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なぜ、わたしがそこへ向かったかと言えば。
それしか思いつかなかったからだ。
わたしを売った継母は遙か遠き地で暮らしているし、生首となったルキウスの両親に頼ろうにも、ルキウスを殺したのはわたしだ。
怒られるどころの騒ぎでは済まないだろう。
わたしを売った奴隷商人、アーカード。
金にがめつく、非情で。
なのになぜか、ゼゲルから救ってくれたひと。
彼ならもう先のなくなったわたしに、道を示してくれるのではないかと思った。
うまく話せる気がしないから、凶器として使った魔法剣と主人だったルキウスの生首を持って、会いに行った。
アーカードが経営する宿舎に辿り着いた途端、何をやっているんだろうという気持ちになる。
血に濡れた刃と生首を持って、立ちすくむ。
狂っている。わたしは狂っている。
こんなの迷惑以外の何物でも無い。
アーカードはわたしの親でも保護者でもないのだ。
ただ、商品としてわたしを取り扱っていただけだ。
わたしを助けることに何のメリットがある?
どこに行けばいい。
どこにも居場所がない。
「ん、ハガネではないか。なんじゃ、遊びに来たのか?」
シルクのような銀の髪に赤い瞳。
エルフのイリスがどこかでかっぱらってきたらしいリンゴを囓りながら、話しかけてくる。
「う、あ。その」
どうしたらいいかわからないでいるわたしを見て、イリスは首を傾げた。
「ん、ははーん」
しかし、わたしが持っている血濡れの魔法剣と生首を見て何かを察したらしい。
「OK、完全に理解した。アーカードじゃな?」
完全に理解された。
イリスには心を読む力でもあるのだろうか。
心が読めるなら、わたしが夜な夜な街に出て小動物や魔物を殺したことも、リネイを殺したことも、ルキウスの奴隷として殺人を繰り返したことも、そのルキウスを殺したことも、すべて気づかれているのでは?
なんで、そんなに屈託なく笑える?
イリスにはわたしの罪を許せるというのだろうか。
「そ、そう。アーカードに会いにきたの」
そうじゃろう、そうじゃろう。
じゃ、呼んでくるからちょっと待っとれ。
そう言うと、イリスは物凄い速さでアーカードを呼びに行った。
それからしばらくして、アーカードが血相を変えてやってきた。
青ざめ、汗をだらだらと流していた。
いつもなら自信ありげに不敵に笑っているのに。
ここまで動揺したアーカードは初めて見た。
「ハガネ、よく戻ってきてくれたね」
そう、アーカードがわたしを抱きしめる。
声が震えていた。
どういうことなのか、わからない。
「無事でよかった」
本当にわからない。
わたしがまだ9歳だからだろうか。
アーカードはしばらくわたしを抱きしめた後、屋敷で温かいミルクティーを淹れてくれた。
魔法剣と生首は、いつの間にかわたしの手を離れている。
誰かがそっと持って行ってくれたのだろう。
アーカードは「ひどい男にお前を売ってしまった」だとか、「お前はオレが守る」だとか、夢のようなことを言う。
仕方が無かったんだ。
ハガネ、お前は悪くない。
戻ってきてくれて、本当によかった。
そんな彼の言葉が、わたしの殺意を溶かしていく。
もしかすると、この奴隷商人は凄まじい善人なのではないだろうか。
こんな仕事をしているのも、わたしのような未来のない奴隷を救済する為なのではないか。
聖人だ。
そうとでも考えないと、辻褄があわなかった。
わたしの中で「殺したい」という気持ちと「この人を殺してはいけない」という気持ちが拮抗する。
こんなことは初めてだ。
わたしの中に、こんな気持ちがあるのか?
「お前のやった主人殺しは大罪だ。悔しいが、オレの力だけではお前を守り切ることができない」
アーカードが激痛に耐えるような顔で、続ける。
「口裏を合わせ、嘘を吐いてくれ。オレと一緒に世界を裏切ってくれ」
「お前が協力してくれるなら、オレは世界だって騙してみせる」
長い前髪で隠れたアーカードの瞳は何を思っているのだろう。
わたしにそんな価値なんて、ないはずなのに。
なぜ、あなたはそんなに気をかけてくれるのですか。
「ハガネ、オレはお前に死なれたくないのだ」
弱々しい主人の声が胸の奥に響く。
ああ、わたしはこんなにも愛されている。
家族に売られ、売春に使われ、殺人の道具にされたわたしが。
愛されている。
この善なる主(あるじ)。
アーカードの期待に応えずにはいられない。
「はい、我が主。我が主人。アーカード様」
「何でも仰ってください。わたしの命はあなたのものです」
わたしは愛された。愛されていた。
だから、生きていけます。
この溢れんばかりの殺意を抱えて、あなたの為に。