コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
カーテンのせいでまだ室内は薄暗いのだが、鳥の羽ばたく音で目が覚めた。多分大量の白い鳩達の羽ばたきの音だと思う。シリウス公爵邸に居た頃に聞き齧った話によると、白い鳩の大量発生は、この国では有名な時間限定のイベントだそうだ。その話を聞いて気になって、朝起きた時になんとなく街の上空の方に目をやってみた事があったが、確かに鳥が随分と多く飛んでいるなと思いはしたけどシリウス公爵邸が街からは離れているせいで壮観さは伝わってはこなかったのを覚えている。
この時間に飛んでいる白い鳩の大半は本物の鳥ではなく、各社が発行している新聞が、形状を変えたマジックアイテムらしい。購入契約をしている各家庭などに印刷されたばかりの新聞が勝手に飛んでいって、読者の家の前に届くと元通りになるという仕組みだ。マジックアイテムを使った方がコストカット出来るからと、何年も前にセレネ公爵家が保有する新聞社が始め、今ではどこの新聞社も同じ配達サービスを利用しているのだとか。同系のマジックアイテムである“バタフライメール”とは違い、複雑な魔法を付与されていない分、配達人の賃金よりも安価に済ませられるのだろう。
(……それにしても、何でだろう?何処に行ってもメンシス様の痕跡を感じるなぁ)
羽ばたきの音を聞きながらそんな事を考え、惰眠を貪り、抱き枕の感触を楽しんでいると——
ふと、違和感を覚えた。 背中と腰がやたらと温かな気がするのだ。
不思議に思いながら抱き枕から手を離し、布団を捲って下を見る。すると私の腰に男性の逞しい腕が後ろから伸ばされた状態で回されていた。
「——っ!」
驚き、声にならぬ悲鳴をあげた。骨髄反射的に振り返ろうとしたが殆ど動けない。どうやらコレは、後ろで眠っているシスさんにがっちりホールドされている状態の様だ。背面の密着度が半端なく、そのせいで振り返る事すらも不可能なのか。
(な、な、なななな、何故こうなったの⁉︎)
ベッドの中央部に黒と白の抱き枕を二本並べ、その向こう側でシスさんは眠っていたはずだ。『まさか、寝ぼけてバリケードを突破したの?』と一瞬考えたが、私の前に並ぶ二つの抱き枕を見て考えを改めた。私が抱き枕をギュッとしてゴロンと寝転がり、また次の枕を抱き締めて寝転がったんじゃないだろうか。そしてその時に掛け布団もついでにこちら側に引っ張ってしまい、そのせいで寒くなったシスさんが温もりを求めて私の背中に——
(うん、絶対そうだ)
そうじゃないと真面目なシスさんが私を背後から抱き締めるとかあり得ない。もうここはいっそ、役得であると甘えてしまおうか。
昨日はぐっすり眠っていて覚えていないからカウントしない事として、今みたいに自覚アリで誰かと一緒に眠るだなんて初めてだからか、驚きや緊張よりも、温かさから得られる心地よさの方が優ってきた。まだ室内が薄暗いせいか瞼が重たくなってもくる。頭上には柔い頬の感触が、背中には分厚い胸板が、腰には腕を、脚には逞しい脚やフサフサな尻尾が絡んでいるだけでこんなにも心も体も温まるだなんて……。ただ、背後に当たるゴリッとした硬いモノだけが何なのかわからないが、妙にドキドキしてしまうのはなんでだろうか?
そっと手に手を重ね、緩やかに襲ってくる眠気に身を任せる。シスさんが起きた時にびっくりしちゃうかもなと思いながら、私の意識は再び眠りに落ちていったのだった。
無事に朝を迎えたが、シスさんは普段通りだった。明るく、優しく、笑顔で、照れたりしている様子は無い。そんな彼を前にして、『……あれ?』と不思議には思いつつも、ホッとしている自分がいる。
私よりも先に起きたシスさんはきっと、起きた時にはもうほぼ元の位置に戻っていたのだろう。バリケードが撤去された状態になっていたとしても、掛け布団で隠れていて気が付かなかったのかもしれないなと、二人で朝食を作りながら結論付ける。
(よ、良かったぁぁぁぁ!)
真面目なシスさんがあんな状況で眠っていたと知ったら、どう思うかわからない。私への好感度すらも一転するかもしれない。それならば知らない方が一番穏便に済むだろうから、寝返り万歳といった所か。
「そうだ、一階に新聞が届いていると思うので取って来てもらってもいいですか?その間に僕は、朝ご飯をテーブルに並べておきますので」
そう頼まれ、私は「わかりました」と、スープカップを食器棚から二つ出しているシスさんに頷きながら返した。
階段を降り、一階に行くと玄関スペースに新聞が無事届いていた。それを持ってすぐに三階へ戻る。途中で経由した二階からは物音一つせず、人の気配がまるで無い。仕事が忙しくって誰もまだ帰宅していないのだろう。帰宅も出来ない程に忙しいとか、一体どんな職業の方達が部屋を借りているんだろうか。
管理人の生活スペースに戻ると、テーブルにはもう朝食が綺麗に並んでいた。ランチョンマットを敷き、大きめのプレートに少しずつ料理を盛り付けてくれているのでとてもオシャレだ。
「新聞、ありがとうございます」
「こちらこそ、朝食を並べて下さりありがとうございました」と伝えて頭を下げる。ソファーに座ると、シスさんは「急な話ですが、今日は休暇を取ろうかと。なので貴女もお休みして大丈夫ですよ」と言った。
「まだ週末じゃないですが、何か急用でも?」
「いいえ。ただ今日も住人達が戻る予定は無いですし、掃除は明日でも問題ないかと。なので今日は一緒に魔力と神力について学んでみませんか?」
素晴らしい提案をしてもらえ、瞳が輝く。独学でしかなかった私にきちんとした座学を与えてくれるだなんてシスさんは本当に素晴らしい人だ。『雇用主だ』とか『恩人』であるという言葉だけで括っていい対象じゃない。もう救いの神にも等しい。私が信心深ければ、すぐにでも太陽神・テラアディア様に祈りを捧げていただろう。
反射的に、『いいんですか?でも、申し訳ないです』と言いそうになったが、「——ありがとうございます、とても助かります」と言葉を変えて伝えてみた。元々は私からの頼みではあるとはいえ、向こうから今日やろうと提案してくれている善意を否定しちゃいけない気がしたからだ。
「決まりですね。じゃぁ、まずは食べましょうか。十時くらいになったら始めましょう」
「はい」と笑顔で頷く。体温だけじゃなく、心まで温かなシスさんへの気持ちが、また少し……深まってしまった気がした。