テラーノベル
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席を外していた兄が戻って来たのは、私がどっと襲って来た疲れを持て余している時だった。
兄は私の様子を見て苦笑する。
「お疲れさん。どうだ。うまくかわせたか」
「だめっぽい」
兄は近くにいたスタッフーに声をかけて、新たに白ワインを二つ頼む。
それを横目で見ながら、私はぐったりとテーブルの上に腕を乗せた。
「明日釣り書きとか持ってくるって言ってた。この休みの間はずっとこっちにいようと思ってたけど、今日のうちにさっさと帰っちゃおうかな」
「一回くらい、別にいいんじゃないの?もしかしたら、いい出会いになるかもしれないだろ?実際に会って、合わないと思ったら断ればいいんだから」
「だったら兄さんはどうなのよ。順番的に言って、諸々兄さんの方が先でしょ。伯母さんに言ったら、すぐにも見合い話、持って来てくれるよ」
兄は運ばれてきたワインを美味しそうに喉の奥に落としてから、澄まし顔で笑う。
「俺はいいの」
「どうして?」
「だって、いるから」
「えっ。いるって、彼女?」
「俺には一生そういう縁がないとでも思ってたか?」
兄はわざとらしくむくれた顔を作る。
「だって、今までそんな話、聞いたことがなかったもの。いつから?どんな人?その人との結婚、考えてるの?」
「そういう話、今はいいだろ」
兄が照れる顔は貴重だ。
「妹としては聞きたいよ。お姉さんになる人かもしれないんだもの」
「また今度な。近いうちにウチに来ることになってるから、もし都合が合うなら会いに来てみれば?」
「行く!その時は早いうちに予定知らせてよ」
「はいはい」
兄は苦笑し、それからふと思い出したように言う。
「ところでおまえ、征也とは会ってんのか?」
「あぁ、うん。たまにね」
私はさり気なく兄から目線を逸らす。
恐らく兄は、私が征也を本気で好きだったとは思っていない。そして、最近征也に失恋したことも知らないはずだ。
「そういや、あいつ彼女ができたんだろ?いつだったっけな。用があって電話した時があって、その時聞いたんだった。彼女と飲みに行った店で、偶然お前に会ったとも言ってたな。なぁ、その時の征也は幸せそうにしてたか?」
「幸せそうっていうか、まぁ、にこにこと嬉しそうにしてたかな」
「そっか」
どこか含みのある兄の相槌が気になった。
「あの二人、何かあるの?」
「何かっていうか」
「うん、何?」
私は兄の言葉の続きをじっと待った。
言おうかどうしようか迷うように、兄はしばし宙を見上げていた。しかし、俺が言ったことは内緒だぞと前置きして、おもむろに口を開く。
「相手は征也の元カノなんだ。高校時代の」
「高校時代?」
「その時別れた理由が、相手の浮気だったんだ。まぁ、高校生の浮気なんて可愛いもんだけど。それでもあの時のあいつ、だいぶ傷ついてたみたいだったからさ。あれからもう二十年近く経ってはいるけど、またヨリを戻したって聞いて、ちょっと心配だったんだ」
そういうことかと今になって腑に落ちた。これまで征也に特定の女性の影を感じなかったのは、その彼女のことをずっと忘れられずにいたからだったに違いない。
「外野がとやかく口を出すことじゃないし、あいつが幸せならそれでいいんだけどな」
「そう、だね……」
私はぼんやりとした頭で兄の顔を見返した。これまでの十数年間、自分の方を決して振り向くはずのない人を、ずっと想い続けていたのだ。失恋に対する心の整理はついてはいたが、決して短くはないこの年月を思うと、ふっと脱力感を覚えてしまう。
急に静かになってしまった私を、兄は怪訝な顔で見た。しかし何かを察したらしくはっとした顔をし、まるで励ますかのように私の頭の上にぽんと手を乗せた。
「俺の妹なんだから、その気になればすぐにも相手なんか見つかるさ」
「別に私、焦っても急いでもいないけど」
苦笑いをする私に兄はくすっと笑う。
「何も恋愛や結婚が全てじゃないだろうけど、思い思われる相手がいるっていいもんだぜ。そういえば、確か二次会があるんだよな。お前も誘われてたろ?行ってみたら?そういう相手に出会えるかもよ」
「行かなくてもいいかな。そういうのには向いていないみたいだし。この前初めて合コンに行った時も、うまく立ち回れなかったもの」
「そんなこと言ってると、今回に限らず、下手をすれば決まるまで、孝子おばさんが次々と見合い話を持ってくるんじゃないのか」
「え、それは嫌だな」
元気な声が割り込んできたのはこの時だ。
「美祈ちゃん、悠生君、飲んでる?」
従妹の亜由美だった。昨年大学を卒業し、今は地元の企業で会社員として働いている。
「ねぇ、二人とも二次会行くよね?」
「俺は行けないんだけど、美祈は迷ってるところ」
「え、悠生君、来ないの?」
亜由美は、私が迷っていることよりも、兄が不参加なことの方に反応した。それもそうよねと、私はそっと従妹の横顔を見上げる。それが恋心なのか、それともブラコンのようなものなのか私には判断がつかないが、彼女は兄のことが大好きなのだ。
「久しぶりにゆっくり飲めると思ったのに。一緒に行こうよ。新吾君と誠人君も行くっていうし。二次会に来るすみれ姉の友達が、ウチのイケメン従兄たちに会いたがってたんだよ」
「なんだ、それは」
「ね、行こう?」
頷かない兄に亜由美は食い下がる。
「また今度な」
「えぇぇ……」
亜由美はふくれっ面をして見せた。しかし兄に全く頷く気がないことを悟り、それ以上強く誘うことは諦めたようだ。
「残念すぎ」
がっかりした顔で亜由美が言った時、新郎新婦の再入場を告げるアナウンスが流れた。
「席に戻んなきゃ。美祈ちゃん、迷ってるとか言わないで、行こう。後で店の場所、教えるね。悠生君も、また。今度絶対に飲みに連れてってよね」
「そのうちにな」
曖昧な兄の言葉に亜由美は不満そうに唇を尖らせた。しかし兄に笑いかけられて、釣られたようにふっと口元を緩めると、慌ただしい足取りで自分の席へと戻って行った。
その背中を見送っていた私に兄は言う。
「とりあえず、俺の代わりに楽しんで来い」
「楽しめるかなぁ」
「不安なら新吾たちの隣にでも張り付いてろ」
兄は苦笑いしながら私にそんなアドバイスをよこした。
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