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流れ落ちた涙が、首筋を静かに伝っていく。
「……復讐劇のシナリオ?」
茫然としたまま、消え入りそうな声で呟いた。
「そうだよ。
一緒にあの二人を懲らしめてやろうよ。
悪いことをしたら、お仕置きが必要でしょ?
まずは、あの小娘から地獄へ突き落としてやろうか」
直江先生は私の涙を指先で拭い、不敵な笑みを浮かべた。
地獄へ突き落とす……。
楓ちゃんを?
……遼を?
「……」
頬へ触れる彼の手を振り払う気力もなく、私は声も出せないまま、ゆっくりと瞬きをした。
その時――
扉の向こうで、自動扉が開く音が響いた。
私はビクッと肩を震わせ、反射的にモニターへ視線を飛ばす。
すると、先ほどまで二人を照らしていたライトは消え、真っ暗なオペ室には非常灯の赤い明かりだけがぼんやりと浮かんでいた。
……いない!?
二人の姿を必死に探す。
しかし、動く影はどこにも見当たらない。
「まずいね。
戻って来ちゃった」
直江先生が声を潜めた。
静まり返った廊下へ、二人分の足音が規則正しく響く。
……こっちへ来る!?
近づいてくる足音へ神経を研ぎ澄ます。
張り裂けそうな恐怖に、心臓は激しく脈打ち、血流が一気に全身を駆け巡る。
床へ崩れた身体を慌てて起こそうとした、その時――
「そのまま動かないで」
直江先生はモニターの電源を切ると、小さく囁き、部屋の照明を消した。
「こっち……」
万が一、扉が開いても死角になる、扉の開閉側の壁際へ私を手招きする。
私は引き攣る顔のまま、四つ這いで這うように壁へ身を寄せた。
日中でも光の差し込まない閉鎖された空間に、スリッパの音だけが静かに響いている。
気怠そうに踵を擦る音。
そして、ペタペタと控えめに続く小さな足音。
二つの足音が重なり合いながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
私は床へしゃがみ込み、壁へ背中を丸めるように預けた。
両手で口を塞ぎ、息を殺したまま瞼をきつく閉じる。
……もし、この扉が開いたら?
もし、二人に見つかったら……?
どうして私が直江先生とここにいるのか――問い詰められたら?
……
……違う。
責められるのは私じゃない。
悪いのは、あの二人だ。
それなら、この場で怒りをぶつける?
……駄目。
こんな精神状態で、まともに話なんてできるはずがない。
私はどうしたらいいの……。
受け止め切れないほどの衝撃に、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
小さく丸めた身体が、恐怖に震える。
「大丈夫だよ……」
直江先生が隣からそっと私の肩を抱き、小さく息を呑んだ。
私は吐き出しそうになった息まで押し戻すように、手のひらを強く口へ押し当てる。
ちょうど、その時だった。
扉の前を二人が通り過ぎる。
「先に戻る……」
夫の低い声が耳へ届いた。
私はその声に反応するように、口を塞いでいた手をわずかに緩め、ゆっくりと瞼を開く。
「うん。じゃあ……またね」
夫の声に続いて聞こえてきた、甘く蕩けるような女の声。
――じゃあ、また?
「……」
胸の奥から、どす黒い感情がゆっくりと湧き上がる。
「……楓ちゃん」
その名を腹の底から絞り出し、床の一点を鋭く睨みつけた。
「シッ……
まだ駄目だよ。
時間差で出ていくみたいだから……」
直江先生が耳元で静かに囁く。
見開いた瞳は血走り、私はギリギリと歯を食いしばった。
やがて、オペ室と渡り廊下を繋ぐ大きな扉が開かれた。
扉が閉まる音に続いて、
「クシュッ」
と、小さなくしゃみが聞こえてくる。
「あらら……。
真夜中のオペ室は冷えるからね。
肌を露出したままでいたら、風邪をひいちゃったかな」
直江先生はくくっと喉を鳴らした。
「……どうして私が、こんなふうにコソコソしなきゃいけないの……」
直江先生に肩を抱かれたまま、誰に聞かせるでもなく、怒りを押し殺した声が零れた。
「ん?……
確かに悪いのは、あの小娘たちだからね。
今すぐ飛び出して、ひっぱたきたいくらい憎いよねぇ」
「ずっと……
ずっと仲良くしてたのに……。
どうして遼なのよ……
どうして?
いつから?」
私へ屈託のない笑顔を向けてくれていた彼女の姿が、走馬灯のようによみがえる。
「友達みたいに仲良くしてた子なのに……
どうして……
どうして、こんなことができるの?」
悲しみ。
悔しさ。
怒り。
交錯する感情が塊となって胸の奥からせり上がり、床を睨みつけていた瞳から再び涙が溢れ落ちた。
「好きな男を懸けた女の友情なんて、そんなものだよ。
男のために、自分の子供さえ殺す女もいる。
『女は女を裏切る生き物』
亜紀さんが珍しいくらい純真なんだ」
直江先生は私の横顔を痛ましげに見つめ、大きくため息をついた。
「……女は女を裏切る……」
「そう。
人は誰でも、心の奥底にどろどろとした感情を隠している。
それを認めてしまえば、もう何も怖くない。
友情は、あの小娘があっけなく壊したんだ。
それに――
さっきの映像は録画してある。
裏切りには、それに相応しい裏切りを……でしょ?」
そう言って私の肩を軽く叩くと、直江先生は立ち上がった。
「あ……。
彼女も帰ったみたいだね」
再び開く扉の音へ耳を澄ませ、小さく息を吐く。
「取りあえず、このDVDは俺が預かっておくよ。
こんなもの、亜紀さんだって自分で持っていたくないでしょ?」
直江先生は機械から取り出したDVDを人差し指に通し、くるくると弄んだ。
「………」
私は顔を上げ、あの残酷な映像が封じ込められたDVDをじっと見つめる。
「あなたには、頼らない。
私のやり方で決着をつける」
それだけを言い残し、彼女を追いかけるようにモニター室を飛び出した。
コメント
1件
うわ……この回、重すぎて息できなかった(涙) まさか楓ちゃんが……しかも直江先生の“復讐劇のシナリオ”って言葉がすごく怖かった。 でも、亜紀さんの「あなたには頼らない。私のやり方で決着をつける」って台詞、ゾッとするほど強くて、そこにすごく惹かれました。 この怒りと悲しみ、どう決着するんだろう……次が待ち遠しいです🥀🤍