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第10話 最後の旅行者
旅行雑誌のフリーライター、相沢透。
三十代後半、長めの前髪を後ろへ撫でつけ、細身のグレーのスーツを少し乱したまま着こなしている。
眼鏡の奥の瞳は鋭く、徹夜続きの取材で隈が浮かんでいた。首からは古びた記者証をぶら下げ、肩掛け鞄の中には大量の旅のノートが詰まっている。
数年前から「赤いきっぷ」の噂を追い続けていた透のポストに、ついに本物の赤いきっぷが届いた。
その日付は、彼の誕生日。
胸の高鳴りを抑えきれずに改札を通すと、電車は真夜中の線路を走り出した。
やがて車窓の外に、今まで取材で聞き集めてきた“奇妙な景色”が次々と現れる。
湖面に灯る提灯、丘の上の異形の街並み、霧に沈む渓谷、音のない町、消えた夏祭り。
次の駅で降りると、そこには十数人の人影が待っていた。
彼が聞き取材してきた、赤いきっぷを受け取った旅行者たち──しかし、どの顔も霧や影に覆われ、輪郭しか見えない。
透が一歩踏み出すと、人影たちは同時に赤いきっぷを掲げた。
その全てが、彼のノートに記した名前と一致していた。
「ようやく、来ましたね」
声はどこからともなく響き、だが誰の口も動いていなかった。
気づけば透の手のきっぷは、真っ赤ににじんで紙ではなく“肉のような質感”に変わっていた。
裏返すと、そこには彼自身の名前と“今日”の日付。
恐怖でノートを落とした瞬間、旅行者たちが一斉に彼を取り囲む。
目の前に広がるのは、どこまでも続く線路──ただしその枕木は、人の赤いきっぷで敷き詰められていた。
次の列車のライトが闇を裂く。
最後に透の眼鏡に映ったのは、自分の顔が“赤い切符の群れ”に貼り付けられてゆく光景だった。