テラーノベル
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チャイムを合図に玄関ドアを開けたら、絶世の美男が立っている。
——そんなシーンは漫画だけの話だと思っていたんだが、今まさに、目の前に、何でか知らんが見た事も無い美丈夫が気恥ずかしそうに立っている。そして私に向かって「お、お届け物です!」とやや大きめの声で言った。此処だけ切り取って受け止めれば、『郵便か。ポストに入らんサイズだったのか?』とか『宅配便ね、ハイハイ』って感じで終わるんだが、相手は随分と小綺麗な格好だ。配達員風の制服でもなければ、『ウチに間違って貴方宛の郵便物が紛れていましたよ』と御丁寧に届けに来てくれた隣人ですらもない。デートに行く寸前と例えるに相応しい服装をしている。
「……えっと」
対応に困っていると、彼はずいっと一通の封筒をこちらに差し出してきた。
「まずはこちらを」
「あ、はい」
戸惑いながらも封筒を受け取る。確実にポストイン出来る一般的なサイズの封筒だ。だけど宛名のみで住所が書かれていない。でも見覚えのある文字ではあったので封筒を開けて中身を改めると、私の母親の字で『アンタの結婚相手を用意してやったから』だなんて書かれていた。
「……は?」
これしか言えない。『ん?え?……何?』と脳が思考停止し、文面の意味を全然受け止められずにいると、目の前の男性が「あの、まずはお部屋にお邪魔してもよろしいですか?」と訊いてきた。大量の荷物を両手で持ち、それに加えて旅行にでも行けそうなサイズのリュックまでを背負い、おどおどとした感じで上目遣いで訊かれても、流石に『はいどうぞ!』とはならない。相手はどう見ても二十代前半だ。しかもこの筆跡が本当にトチ狂ったマイマザーのものであるという確証が無い。そもそも知らん男性を女の部屋にだなんて。それに、足を踏み入れた瞬間に別の女が現れて、『アタシの彼に手を出すな!』と大騒ぎされて金をせびられるみたいな逆美人局の可能性だってあるからだ。
……だが、捨てられた猫みたいな顔でじっと男性がこっちを見ている。
しかも外から雨音が聞こえ始めた。天候までもが見知らぬ彼の肩を持つみたいに雨音が悪化していく。昨日見た予報では『明日は一日中晴れでしょう』だったはずなんだが、急速にザーザー降りに、いやなんかもう嵐でも来たんか?くらいの雨音になってきた。それでもずっと、対応に困って途方に暮れたままでいると、ウチの部屋の前の廊下を通ろうとしている御近所さんが、まるで不審者でも見るみたいな目をこちらに向けながら通り過ぎて行った。
「……どうぞ」
悔しいが私の負けだ。流石に同じマンションの住人に不審者扱いはされたくない。
「お邪魔します!」
雨の中を追い返されずに済んで余程嬉しかったのか、彼は元気にそう言ってウチの狭い玄関に入って来た。……だがちょっと待って欲しい。こちとら彼氏いない歴がイコール年齢の独身だ。悲しい事に就職先の環境に恵まれず、所謂『社畜』状態なせいで、毎日会社と家を往復している様な日々である。週末もほぼ仕事で、数週間ぶりに得られる休日は丸々寝て消えて、食事はコンビニ弁当、日用品の買い足しはネットで、掃除洗濯はギリギリにならんとやらない生活が此処に引っ越して来てからずっと続いているとなると——
(他人が入っていい、部屋じゃない!)
「ちょっと待って!」
慌てて彼を止め、「……玄関でしばらく待っていてもらえませんか?室内が、その……」とまでは言えたが、見知らぬ他人には現状を伝える事を躊躇していると、「あ、大丈夫ですよ。『多分あの子掃除してないから』って、|千歳《ちとせ》さんから掃除道具を持参して行く様にと言われていたんで、一式持って来ました」と彼が言った。成る程、大荷物の理由は掃除道具だったのか。
(……掃除道具を、持参?——あぁっ!何だ、この人、派遣の家政夫さんか!)
彼が口にした『千歳』は私の母親の名前だ。『母から聞いているとの言葉で全て合点がいった。仕事仕事とほぼ実家にも帰らず、どうせ何もしていないだろうと心配した母が私にホームクリーニングサービスを依頼してくれたのか!
(『結婚相手がどうこう』とか、悪い冗談は止めてよね!)
心の中だけで親に悪態を吐き、でも同時に感謝もした。出来れば女性を派遣して欲しかったけど、空きがなかったのか、大惨事であろう部屋には主に男性が来るものかもしれないから文句は言わないでおこう。
流してもいない感涙を拭く様な仕草をそっとおこない、顔を上げて男性の方に改めて声を掛けた。
「えっと、じゃあ、まずはお手洗いを。その次に風呂場の掃除をお願いしてもいいですか?」
「わかりました」と男性が嬉しそうに頷き、早速準備を始めてくれる。
「あ、一応ウチにもちゃんと掃除道具はあるんで、良かったらそれも好きに使って下さい。わかりやすい所に設置してあるんで」
「はい」と快く返してくれ、男性がトイレの位置を確かめたりし始めた。その間に私は主室に行き、ちょっとは足の踏み場をどうにかしておこうかと思ったのだが、まずは忘れないうちに母親に感謝の意を伝える為に通話をする事にした。
スマホで電話をかける。通話環境をスピーカー状態にして手近な場所に置き、ゴミ袋を棚から引っ張り出していると、三回目のコールで母親が出た。『久しぶり、元気にしてた?』的な定番のやり取りから始まり、すぐに家政夫さんの話題に持ち込む。彼がトイレと風呂の掃除をしてくれている間に、少しでも主室の惨事をマシにしておきたいから出来るだけ早く通話を終えたいからだ。
「——そうそう、ホームクリーニングのサービス頼んでくれてありがとね。正直、掃除も洗濯もやる気力が無くって困ってたからありがたいわ」
『は?そんなもん頼んで無いわよ?』
「……え?」の後、二人とも黙ってしまった。
(……ちょっと待て、じゃあ、今掃除をしている『彼』は何者なんだ?)
ヒヤリと冷たい汗が肌を伝う程に私が困惑していると、母が『珍しくアンタから電話してきたって事は、もう会ったんでしょ?|寿真《かずま》君。彼イイコでしょ!逃すんじゃないわよぉ』と言った。
「——は!?まっ、え?『逃すな』って何の事?」
母の口ぶり的にどうやら完全に無関係な男性が私の部屋に居る訳ではない様だが、『逃すな』の意味がわからない。
『何の事って、手紙持たせたでしょうが、彼に。アンタの結婚相手よ!って』
「……(何してくれてんだよ)」
持っていたゴミ袋の足元に落とし、頭を抱える。去年まではずっと電話をする度に『いつ結婚するの』だ『孫の顔を早く見たい』だの『何処何処の何々ちゃんは結婚したのに』と言われ続けてうんざりしていたのが、この半年くらいは急に静かになってくれたからてっきり諦めてくれたのかと安心していたのに——
(アンタって人は!)
側に置いてあるスマホを手に取って、そのまま床に叩き落としてしまいたい気持ちを堪えていると、『彼、若い頃の私に似て清楚系だから!アンタ好きでしょう?そういう子』とか言いやがった。母親に男の好みを知られている気持ち悪さよりも、『母さんの何処が清楚系じゃい!』とツッコミたくなっていく。
『アンタは父さんに好みが似たからねぇ』と母がしみじみと言う。
『大丈夫よ、あの子はちゃんと天然モノだから!』
ガハハッと笑う母の声を聞いて、段々父親が不憫に思えてきた。『千歳さん』は清楚系だと思って結婚したら全然違てった!ってパターンだったに違いないと。それでも私を含めて三人も子供が産まれたのだから仲良し夫婦でちょっと羨ましい。
「天然って、魚じゃないんだから……」
呆れながら返すと、『忙しいアンタに代わって結婚相手を用意してやったんだから感謝しなさいよね!』と母が畳み掛ける。ならせめて見合いからにして欲しかった……と再び頭を抱えていて、ふと、今、彼が何をしているのかを思い出した。
「ごめん!電話切るね!また改めて掛けるから!」
そう言って母からの返事も待たずに通話を切った。そしてスマホはそのままに急いで風呂場に向かう。するとそこには、トイレ掃除を終え、お次は風呂場の掃除に取り掛かろうと準備を始めている『寿真さん』が居た。
「——アンタ何してんの!」
「……え?」と、彼は私の問いにきょとん顔だ。当然だ、私が自分で掃除を頼んだのだから!
「ごめんなさい!まずはお互いに情報を擦り合わせましょう!」
慌てて止めに入り、私は『寿真さん』とやらに深々と頭を下げた。
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