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スブタイは、第三軍の包囲が完成したことを確認すると、すぐに馬首を返した。
「ここは任せる」
ジュベに、それだけを告げる。
「おう」
ジュベもまた、当然のように頷いた。
スブタイの視線は、すでに別の方向へ向いている。
第一軍と第二軍。
川を渡り、ばらばらになったまま逃げ続ける二つの軍勢だった。
まだ追える。
まだ狩れる。
そう判断すると、スブタイは配下の騎兵を率い、そのまま西へ駆け去った。
残されたジュベは、包囲された第三軍を眺めた。
ムスチラフの軍は、川とモンゴリア騎兵に挟まれ、完全に退路を失っている。
「射て」
短い命令とともに、騎兵たちが一斉に弓を引いた。
空が黒く染まる。
無数の矢が、第三軍へ降り注いだ。
「盾を上げろ!」
「伏せろ!」
悲鳴と怒号が響く。
だが、モンゴリア軍は攻め込んでこなかった。
矢を射終えると、何事もなかったように距離を取る。
そして――。
包囲の外では、奇妙な光景が始まった。
兵たちは馬から鞍を下ろし、草を食ませる。
焚き火を起こし、肉を焼く。
革袋から乳酒を飲み、弓の弦を張り直す。
眠る者もいた。
笑いながら談笑する者さえいる。
まるで、そこが戦場ではないかのようだった。
しばらくすると合図が鳴る。
兵たちは立ち上がり、馬に跨がる。
再び第三軍へ近づき、矢を浴びせる。
そしてまた戻ってくる。
食事をする。
馬を休ませる。
眠る。
その繰り返しだった。
第三軍の中では、時間が経つほど状況が悪化していった。
負傷者は増え続けた。
水は減る。
食料も尽き始める。
夜になっても、いつ矢が飛んでくるか分からない。
兵たちは眠ることさえできなかった。
それでも包囲の外では、モンゴリア兵たちの日常が続いている。
アドラル皇国
18
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
二日目の朝。
ムスチラフは、盾を重ねて作らせた隙間から、敵陣を覗いていた。
一人の兵が羊を捌いている。
その横では、若い騎兵たちが笑いながら弓を競っている。
少し離れた場所では、馬の毛を梳いている者までいた。
その姿を、ムスチラフは長い間黙って見つめていた。
「……スブタイはどこだ」
傍らにいた副官が答える。
「昨日から姿がありません」
「逃げたのか?」
「いえ。第一軍と第二軍を追ったものと思われます」
ムスチラフの顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。
「我々を……残して?」
「はい」
しばらく、何も言えなかった。
まだ第三軍には兵がいる。
まだ剣も槍もある。
自分も生きている。
戦いは終わっていない。
そう思っていた。
だが――。
スブタイにとっては、すでに終わっていたのだ。
第三軍は包囲した。
逃げ道もない。
ならば、あとはジュベに任せればいい。
自分は次の獲物を追う。
ただ、それだけ。
ムスチラフは、再び包囲の外を見た。
敵兵が肉を頬張っている。
誰かが笑った。
その声が、風に乗ってこちらまで届いた。
その瞬間、ムスチラフは理解した。
彼らは、自分たちが降伏するのを待っているのではない。
助けを求めているわけでもない。
戦う必要さえ感じていない。
ただ――。
こちらが死ぬのを待っている。
時間は、彼らの味方だった。
昼を過ぎた頃。
ムスチラフは剣を抜いた。
周囲の兵たちが、一斉に身構える。
だが彼は、その剣を地面へ置いた。
「……降伏する」
誰も声を上げなかった。
反対する者もいなかった。
兵たちはただ、うつむいた。
やがて白い布が掲げられた。
それを見たモンゴリア兵の一人が、ジュベのもとへ駆けていく。
ジュベは焚き火の前に座り、焼いた肉を齧っていた。
「将軍。敵が降伏しました」
「そうか」
ジュベは肉を飲み込み、包囲の内側へ目を向けた。
そして、面倒そうに立ち上がる。
「やっと出てきたか」
二日間。
ムスチラフにとっては、永遠にも思える二日だった。
だがジュベにとっては――。
ただ、草原で獲物が力尽きるのを待っていただけだった。
スブタイは、逃げる第一軍と第二軍の残党を追い続けた。
彼らが九日をかけて進んできた道を、今度は逆に辿る。
距離にして、およそ百キロ。
だが、それは撤退などという生易しいものではなかった。
逃げる。
追われる。
追いつかれる。
斬られる。
夜になっても追撃は止まらない。
ようやく馬を止め、眠りについたかと思えば、遠くから蹄の音が聞こえてくる。
「来たぞ!」
その一声で、兵たちは再び立ち上がった。
鎧を着る暇もない。
武器を拾い、馬に飛び乗り、ただ西へ逃げる。
だが、モンゴリア騎兵はどこまでも追ってきた。
一日。
二日。
三日。
逃げるたびに人数が減っていく。
傷ついた者は置き去りにされた。
馬を失った者も置き去りにされた。
歩けなくなった者も。
昨日まで肩を並べて戦っていた仲間を見捨て、それでも生き残った者だけが先へ進んだ。
そして――。
ヴァンガルド帝国の帝都まで辿り着くことができた者は、
わずか三千余りだった。
出陣した時、四万を超えていた南部諸侯軍。
その軍勢は、カルカン河畔から始まった一連の戦いによって、ほぼ完全に消滅した。
第一軍を率いたユーリー、戦死。
第二軍を率いたダニール、戦死。
第三軍を率いたムスチラフは降伏した後、処刑された。
南部を支えてきた将たちは、一人として帰らなかった。
そして、軍の壊滅と同時に別のものがエウロピア全土へ広がっていった。
恐怖だった。
街道は難民で溢れた。
家財を背負った老人。
子供の手を引く母親。
荷車にわずかな食料を積み、北へ逃げる者。
西へ向かう者。
村を捨て、街を捨て、故郷そのものを捨てて、
人々はひたすらモンゴリア軍から遠ざかろうとした。
彼らは口々に同じことを言った。
「恐怖の王が来た」
「東から、恐怖の王がやって来た」
そして、その後には必ずもう一つの言葉が続いた。
「悪魔の軍師を連れている」
誰が最初にそう呼んだのかは分からない。
だが、その噂は難民とともに街から街へ、国から国へと伝わっていった。
恐怖の王、バトウ。
悪魔の軍師、スブタイ。
その名は、軍隊よりも早くエウロピアを駆け抜けていった。
数日後。
追撃を終えたスブタイは、再びカルカン河畔へ戻ってきた。
川岸には、無数の天幕が並び始めていた。
旗が立つ。
馬が集められる。
荷車が列を作る。
東の地平線からは、今なお続々と騎馬軍団が姿を現していた。
バトウ率いるモンゴリア軍本隊である。
スブタイが出迎えの兵たちの間を抜けていくと、
ひときわ大きな天幕の前にバトウが立っていた。
「ご苦労だった」
バトウは、帰還した老将を労うように声をかけた。
「聞いたぞ。四万の軍を潰したそうだな」
スブタイは馬から降りると、軽く頭を下げた。
バトウは尋ねた。
「それで?」
その視線が西へ向く。
彼方には、広大なエウロピアの大地が広がっている。
「敵は、どれほどのものだ」
スブタイは答えなかった。
少しだけ考える。
グルジアル。
キプチャン。
そして今回のヴァンガルド南部諸侯軍。
戦ってきた敵。
逃げた敵。
降伏した敵。
そのすべてを頭の中で並べる。
やがて、スブタイは言った。
「三月」
バトウが眉を上げた。
「三月?」
「はい」
スブタイは西の空を眺めたまま続けた。
「三月あれば、エウロピア全土を落とせます」
周囲の将たちが静まり返った。
だが、スブタイはごく当たり前のことを説明するように、
その国々の名を挙げていった。
「ヴァンガルド」
一本、指を折る。
「エスカリオ」
二本目。
「グラツィア」
三本目。
「スパルーニャ」
そして最後に手を下ろした。
「すべて、我が軍門に降るでしょう」
あまりにも簡単に言う。
まるで、すでに終わった戦の結果を報告しているかのようだった。
バトウはしばらくスブタイの横顔を見つめていた。
「ずいぶん大きく出たな」
「そうでしょうか」
スブタイは首を傾げた。
そして何かを思い出したように付け加える。
「ただし、一つだけ」
「なんだ?」
スブタイは笑った。
「ロウム教皇には、寛大なるご処置を」
バトウは目を細めた。
「なぜだ?」
「すがる神も必要でしょうから」
それだけだった。
大国を四つ滅ぼす話をした直後だというのに、
スブタイの顔には、いつもの穏やかな笑みが浮かんでいた。
その背後では今も、東から新たな騎馬軍団が次々とカルカン河畔へ到着している。
コメント
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おお、第10話……めっちゃ良かったわ。スブタイの冷徹なまでの判断力と、ムスチラフの精神的追い詰められ方が対比で映えてた。特に「敵が肉を頬張ってる笑い声が風に乗って届く」描写で、時間が味方じゃないって悟る瞬間がゾッとした。そして「三月あれば全土落とせる」って軽く言い放つスブタイ、怖すぎるけどカッコよすぎる。次が楽しみすぎる🔥