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「ココはこんな状態だけど、これは男の本能……というか生理現象みたいなモンだし、俺は辛くないよ」
奏の艶髪に触れていた大きな手が、ゆっくりと伝い、奏の頬を撫でる。
「大概の男は、すぐにできる状況ならセックスするんだろうけど、俺は奏が何よりも大切だから、奏の気持ちを最優先したい。まして、十年間トラウマに苛まれていたんだ。俺は奏のためなら気持ちが整うまで待てるし、奏が嫌がる事だけは絶対にしたくない」
無骨な指先が、奏の柔らかな頬に触れたまま、怜は彼女の唇をそっと食む。
「奏が恋人だからこそ……俺は待てるんだと思う」
怜は、自分がこんな言葉を言っている事自体に驚いていた。
自分が、性欲を抑え込むような、強靭な精神力と理性を持っていた事に。
今まで恋人同士の関係だった女は数人いたし、身体の関係も当然あった。
時には自分の欲望を優先し、恋人を抱いた事もあった。
それが、奏に対しては彼女の気持ちを第一に考えている。
昨夜、奏の身体に愛撫を施している時、怜の表情に中野の幻影が重なり、突然表情が恐怖に満ちたものへ変わったかと思えば、身体を硬直させて怯えていた様子を目の当たりにした、というのもあるかもしれない。
(今まで、俺は好きな女に対して一途だという事は自負していたが……奏への想いだけは別格だな……)
美しい顔立ちに浮かぶ小さな花弁に、怜は再び唇を重ねた。
とはいえ、奏がまだ浮かない表情を映し出している。
「奏? まだ何かあるんじゃないのか?」
奏は考えていた。どうして怜さんは、私の表情を見るだけで、何かを考えているって事がわかるのだろう? と。
(私って、思っている事が顔に出やすいのかな……)
心に思っていた疑問を、そのまま怜に伝える。
「私って、思ってる事が顔に出るタイプ……なんですかね?」
「ああ。実はかなり顔に出るタイプだと思う。でも、それが本来の奏なんじゃないか、とも思う。俺に言いたい事や聞きたい事、まだあるんだろ?」
ある。たったひとつだけ。
——かつての恋人、今は怜の双子の兄、圭のフィアンセでもある園田真理子も抱いたのだろうか?
けど、過去の恋人に嫉妬してるなんて怜が知ったら、呆れられるかもしれない。
怜は奏に視線をぶつけながら、彼女が言葉を発するのを待っている。
卑怯だとは思うが、園田真理子の名前を濁すように、こわごわと怜に質問した。
「…………彼女の事も……抱いたんですか?」
「彼女?」
怜がきょとんとした面差しで奏に聞き返すと、彼女は辿々しく頷く。
「奏? 彼女って……誰の事を言ってるんだ?」
怜は、本当に誰の事を言っているのか分からないようで、彼は片手を顎に添えながら逡巡している。
それに、怜の過去の恋人に関する事は、彼の口から一度も聞いた事がない。
園田真理子の事も、ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツの創業記念パーティの後、奏が帰りがけにパウダールームへ寄る際に偶然聞いた事だ。
以前、怜に車で自宅まで送ってもらった時に、奏が一度だけその名前を出したが、彼はその事を忘れているようだった。
寝室を覆っている沈黙の空気に耐えきれなくなった奏は、勇気を出してその名を告げる。
「園田真理子さんの事も……抱いたんです……か……?」
過去の恋人の名を、今の恋人からフルネームで言われた怜は、涼しげな奥二重の瞳を徐に見張り、険を纏った表情に急変させた。