数年の歳月が経ち、竜斗が十二歳の誕生日を迎えた。
一本だった尾も今では三本目が生え揃い、年相応に能力も高まってきている。まだ神の国を出て、人間達の世界を見守る程の力は無いが、そろそろ“彼の者”の生まれ育った世界を見せてやる頃合いかもしれない。厄介な鬼の子を引き取って欲しいと頼まれてもいるし、竜斗と共に出迎えてみようか。丁度歳も近いはずだ、友人にでもなれればお互いの為にもいいかもしれない。
『……どうした?随分と今日は不機嫌だな。みんなから祝ってもらって来たんじゃないのか?』
竜斗が縁側に座り、年中紅葉の紅に染まる美しい庭先を見ていた。
隣に私も座り、ぷくっと子供っぽく頰を膨らませている竜斗の頰をつっつきながら訊いてみる。だが不機嫌を丸出しにするだけで、スッと視線を逸らされてしまった。
(難しい年頃になってきたのかな?この子も)
人間と神との間の子供でも、思春期があるのだろうか?などと私が不思議に思っていると、ムスッとしたまま竜斗が口を開いた。
『名前を……友達に笑われたのです』
『ほお?』
『狐の子なのに、“竜斗”だなんて可笑しいと言われました……。狸の奴、アイツだってポン太とか巫山戯た名前のクセに、ちょっと酷くないですか?折角の祝いの日がポン太のせいで台無しですよ』
『まぁまぁ、そう拗ねるな。その名前はお前を産んでくれた人の贈り物なんだからね』
そう言って、頭をそっと撫でてやる。
長い黒髪の間から生える白い狐耳をもまとめてくしゃりとやると、ちょっと嫌そうに身を引かれてしまった。年頃の子は距離を感じるなぁ、残念だ。
『……どうして僕は、こんな名前なのですか?父上』
『んー……確か、「北斗七星がとても綺麗に見えた日に、龍神の啓示を受けたから」とか言っていたなぁ』
『いや、それと僕にどんな関係が?』
竜斗にとても嫌そうな顔をされてしまった。 だが、気持ちはわかる。からかい半分に絡んできたアイツから名前を貰うとか、いくら“彼の者”が神社の神主だったからって、意味不明だと思う気持ちには同意しか出来ない。
『龍神の奴が、「お前の腹にオウガノミコトの子供が居るぞ」と最初に教えてくれたそうだ。その事がとても嬉しくって、感動し、思い出と歓喜を忘れないように、生まれた子には“竜斗”と付けたいとゴネられてね。私は“彼の者”のお願いには酷く弱かったから、断るなんて出来なかったんだよ』
『な、成る程』
両親の気持ちを察してくれたのか、竜斗はそれしか言わなかった。思い出すらない彼に対して、文句なんかこれ以上言えないのだろう。
『まぁそのおかげで「俺はコイツの名付け親みたいな者だな」って言い張って、龍神からの加護も竜斗はもらえているからね。役得と思ってくれると、私達はとても嬉しいな』
『……わかりました』と頷いてくれる。 素直な子に育ってくれた事に感謝せねば。
『よし。問題は解決したかな?』
『はい、父上』
『よーし。じゃあ今日は人間達の世界へ行ってみようか』
立ち上がり、竜斗に向かって手を差し出すと、キョトンとした顔で見上げられてしまった。
『え?……ぼ、僕も、行っていいのですか?』
成長が遅かったのでこの子は一度も人間達の世界を見た事がない。一人で勝手に降りて行ってしまわない様にきちんと理由も教えていたので、まだ諦めたままだったのだろう。
『あぁ。“彼の者”の生まれ育った土地を、私の守る……いずれはお前も守る事になる場所を、竜斗も見てみたいだろう?』
『はい!』
元気に答えてくれて、微笑ましい気持ちで胸が熱くなる。
——まさか、この選択が全てを狂わせていく事を、神でありながら予期出来なかった事を何度悔やんだ事か。だがしかし、『あの日』をあらかじめ予見して避ける事が出来なかった事を考えると、もしかしたら、これさえも大神の定めた竜斗達の命運だったのかもしれない。