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「……追求する事を……やめたら…………演奏家として……死んだも…………同然だ……」
満足のいく回答を得られた客の男、響野侑は唇を歪めた後、片側の口角を微かに吊り上げた。
「…………久しぶりだな。九條」
特別室に入って以来、立ったまま向かい合っている状態に、侑は一歩前に踏み出した。
「響野……先生…………ご無沙汰して……おりま……す……」
深々と一礼しようとした瑠衣だったが、娼婦として落ちぶれた状態で恩師と再会した事に、情けなくもなり、悲しくもなり、堪らず両手で顔を覆う。
そのまま身体が崩落するかのように、侑の前でしゃがみ込んでしまった。
『客と娼婦』として身体を重ね合った侑と瑠衣ではあるが、それでもこんな姿で、かつての師匠に会いたくなかった。
固定客になりつつある男の正体が、中学生の頃から憧れていたトランペット奏者だという事を知らないままでいたかった。
大きな濃茶の瞳から、涙が滴り続け、彼女が纏っている黒いドレスのスカート部分にポタリ、ポタリと痕跡を残していく。
侑が少しずつ距離を縮め、瑠衣の前でしゃがんだ。
「まさかお前と、こんな所で再会するとは思いもしなかったが」
小さく身体を丸め込んでいるような体勢の瑠衣に、侑は感情の読み取れない口調で淡々と言葉を繋げる。
「ひとまず立って、ソファーに座れ」
瑠衣は小さく肯首すると、鼻を啜りながら睫毛を伏せてソファーに座った。
侑も彼女の正面に腰掛け、両膝の上に手を組む。
瑠衣は顔を俯かせたまま、膝の上でギュッと握り拳を作り身体を小刻みに震わせている。
「九條。顔を上げろ」
恩師の言葉に、瑠衣は様子を伺うように侑へ眼差しを向けた。
「お前……院には行かなかったのか?」
一番突かれたくない事を率直に問い掛けてきた侑に、瑠衣は顔を背けようとすると、彼は『顔を逸らすな』と、圧の掛かった声音で制止した。
「九條。大学院には進学しなかったのか?」
この状況、まるで取り調べだな、と思いつつ、鋭い眼差しを投げつけられている状況に、瑠衣はゆっくりと頷いた。