老いたバルメロイはまだ10代のベルッティとルーニーに、歴史の話を始めた。
そうしないと、ゼゲルが逃げ込んだ反乱軍がどのような存在かが伝わらないからだ。
ある日、突然に。
反逆者ルナは「人権」というまったく新しい概念を掲げた。
人間には生まれながらに「人であるが故に持つ権利」があり。
人は人権を持つが故にその尊厳を犯しても、犯されてもならない。
つまり、奴隷であろうが自由市民であろうが等しく人は平等であり。
命は尊ばれなければならないというわけだ。
それはこの異世界においてあまりに革新的だった。
そして、革新的なだけでなく致命的だった。
なぜなら現在の帝国は奴隷を使役することで回っている。
あらゆる労役と苦労を奴隷に押しつけ、搾取することによって、上流市民は優雅な暮らしをすることができた。
その社会構造を根底から覆すルナが、反逆者となるのも当然だ。
そして、奴隷であるというだけで数多の不条理にさらされ、苦労を押しつけられている者たちには救世主にも見えただろう。
この社会構造はおかしい。
そう考えた奴隷達はまず正面から抗議し、処刑され。水面下に活動の場を移した。
当時は20年ほど前だから、奴隷の数は帝都全体の4分の1ほどだったか。
ゼゲルが愛した女給仕も、その中の一人だったというわけだ。
女給仕は反逆者ルナに心酔する地下活動家で、それもかなり過激な方だった。
故にその動きはかねてから帝国にマークされていて、遂に反乱分子の根城、酒場の地下に押し入られた。
行き場をなくした女給仕が実家を脱走したゼゲルと共に、帝国逃亡を企てるルナに加担した。まぁ理解できる流れである。
そう考えると、ゼゲルはかなり運が強い。
ルナ討伐を最初に命じられ軍を派遣したのはムンミウス家、ゼゲルの実家だ。
劣等な奴隷どもの反乱。
そう考えたゼゲルの弟は兵を率いて楽勝気分で反逆者を襲ったが、ルナの水の奴隷刻印の前に一人残らず壊滅した。
奴隷達の恨みとは恐ろしいものだ。
命からがら逃げ延びた兵士に無理矢理奴隷魔法をかけて、拷問した形跡すらあった。
新頭首となる予定の弟に花を持たせるつもりで征かせたゼゲルの父は嘆いた。
ゼゲルの父はバカにしていた奴隷どもに面子を潰され、息子二人を失った。
その上、息子の一人は反逆者に与しているのだ。
帝国の軍事を司る者としてこれ以上の失態もあるまい。
数百年続いた大家を守る為、ゼゲルの父はかつてない大軍を率いてルナ討伐に向かった。裏切り者、ゼゲルの誅伐と言ってもいいだろう。
そして、その結果は惨敗だった。
具体的にはブレオス火山に包囲されたルナは、ゼゲルの知恵を借り、ゼゲルの父の戦術のことごとくを破ってみせた。
使う戦術のすべてがゼゲルから洩れているのだから、ゼゲルの父としてはたまったものではなかっただろう。
まさか、あのダメゼゲルが教えた戦術を覚えている筈がない。
その隙を突かれたのだ。
その上、火山上部に陣取った反乱軍は一向に疲弊する様子がなく。
青白く輝く水の奴隷刻印が、奴隷達の疲労を食らい、活力を与え続けていた。
ゼゲルの父は知らなかったのだ。
ルナはかつてオレが奴隷魔法を手ほどきした3人のうちの1人であり、亜種奴隷魔法である水の奴隷刻印を操る、異例の存在。
現在でもオレが民間への流出を食い止め続けている第四、第五、第六の奴隷魔法を扱う、到達者の一人だ。
使い方によっては、第四奴隷魔法までで小国程度は落とせるので、これは相当な脅威だった。
そして、多少なりとも軍を動かせるゼゲルとは相性が良すぎたのだろう。
当時のゼゲルは上機嫌だったに違いない。
自分を認めず、地下牢に幽閉しようとした家族を奴隷達と共に惨殺できるのだ。
それも、自分が覚えた戦術で。
ざまあみろとでも言っていそうなものだ。
ルナは当時13歳くらいだったから「この反乱軍の本当の主は俺だ」くらいに思っていたのだろう。
ゼゲル。
お前、歴史上の重要人物だったのか。
まったく知らなかった。
「おい、めちゃくちゃ面白いぞ」
「やばい。ぼく、無限に記事が書けそうだ」
話を聞いていたベルッティとルーニーが歓喜の声を上げる。
面白いのはいいが、帝国を敵に回すような記事だけは書くなよ。
「でも、不思議です。反逆者ルナは黒き勇者アーカードに討伐され、奴隷達は処刑されたと聞いていましたが」
そのはずだ。
だがここに当時反乱軍に加担していたバルメロイがいる以上、全滅はありえない。
生き残りがいたのだろう。
「はは、私のような生き残りも稀にいますよ。それに、ゼゲル坊ちゃんの場合は奴隷刻印もありませんから、知らんぷりもしやすかったでしょう」
なんだ。
そもそも、バルメロイは何をしたい?
自分が反乱に加担した奴隷だと、わざわざたれ込みに来るメリットはなんだ。
それが新聞に載れば首が絞まるのはバルメロイではないか。
「ちなみに、ゼゲル坊ちゃんは逃亡中に女給仕と子供も作っていましてな。逃亡中に子作りとか、本当、何を考えていたんだか。お腹が膨らんできた時はもう、みんなでてんやわんやでしたよ。何せ、あの時は火山で籠城中でしたからね」
ゼゲル、お前。お前。
逃亡中に何やってんだ。
軍師のようなことをしていても、安定のクズだった。
おそらく降って湧いた権力に光の速度で溺れたのだろう。
「いやあ、あの時はカシア……女給仕もめちゃくちゃに怒りましてね。『ゼゲル、あんたこれどうすんだい!!』なんて、ブチギレていました」
「懐かしいですなぁ。ゼゲル坊ちゃんも坊ちゃんで、あわあわするし。みんなの前では偉そうなのに、女給仕の前では頭が下がるのがまた面白いんですよ」
懐かしそうに語るバルメロイが嘘をついているようには見えない。
だが、何だ。何が目的だ?
壁向こうでこっそりと聞き耳を立てるオレをよそに、バルメロイは続ける。
「まぁ、でも。世の中楽しいことばかりじゃあないのです」
「辛く目をつむりたくなるようなことにこそ、重要なことが隠れているもの。もし、勇気がおありになるなら、どうかこの先を記事にしてください」