テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ユザーナの将来を想い身を引いたメリエムだったけれど身寄りもなく、母国に帰ることもできない。ティアを産み育てるには、とてもいい環境とは言えなかった。
身一つで飛び出したメリエムは、悩み抜いた末、覚悟を決めてとある娼館──メゾン・プレザンの門を叩いた。
既に現役を引退して女主となっていたマダムローズは、すぐにメリエムがユザーナの婚約者であることに気付いた。
けれども頑なに、ユザーナのことを口にしないメリエムを見て、マダムローズは深く追及することなく迎え入れることにした。建前上、下働きとして。
マダムローズとバザロフは、開戦直前からの関係で、バザロフとユザーナは反りは合わないが、背中を預けて戦った戦友だ。
メリエムがメゾン・プレザンに居ることはマダムローズからバザロフに伝わり、そしてユザーナの元にもすぐに伝わるのは必然だった。
もちろん必死にメリエムを探していたユザーナは、すぐさまメゾン・プレザンに足を向けた。何度も通い、メリエムに、屋敷に戻ってきて欲しいと懇願した。思いつく限りの提案もした。土下座など数えきれないほどした。
けれど、メリエムは一度も首を縦に振ることはなかった。
ユザーナはこの時、宰相補佐だったが、近いうちに宰相となることが決まっていた。メリエムはそれを知っていた。
「私たちは生きる世界が違うの。もう二度とここには来ないで」
メリエムはユザーナを想う気持ちから、冷たく突き放した。
ユザーナがメゾン・プレザンに足を向けることができなかった間に、メリエムは流行り病であっけなこの世を去った。
バザロフ伝手に訃報を聞いたユザーナは、メリエムが死んだのは自分のせいだと強く責め、罪悪感から、ティアに会いに行くこともできなかった。
自分の娘から罵られることが何よりも怖かったユザーナだが、ずっとずっとティアを見守っていた。
犬猿の仲であるバザロフに恥をしのんで頭を下げて、ティアの動向を常に聞いていた。
話を聞くたびに会いたい気持を押し殺し、ひたすら自分を責め続けていた。贖罪の方法をずっと考えていた。
マダムローズがユザーナのことを意気地なしと嫌っているのは、そこにあったりもする。
「───君のお母さんがメゾン・プレザンに身を寄せたのは、私の責任だ。本当にすまなかった」
長い昔話を語り終えた後、ユザーナは深いため息を落とし、苦渋に満ちた表情を隠すようにテーブルに肘を付き、そのまま組んだ指に額を押し当てた。
「今でもあの時のことを夢に見る……。メリエムが消えてしまった空っぽの部屋を。いや、こんなことを言っても詮無いことだ。忘れてくれ。とにかく、すまなかった」
甘い甘い恋バナと思いきや、まさかの懺悔であったことに、ティアは複雑な心境になる。
ただ、これだけは確認しておきたい。
「あの……つかぬことを聞きますが、ユザーナさまは母と会った時、もしかして背中にお怪我をされてましたか?」
てっきり恨み節が始まるのかと身構えていたユザーナは、弾かれたように顔を上げ、目を丸くする。
「あ……ああ。矢が肺まで届いていた」
良く母が見つけるまで生きていたなと、ティアはユザーナの生命力に感心した。
「お母さ……あ、母の背には、何年たっても消えない傷が残ってました」
「……」
「私、昔、聞いたことがあるんです。『どうしてこんなところに傷跡があるの?』って」
「……」
「母はこう言いました。大切な人の命を救った勲章だと」
ティアが言い終えると、ここでユザーナは瞠目した。細い眉は苦しげに歪み、瞼は震えている。
それでもティアは、言葉を続ける。
「この傷跡を見るたびに、その人のことを思い出せる宝物だとも言ってました」
どうしてこんな大切なことを忘れてしまっていたのだろう。
善良なお騒がせな市民からではなく、ティアはもっと前から、知っていたのだ。移し身の術を使うことができる人間にしか持てない宝物があるということを。
ティアは、そっと左胸に手を当てた。自分のここにも、宝物がある。
「そうか」
ユザーナは、噛み締めるように呟いた後、少し置いてもう一度同じ言葉を繰り返した。
二度目の「そうか」には強い後悔と、それを凌駕する愛おしさがあった。
「あのですね。私はとても幸せなんですよ。ユザーナさま」
知りたかったことは、全部聞いた。伝えたいことも、全部伝えた。
だからティアは、この場を締めくくる言葉を紡ぐ。
「身寄りのない私は、本来なら娼館で客を取らなくてはならないはずなのに、マダムローズはそれを禁じてくれました。それに娼館の皆さんは、私にとても優しいです」
──母も、とても幸せだったんです。
ティアは、一言一言紡ぐたびに、胸が温かくなる。
ティアとメリエムは全く同じ運命を辿っていた。一人の男性の命を救い、その男に恋をして、好きな人の為に身を引いて。
ずっとティアは、自分の母親が望まぬ運命に翻弄された不幸で可哀想な人間だと思ってきたけれど、違った。母親はとても幸せだった。
そのことを知ることができて、ティアはとても幸せだった。嬉しかった。
「母とユザーナ様のこと、聞かせていただいてありがとうございました」
そう言ってティアは、ユザーナに向かって深く頭を下げた。