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カチャリ、と。
無造作に積まれた重厚なカジノチップが、緑色のラシャの上で崩れる音がした。
「――全額(オールイン)だ。さあ、どうするねヒューマンの坊や?」
紫煙の向こう側。
葉巻を咥え、醜悪な笑みを浮かべるオークの化け物が俺を見下ろしている。
テーブルの中央には、莫大なチップと、不気味に赤く発光する『命の契約書』。そして俺たちの間には、3枚の共通カードが表向きに並べられている。
手元で伏せられた俺の手札は『スペードの7』と『ハートの2』。
ポーカーにおいて、これ以上ない最弱の組み合わせだ。
対して、オークの豚鼻はヒクヒクと卑しい音を立てて動き、俺の手札の匂いを完全に嗅ぎ分けている。こちらの弱さを確信した上での、致死量の賭け金吊り上げ(レイズ)だった。
冷徹な確率論に従うなら、こんな紙屑同然の手札は一秒で勝負を降り、次のゲームへ資金を温存するのが絶対のセオリーだ。だが――今の俺には『次』がない。
俺の手元にあるチップは、あと数枚。ここで降りて資金をすり減らせば、いずれ参加費すら払えなくなり、即座に魔法の契約不履行でジ・エンドだ。俺が溶かしたわけじゃない。背後に立つ彼女が雇っていたという本来の代打ちが、奴らの罠に嵌められて消され、結果としてこの絶望的なチップ差と契約だけが残されたのだ。
「あの……主様(ぬしさま)」
背後から、張り詰めた声がした。
振り向くと、銀髪の騎士――セリアが、ボロボロの甲冑姿でありながらも凛と背筋を伸ばし、盤面を見つめていた。
「ゴルド殿が、全額を賭けてきました。これは……どういった状況なのでしょうか」
顔面偏差値が国宝級の美女が、真剣な瞳で問いかけてくる。俺はわずかに顔を寄せ、声を潜めて答えた。
「どういう状況って……相手はこっちの手札が弱いと見抜いた上で、俺たちのチップが底を突きかけている足元を見て、確実にトドメを刺しに来てるんだよ」
「そんな……! 私の不手際で、貴方様をこのような窮地に……っ」
ジワリと、額に冷や汗が滲む。
最弱の手札で一か八かの勝負を受けるか、降りて次で確実に緩やかな死を迎えるか。
「ブヒャヒャ! 震えてるじゃねえかヒューマン!」
オークが葉巻の煙を吐き出し、下劣に顔を歪めた。
「さっさと降りろよ。そうすれば、その後ろの銀髪の別嬪は俺様の寝所でたっぷりと可愛がってやる。お前らの前の代打ちが作った借金のカタには、ちょうどいい上玉だ!」
「っ……! ゴルド殿、私は貴様のような下劣な輩に屈するつもりなど――!」
「黙れ! 契約の魔法陣は絶対だ! 敗者は勝者の所有物となる、それがこの世界のルールだろうが!」
下卑た笑い声がVIPルームに響く。
俺の隣で、セリアが屈辱に耐えるようにギュッと拳を握りしめた。
(どうして俺は、こんなところで命を張ってるんだ……?)
ギリッ、と奥歯を噛み締めた瞬間、脳裏にここ数日の記憶がフラッシュバックする。
俺は元々、現実世界でうだつの上がらない高校生プレイヤーだった。どうしても勝ちたかった同年代の天才プレイヤーに挑み、手も足も出ずに惨敗。失意のどん底で事故に巻き込まれ――気づけば、この狂った異世界にいた。
右も左も分からないまま迷い込んだこのカジノで、ルールすら知らない不器用な女騎士が、悪徳貴族に理不尽に搾取されようとしていた。……現実世界で惨敗し、何もかも失った自分と重なって見えたのかもしれない。放っておけず、つい口出しをして、気付けば俺が彼女の身代わりとしてテーブルに座っていた。
ただ、それだけのことだ。
(ここで死んでたまるか。それに、あんな豚野郎にこの人を渡してたまるかよ。生き残って……俺から全てを奪ったあの天才に、いつかもう一度挑むまでは!)
どうする。どうすれば――。
強く念じた、その時。
『――System Standby.』
不意に、脳内で機械音が鳴った。
直後、俺の視界に信じられないものが映り込んだ。
『プレイヤー:ジン』
『現在ハンド:2・7(極めて弱い役です)』
『警告:敵のオールインを検知。敗北率が高い状態です』
瞬きをしても消えない。俺の目にだけ、空中に浮かび上がる青白いインターフェース。
どうやら遅れてきたチート能力らしいが、表示されているのは俺の絶望的な状況の確認だけだ。
オークがニタニタと笑いながら、俺の破滅を待っている。
奴は俺のカードが最弱であることを匂いで知っている。こんな弱いカードで、自分の全額勝負を受けられるはずがないという絶対の自信。
……ん?
待てよ。なぜ奴は、俺のカードが「弱い」と知っているのに、わざわざ大金を賭けて俺を「降ろし」にきた?
本当に奴が強い役を持っているなら、俺がギリギリ降りない程度の少額を賭けて、俺からなけなしのチップを限界まで吸い取るのが定石だ。
その直感に呼応するように、視界のインターフェースがチカチカと高速で切り替わった。
『敵のベット額とこれまでのアクションの矛盾を検知』
『アクション分析:敵は貴方の降参(フォールド)を目的としています』
『敵の推定ハンド:役なし(ブタ)』
『現在の勝率:68.2%(相手の手札もブタのため、ハイカード勝負で優位)』
(……!!)
ドクン、と。
心臓が大きく跳ね、周囲の雑音が遠のいた。
俺のポーカープレイヤーとしての知識と、システムが弾き出した確率計算が完璧に合致した。
相手は、何も持っていない。
俺が資金不足で後がない状況に焦っていることにつけ込んだ、完全なブラフ(ハッタリ)だ。
システムが弾き出した結論に、俺の口角が自然と吊り上がった。
……なるほど、そういうことか。
この数字の意味を、ポーカーというゲームの心理戦を一番理解しているのは――俺だ。
「……どうした坊や? 恐怖で声も出ないか?」
勝ち誇るオークに対し、俺は深く息を吐き、姿勢を正した。
その瞬間、俺の中の『ビビりのダメ男』は死んだ。
代わりにテーブルに座ったのは、確率と心理を支配する『勝負師』だ。
「……コール(勝負)」
水を打ったような静寂の中、俺の冷徹な声だけが響いた。
手持ちの全チップを、テーブルの中央へ押し出す。
「なっ……!?」
オークの顔が、信じられないものを見るように引き攣った。最弱のカードを持っているはずの俺が、一切の躊躇なく致死量の勝負に応じたからだ。
「バカな!? 貴様のカードは最弱のゴミのはずだ! 俺の鼻がそう言っている! なぜ俺の勝負を受けられる!?」
叫ぶオークに向け、俺は2枚のカードを盤面に叩きつけ、表に返した。
「あぁ、最弱のゴミだよ。だが、ポーカーはカードの強さだけで勝つゲームじゃない」
俺の言葉と共に、ディーラーによって残りの共通カードが開かれる。俺のカードに『2』のワンペアが完成した。
対してオークのカードがオープンされる。それは、何の役も成立していないただの紙屑だった。
「相手の『嘘』を見抜けば、ゴミ手札でも勝てるんだよ。豚野郎」
弱いカードで、相手のブラフを見抜いて勝負を受ける。ポーカーにおける最高難度の技術『ヒーローコール』の成立だ。
「ひぃっ……!? ば、馬鹿な! 俺の完璧なブラフが……ッ!」
勝負は決した。
契約の魔法陣が目も眩むような光を放ち、オークのチップと領地の権利書がすべて俺の手元へと吸い込まれていく。
「すごいです主様! 意味はよく分かりませんが、何やらとてつもない頭脳戦で勝ったのですね!」
セリアが目を輝かせて俺を見つめてくる。俺は安堵の息を吐き出しながら、肩をすくめた。
「まぁ、そんなとこです」
ふと、視線を感じて2階のVIP席を見上げる。
そこには、銀糸のような髪と彫刻のように整った顔立ちをした青年が立っていた。息をしているだけで全方位の女からモテるであろう、圧倒的な強者オーラを纏う男。
俺と目が合った彼は、口元に恍惚とした笑みを浮かべ、軽くグラスを掲げてみせた。
(うわ、顔面偏差値カンストしてんなあいつ! 絶対に俺とは住む世界が違う陽キャだ……関わらないでおこう)
強敵に対する強烈な僻みと劣等感で胃が捻じれそうになるが、今はそれどころではない。なんにせよ命は助かったのだから。
「はぁ……終わった……。よし、早くここを出て、今後のことを――」
「主様っ!!」
立ち上がろうとした俺の胸に、凄まじい勢いでセリアが飛び込んできた。
ガシャン、と甲冑が鳴る無骨な音と共に、俺の身体が強く締め付けられる。
「えっ、ちょ、セリアさん!?」
「ああ……なんという鮮やかな手腕! 貴方様はやはり、神が私に遣わした救世主です! このご恩、一生忘れません!」
(……痛い痛い痛い! 抱擁の圧が完全に武人のそれなんですけど!)
それはまるで、戦場で生き残った戦友同士が交わすような力強いハグだった。媚びや照れなど一切なく、ただ純度100%の賞賛と忠誠心だけが込められている。
(いや、中身がどれだけ男前でも外見は超絶美女だから! 柔らかいし銀髪からめっちゃいい匂いするし、俺の倫理観が崩壊するから離れて!)
俺の内心のパニックなど知る由もなく、身体を離したセリアは凛とした声で、とんでもないことを言い放った。
「改めまして主様……。勝者である貴方様に、私の『全て』を捧げます!」
「……は?」
「先ほどの契約書には、実家の領地だけでなく、敗者側の『所有物』の譲渡も含まれておりました。つまり、代打ちを頼んだ私の身柄も、勝利した貴方様のものということです!」
セリアは、一片の邪念もない真っ直ぐな瞳で俺を見上げた。
そこには微塵のエロい意図はない。だが、言葉の破壊力はカンストしていた。
「本日から、私の心も、身体も、すべては主様のお心のままに!」
ブツン、と。
俺の頭の中で、何かがショートする音がした。
「えええええええええええええっ!?」
かくして。
コミュ障で底辺のポーカー打ちだった俺は、異世界でチート能力と領地、そして『バグった距離感で迫ってくる美人騎士』を手に入れてしまったのだった。
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