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昼休みの教室。がたん──と椅子の音が響いた瞬間、遥の身体が床に投げ出された。
机の脚が無遠慮に引かれ、バランスを失った肩が、無防備なほど静かに落ちていった。
乾いた衝突音。
それと同時に、教室のどこかで笑い声が弾ける。
「うわ、見た? まじでまた転けた」
「反射神経ゼロ〜。てか、どんくさ」
誰かが、床に倒れた遥のシャツの裾を引き上げた。
ぴり、とボタンの糸が音を立てて千切れ、制服の首元が開く。
下に着ていたインナーが露出する。薄い布の下に浮かぶ鎖骨の形を、男子の視線がなぞった。
「お〜い、日下部いねーから、しつけなおしタイム入ります〜!」
「こいつさ、最近ちょっと“開発済み”っぽいよな? なぁ?」
口笛が教室の空気を切る。
誰も止めない。
誰も、目を逸らさない。
女子たちは無言で弁当をつつきながら、視線だけを遥のほうへ向けている。
それは“同情”ではない。ただ、“場に加担している”という意思表示だ。
冷たく、無関心で、けれど確実に“加勢している”空気。
誰かが、遥の背中に足を当てる。
ぐっと押されて、額が床すれすれになる。
「おーい、顔見せろって」
指が、顎にかけられる。
無理やり上を向かされて、遥は薄く目を開けた。
焦点は合っていない。
どこか遠くを見つめていた。
唇の端に、小さな笑みのようなものが浮かんでいる。
それは──「諦め」だった。
「……はぁ、まじウケる。この顔。やっぱ快感覚えたやつって違うわ」
「どっちに突っ込まれてもいけるクチだもんな?」
男子たちが笑う。
笑い声は軽い。重さがないぶん、刃物のようだった。
女子のひとりが、ペットボトルの水をわざと零す。
遥の制服の上半身に、それが音もなくぶちまけられる。
濡れた布が肌に張り付き、透けたラインに、誰かが低く口笛を吹いた。
それでも、遥は黙っていた。
睫毛の下、濡れた頬にかすかな震えがあった。
けれど、それは“泣いている”のではない。
あまりに静かに、あまりに自然に──まるで“そうされるのが当然”であるかのように、受け入れているだけだった。
(……日下部は、知らない)
遥の中で、ひとつの確信が沈んでいく。
背中に受けた衝撃よりも、制服が濡れた冷たさよりも、
この「誰も止めない空気」が、何より痛かった。
(……オレが、壊した)
口元の笑みが、ほんのすこし深くなった。
それはもう、笑みでもなんでもなかった。
ただ、誰かが望んだ「表情」を演じているだけだった。
──沈黙が、すべてだった。
そして、それは遠くの廊下に、足音が近づいてくる音をかすかに孕みながらも──
誰にも知られず、誰にも止められず、
その昼休みの中に、深く沈んでいった。