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絶対辰哉
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「それでは神父様、助祭様、行って参ります!」
「はい、気を付けて行ってきてくださいね。」
「日が暮れる前に帰ってくるんだよー?」
「「はい!」」
修道院の重い扉を開け、僕は突き抜けるような大声と共に一歩を踏み出した。神父様である阿部さんと助祭様である深澤さんの声を浴びる背中には大きなリュック。
隣を見上げれば、昔から一緒だったのに今や頭一つ分まで背の伸びた同じ修道士仲間であるラウールくんが、《大介くん、頑張ろうね!》といつも通りの柔らかな微笑みを浮かべて並んでいる。
僕達が向かうのは、街の外れ、陽の光も満足に届かないような薄暗いスラム街だ。 そこに暮らす貧しい子どもたちにとって、定期的にやってくる僕達…修道院の人間は、大袈裟じゃなく神の優しさそのものに見えるらしい。皆、僕達の姿を見つけると弾かれたように駆け寄ってきてくれた。
そこでの僕達の仕事は、
「さっくん…わかんない…。」
「じゃあ、この石をこっちに持っていってごらん?」
「いち、にい、さん…3!」
「…うん、できたね!凄い、天才だよ!」
俺は小さな子どもたちの目線に合わせて地べたに座り込み、算数を教える。
「ラウ兄ちゃん、これで合ってる?」
「うん、大正解!流石、飲み込みが早いね。じゃあ次はもっと難しくしようかな?」
ラウールくんは少し大きな子どもたちを集めて、すっかり大人びた頼もしい表情で数学を教えていた。 一通り勉強が終わると、僕達は待ちかねた子どもたちの前で、持ってきたリュックをパッと開く。
「はい!皆、今日もよく頑張りました!はい、お菓子!」
子どもたちの弾けるような笑顔と歓声。その最高に温かい余韻を胸に抱いて、僕達は心地よい疲労感と共に帰路についた。
「…あ、そうだ!ラウールくん、ごめん!」
修道院の直ぐ手前まで戻ってきたところで、僕はふと思い出した。
「ん?」
「神父様から、薬師さんのところに寄って、お薬を受け取ってきてほしいって頼まれてたんだった…!」
「えっ、今から?もう結構暗いよ。僕も一緒に行こうか?」
「ううん、ラウールくんは先に修道院に戻って、神父様と助祭様に『遅くなる』ってだけ伝えておいて。」
《そう?じゃあ…気をつけてね?》と心配そうに見送ってくれる彼に大きく手を振り、僕は一人、夕闇の森の道中へと引き返した。
だけど、その選択が完全に裏目に出る。
ガサリ、と不自然に草木が揺れた。 夜風の冷たさとは違う、じっとりとした生温かい気配が肌に纏わりつく。
「…ッ!?」
引き返す間もなかった。闇の隙間から勢いよく躍り出たのは、血肉を求めるコカトリスだった。 逃げる隙すら与えられない。鋭い爪が空を裂き、俺の肩口を深く抉った。
「うあ゛、っ!」
鮮血が夜の地面に飛び散り、僕はその場に激しく倒れ込んだ。肩を焼かれるような激痛に、視界が火花を散らす。 容赦なく、魔獣が追撃の為に大きな口を開け、向けられる鋭い嘴。
対抗する術なんて持っていない。僕はただ、胸元の銀のクロスを千切れんばかりに強く握り締め、瞳を閉じることしかできなかった。
(神よ…どうか、ご慈悲を…!)
直後。 森の空気を一瞬で震わせる程の、凄まじい咆哮が轟いた。
「───ッ!!」
凄絶な風圧が氷のように冷たい衝撃波となって頬を打つ。 恐る恐る僕が目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
僕の直ぐ目の前に、一匹の巨大な狼が立ちはだかっている。 月光を浴びて神々しく鈍く輝く、美しいシルバーの毛並み。そして、夜闇の中で煌めく黄金色の瞳。 そのあまりにも圧倒的な存在感とプレッシャーに、さっきまで俺をいたぶろうとしていたコカトリスの動きが止まる。
狼が更に低く、地響きのような唸りをあげる。それだけで空間が爆ぜるような威圧感が走り、コカトリスは命からがら闇の奥へと逃げ去っていった。
しんと静寂が戻る。僕は荒い息を吐きながら、その神々しい背中を呆然と見上げていた。
「…フェン リル…?」
古い伝承にある、神々をも滅ぼすという伝説の幻獣。 何故、神に仕える僕のような聖職者を助けたのだろう? 困惑と畏怖で身動きが取れない僕に、大きな狼がゆっくりと振り返った。
爛々と輝く黄金の瞳が、僕の肩の傷口をじっと見つめる。 ピクリと鼻先を動かし、血の匂いを嗅ぎ分けた狼は、ふん、と短く鼻を鳴らして、顎をくいっと動かす。まるで、《こっちへ来い》と示すように。
「あ…、」
立ち上がろうと力を込めたけれど、腰が抜けて再び地面にずるずると膝をついてしまった。
「あの、ごめんなさい。ちょっと…動けなくて…。」
情けない声を漏らした僕を見て、狼は小さく溜息を吐くように耳を伏せると、音もなくこちらへ歩み寄ってきた。 そして、躊躇うことなく、その大きな鼻先を俺の身体の下にするりと滑り込ませる。
「わっ、待ってくださ、!?」
ふわり、と身体が浮いた。 狼は器用に僕を掬い上げると、そのまま自分の広い背中の上へと乗せたのだ。固くて、驚く程に温かい銀色の毛並みに安心感を覚えた。
「あの…乗せてくれるのですか…?」
僕の問いかけに、狼は答える代わりにただ前を向いた。 のしのしと、重厚でありながら驚く程静かな足取り。 狼は、僕の帰るべき修道院とは全く逆の方向へと深い森の奥へと歩みを進め始めた。