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あれから一週間、そろそろあのガキはくたばった頃だろう。あそこは首都の中で特に荒れ果てた場所であり瘴気が溜まっている場所だ。3日で目眩。4日で体調不良。5日で吐き気。6日で呼吸困難を起こす。もし、回復薬を飲みながら作業しても2週間でできることではない。疲労が回復しても精神的ストレスが残るだけだ。
これで痛い目にあえば自分の愚かさがわかるだろう。
『では、こうしましょう。二週間以内に、この広場の北東地区、住宅街を元の清潔で美しい状態に戻すこと。できなければ、罰として殺してください』
自信に溢れた目でそう宣言した。なぜ、無謀なことをする。なぜ、やろうとする。なぜ、あの者はあんな自信に溢れた目で見ることができる。ここがどんな場所でどんなふうに言われているのか知っているはずだ。
(、、意味がわからない)
「ハァ、、」
〘信じるな、どうせあのガキには不可能だ。信じても意味ない。〙
頭が痛い、
〘 信じない。信じない。信じない。〙
「くっ、うっ、」
魔力が暴れている。心臓が締め付けられるように痛む、、苦しい、、
ずっと、声がきこえる、、、
「うっ、はっ、」
コンコン、、
「主様、どうかなされましたか」
護衛騎士であるフェムルが呼んでいる。
「ハァ、ハァ、ハァ、ふぅ、」
「主様、、」
やはり無理なのは無理だ。
コイツに頼んで見てきてもらおう。情けない泣き顔を見に、、
できないとわかる姿を知れば抑えられる。
〘信じない〙
〘信じない〙
〘信じない〙
〘また裏切られるだけだ〙
〘あの者のように〙
___
薄暗い帳のような静けさに包まれていた。開け放された窓からは、朝の光が細く差し込むだけで、少女の小柄な背を淡く照らしている。机の上には乾いた白木蓮の花びら、そして泰山木の葉。どちらも瑞々しさを失いながら、しかし妙な気配を漂わせていた。
「、、、少し、遅かったわね」
無表情のまま、少女は呟いた。声色は淡々としているが、聞く者がいれば辛辣に響くだろう。指先で花弁を摘まみ、淡々と容器に沈める。花弁は淡く光を帯び、やがて黒ずんだ靄のようなものを吐き出す。少女はそれを見て、眉をほんのわずか動かした。
「やっぱり。魔力の濁りが強すぎる」
小さな手は、まるで大人の職人のように迷いなく動く。乳鉢に白木蓮の花弁を入れ、泰山木の葉を一枚加えて擦り潰す。無機質な動作の連続。それでも少女の思考は速く巡り、次の手順を即座に導き出していた。
——そのとき、重たい扉が軋むように開いた。
「失礼する」
現れたのは、深緑の外套を纏った男だった。金髪に鋭い目をした青年。騎士のような雰囲気を纏っているが、腰に剣を下げていない。薬屋の店員兼、主人の護衛を務めているフェムルである。
「、、、あなた、誰に断って入ったの?」
少女は乳棒を動かす手を止めないまま、淡々と問いかけた。声には冷ややかな棘が混じる。フェムルは一瞬むっとしたが、表情を抑え込む。
「俺は店主の代理として様子を見に来た。文句があるのか?」
「あるわ。二つ」
「……二つ?」
「まず一つ。今は私の作業を邪魔していること。二つ目、あなたの足音がうるさすぎて花が萎れた気がする」
乳鉢を擦る手を止めずに言い切る。無表情だが、その言葉の辛辣さは小刀のようだ。フェムルは思わず顔をしかめた。
「花が萎れたのは俺のせいだと? 冗談だろう」
「冗談を言う顔に見える?」
少女は真っ直ぐな瞳でフェムルを見返した。そこには年齢にそぐわない冷徹な光がある。フェムルは喉元に言葉を詰まらせ、思わず視線を逸らす。
「……報告のためだ。様子を伝えなければならない。順調かどうか、それだけでいい」
「順調よ」
「……それだけか?」
「それだけ」
短く言い切る。無表情のまま視線を戻し、再び作業に没頭する少女。その背中に、フェムルは苛立ちと同時に奇妙な畏れを覚えた。小さな身体なのに、何故か近寄りがたい気配を纏っている。
「……そうか。なら、そう報告する」
フェムルはそれ以上言葉を重ねられず、扉を閉めて去っていった。
静寂が戻る。少女は小さく息を吐いた。
「余計な人間。だけど……彼のおかげで時間は稼げたか」
乳鉢から滲み出た液体は、濁った黒を帯びながらも徐々に透明さを取り戻していた。少女は指先でそれを掬い、小瓶へと移す。瓶の内側では、黒い靄が渦を巻くようにして消えていく。
「白木蓮は“清め”、泰山木は“守り”。二つを組み合わせれば、一時的には濁りを封じ込められる」
無表情のまま、少女は淡々と独り言を続ける。だがその声音には、どこか寂しげな影が混じっていた。
「……それでも、私一人では長くはもたない。誰かの助けが必要になる」
机に並んだ花と葉。どれも本来ならば生命力を象徴するもののはずなのに、今はすでに色褪せていた。少女は細い指で一枚の花弁を摘み、しばし見つめた。
「白も、緑も、きっと長くは保てない」
ぽつりと落とされた言葉は、部屋の中でひっそりと消えた。少女は再び作業へ没頭する。無表情の仮面の奥で、焦りと孤独を必死に押し殺しながら。
___
朝の霧が薄れ、太陽が街を照らしはじめる。
少女は淡々と、崩れかけた石垣の前に立っていた。
「、、、これも、邪魔ね」
声には抑揚がない。けれど、その一言と同時に小さな手がかすかに動くと、白木蓮達が崩れた石の塊をまるで職人が積み直したかのように積み重なっていく。
彼女の瞳は幼い。けれどその奥に宿る光は、まるで百年を生きた者のそれだった。
街は長く荒廃していた。
人々が去り、雑草に覆われ、壁はひび割れ、屋根は落ち、獣の棲み処と化していた。
だが少女は気に留めない。ただ必要と判断すれば直す。不要と見れば取り壊す。
石畳を覆っていた草は根こそぎ抜かれ、並木の根は伸びすぎた分を切り揃えられる。動きは淡々として、作業を楽しむ様子も苦にする気配もない。
「通りは一本に。……無駄に広いと、管理が行き届かない」
小さな声が街路に響く。決定はすべて彼女の中で下され、誰かと相談することはない。
___
倒壊した家々を見回すと、少女は淡々と指先を動かす。
柱は立ち、梁が組まれ、屋根の瓦は一枚一枚元の位置へと戻っていく。木材が足りなければ街の外の森から切り出し、無駄のない寸法で削り出した。
それはまるで、街そのものが自らの意思で形を整えているかのようだった。
だが実際に命令を下しているのは、ひとりの小さな少女にすぎない。
家が一軒、二軒と姿を取り戻すたびに、住宅街の輪郭ははっきりと蘇る。
壁は白く塗られ、木の窓枠には小さな花台が取り付けられた。そこに植えられるのは白木蓮や泰山木。春になれば大輪の花を咲かせ、街に柔らかな彩りを与えるだろう。
「派手さはいらない。清潔であれば十分」
少女の声は、どこか冷たい。だが、その言葉の裏には確かに「人が住むことを前提にした思考」があった。
___
昼を過ぎると、街に光が差し込む。
崩れた瓦礫で日陰だった場所が片付き、久しく届かなかった日差しが石畳を照らす。
広場の噴水も、ひび割れを修復されて水を湛えはじめた。
その水は透明で、陽光を反射してきらきらと輝く。
道の両脇に並ぶ住宅は、同じ高さに揃えられた屋根が連なり、規律ある景観を作り出す。
小さな煙突からはまだ煙こそ上がらないが、人の営みが再び始まる準備は整いつつあった。
少女は広場の中央に立ち、冷たい目で周囲を見渡した。
「……まだ足りない」
彼女は決して満足を口にしない。
___
夜になる。
街に人影はない。それでも住宅の窓には灯りがともっていた。
少女は、ひとつひとつに火を入れていたのだ。
誰もいない部屋に、温かさを演出するように。
石畳を歩きながら、ふと彼女は呟いた。
「……灯りがあれば、戻る理由になる。きっと」
その声音に感情はない。けれど、街を歩く姿はどこか寂しげでもあった。
街が生まれ変わる過程は、少女にとってただの作業にすぎない。
だが、その背中は確かに――誰かが帰ってくる未来を信じているように見えた。
___
翌朝。
住宅街は見違えるほどに整っていた。
かつて荒れ果て、瓦礫と雑草に覆われていた道は、整然と並ぶ家々と白い塀によって区切られている。
軒先の花壇には季節外れの花が咲き誇り、通りの隅には木製のベンチが設けられた。
まだ誰も座る人はいない。
だが、風がベンチを撫でると、そこに人々の笑い声が重なる未来が想像できた。
少女は一人、住宅街を歩く。
無表情のまま、淡々とした足取りで。
しかしその瞳の奥に宿る光は、確かに小さな期待を抱いていた。
「……ここからが、本当の始まり」
そう呟いた声は、ほんのわずかに柔らかさを帯びていた。
そして街は、彼女の手によって確かに蘇りつつあった。
まだ人影はなくとも、灯りがある。家々がある。
そこに戻ってくるべき人々を待ちわびるかのように――。