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一方その頃——
午前九時。カバール村の商店街の一角にあるベンチに焔とリアンが座っている。 ソフィアとの待ち合わせ時間ギリギリに到着したくせに、手にはちゃっかりとメキシコ料理であるタコス風の軽食とカツサンドっぽい物を持っていた。二つとも宿屋から待ち合わせの場所に行くまでの短い道中で買ったものだ。デートコースに適した場所なんかほぼ皆無な狭い村ではあるが、食事には拘りのある者が多い様で、ここは規模の割には飲食店が比較的多めである。朝だからか持ち帰り出来る軽食が多数店先に並んでいた。食事の必要が無い二人だが、焼き立てのパンやお肉の持つ匂いの誘惑には、どうやら勝てなかったみたいだ。
「美味いな」
モグモグとタコスとカツサンドとを交互に頬張る焔はほっぺたが軽く膨れていて何だかちょっとハムスターっぽい。そんな姿がリアンのツボに入らないはずが無く、そっと自分の分も差し出しながら「こちらもどうぞ」と焔に言った。
「いいのか?」
「もちろんです」
「じゃあ食べるか」
「えぇ、どうぞ」
ペロリと自分の分を食べ終わり、リアンの手から彼の分も受け取って焔が食べていく。貪欲な気質の鬼らしい食いっぷりに対し、うっとりとした瞳でリアンは焔を見詰めた。
「それにしても……ハグッ、遅いな。もぐっ……ソフィアの奴」
唇についたタレを舐め取り、包み紙から指へとこぼれ落ちてしまったカツサンドのソースも舐めようとしたのだが、焔は腕をがっしりと掴まれ、指の方はリアンによって先に舐め取られてしまった。
「……お前は犬か?」
「望まれればバター犬の真似だって致しますよ、主人の為でしたらね」
「……ばた?」と言って焔が首を傾げる。コレは、バター犬が何かがわからないのだとすぐにリアンは察したが、ニコッと笑ってさらりと説明を省略した。
「しかし、珍しいですね。時間には厳しいお方かと思っていたので驚きです」
周囲を見渡してみたが、ソフィアらしい姿はまだ無いままだ。 時間通りに彼が来ないなら来ないで焔と二人きりで居られる時間が増えるだけなので嬉しい限りではあるのだが、何かあったのだろうか?と心配にもなった。
「来ないな。……なぁ、待ってる間に、フルーツジュースも飲みたいと思わないか?」
「飲みたいのですね?では、私が買って来ましょう」
近所から香ってきた甘い匂いの誘惑に今度は負けた様だ。でもそんな焔も可愛いので、リアンは自ら進んでジュースを買いに離席したのだった。
約十分後。
ジャンボサイズの苺ジュースを片手にリアンが焔の元まで戻ると、ソフィアが主人の前で浮いていた。すぐ隣には知らない男が立っており、オドオドとした顔をしている。自分とすれ違いで到着した事は見ただけですぐに理解出来たが、『その男は誰だ⁈』と、疑念に満ちた顔にリアンはなった。
見知らぬ男の軽く湿った髪はボサボサで、直前までタオルで頑張って拭いていたといった雰囲気だ。着ている茶色い服は小汚く、ダサくってオマケに野暮ったい。腰には革製の鞘がぶら下がっており、その中には鉈が入っている事は鞘のラインから見て取れた。が……『誰なんだ一体。俺の焔にソフィア以外は近づくな』と考えてしまい、リアンは思考が上手く働かなくなった。
「戻ったか、リアン」
リアンの姿に気が付き、焔が手を軽く上げる。そんな焔の傍にリアンは駆け寄ると、同じベンチに座ってピタリと彼に体を寄り添わせた。
「はい。こちらをどうぞ、主人」
そう言って、心の中とは裏腹に、とびっきりの笑顔でフルーツジュースを焔に差し出す。
「悪いな、ありがとう」
嬉しそうに口元を緩ませながら焔はそれを受け取ると、使い捨てのカップに刺さっているストローを咥えてズズズッと一気に飲み干していった。
「——で?誰だお前は」
プハッとストローから口を離し、カップを持ったまま焔が男を指差す。ベンチに深く寄り掛かり、脚を組んでいるもんだからとっても偉そうに見えるが、パーティーメンバーのリーダーなので誰も『上から目線だな』とはつっこまない。
ヤンキーか⁈みたいな雰囲気なうえに、目隠しをしている鬼にしか見えぬ者を前にして、男は先程からずっとソフィアの隣で肩を震わせていた。『誰だ?』の一言が一押しになり、男がギュッとソフィアにしがみつく。「ひぎっ」と情けない声をこぼしたが、仕方ない事だとリアン達は揃って思った。
「聞こえていないのか?その耳は飾りか?」
問い方が厳しく、斜に構えたような態度のせいで、ソフィアを掴む男の手に力が入る。
「あ、あの……名前っすけど……」
「名前なんか訊いてない。『お前は誰だ?』と言ったんだ」
「へ?あ、えっと……名前じゃないけど、『自分は誰か』とか……え?それって、何て答えたらいいのか……わ、わかんないっすよ?まさか、哲学的はアレっすか?」
視線を逸らし、男がボソボソと呟く。 こんな状態では埒が明かないと判断したソフィアは、男を連れてきた責任を取り、助け舟を出してやる事に決めた。
『大急ぎで朝風呂にぶち込んで来てもサッパリ小綺麗にすらならなかった彼はですねぇ、山賊さんです』
「山賊?じゃあ、この世界の人間か」
「いや、違うっす。多分自分……異世界に飛んできたアレっす」
「アレ?アレって……何だ?」と言いながら、焔がリアンに助けを求める。ソフィアにではなく、焔が自分を頼ってくれた事でリアンは心を弾ませた。
「主人と同じく、己は異世界転移者である——と言っているのだと思いますよ」
「……へ?アンタも異世——」とまで口にした辺りで、男はリアンの手で口を瞬時に塞がれ、ソフィアは男の手からサッと逃げ出した。
「主人を軽々しく呼んでいいのは——……ゴホンッ。とにかく、素知らぬ貴方が、気安く主人を『アンタ』呼ばわりする事は許せませんねぇ」
不穏なオーラを漂わせつつも、顔はニッコリと笑っているせいで余計に怖い。自分以外が少しでも焔を卑下する様な発言をした事が許せなかったが、焔では無い者に触れ続けるのも気持ちが悪い。なのでリアンは即座にパッと男の口元から手を離すと、何事も無かったみたいに焔の隣に寄り添って座った。
「異世界転移者?なのに『山賊』って……何故じゃ?」
「ソレな!」と叫び、男が焔達を指刺す。
そして男は決壊したダムから溢れる水の様な勢いで、突如ベラベラと喋り始めた。
「自分、異世界転生とかそんな作品がめっちゃ好きで、いろんな作品読み漁ってたんっすよ。んで、『やっぱ異世界で最強系』って最高じゃないっすか!現実では全っ然冴えない自分でも、違う世界では『世界を救う唯一の救世主』だったり、『超ハイスペック独走系』で仲間よりもダントツで強くって、羨望の眼差しを一身に浴びながら敵を千切っては投げ、千切っては投げてってしたいじゃないっすか!もしくはアレっすね、『オレ実はすげぇ能力が眠ってるのに冷遇しちゃっても後悔しない?』って感じもイイっすよねぇ。なのに、なのにっすよ⁈異世界転生とかガチで出来るって噂のある神社で噂通りの行動して、んでもってそれが奇跡的に不思議と成功して、『なんかぁゲームの世界っぽい場所への転移に成功したかもしれんぞ?』って思ったのに、最初の異空間で選べる職業が“山賊”・“海賊”・“盗賊”ってどういう事⁈って感じじゃないっすか!だから自分、『なんだぁ、コレ夢かよ。失敗かよ、やっぱネットの噂なんてアテになんないっすね』って思ったワケっすよ。んならもう名前とかもいつも通り巫山戯たくな——」と、怒涛の勢いで話す言葉を、焔が男の足に容赦無い蹴りを入れて止めた。
「煩い。黙れ、長い。もっと簡潔に言えないのか?」
チッと舌打ちする姿はもう極道っぽい。目元が隠れていてくれて本当に良かった。
「……職業は『山賊』。ゲームネームは……ひ、ひ…… 『昼下がりの人妻』っす」
「夢だと勘違いしたとはいえ、随分と冒険しましたねぇ。アンタは馬鹿ですか?」
焔の隣に座るリアンが、呆れ顔で言った。
「イヤ、だって、だって……真面目なシーンとかで、めっちゃシリアスなキャラクターが、んな名前を呼んでいたら面白いじゃないっすか。『助けに来たぞ!昼下がりの人妻』とか『昼下がりの人妻、愛してるぞ』とか、『昼下がりの人妻、君しか頼れる人がいないんだ……』とか、めちゃくちゃウケるじゃなすっすか。“あああああああ”でも良かったんすけど、どうせなら——」
「いちいち長いぞ、昼下がりの人妻」
スッと冷めた声で焔に言われ、男は——『昼下がりの人妻』は即座に黙った。
彼は、焦ると逆によく喋ってしまうタイプのコミュ障である為、焔の怒気に当てられるとかなり怖い。でもそれ以上に思う事があり、項垂れ、おずおずとした態度ながらも、再びゆっくりと口を開いた。
「すんません……本名の、片橋五朗の方で呼んでもらっていいっすか?画面越しじゃないと、んなふざけた名前って、マジでガチですんげぇかなり恥ずかしいんで」
『五朗さん、ですか。“昼下がりの人妻”と比べると、随分平凡なお名前だったのですね』
「そう、なんすよ。だから……あんまし自分の名前って、好きじゃなくって」
「それで?昼さ——五朗とやらは、どうして此処に居るんですか?」
さっさと消えろ。と、リアンの瞳は語っている。
「実はその……パーティーメンバーに、自分も入れて……もらえないかと思って……」
焔が何かを言う前に「いやです」とリアンが先に答えた。
「我々は現状で何一つ困っていませんので。主人とソフィアさんと私だけでもう完成しているんです。これ以上、何かが入る隙間はありませんよ」
ニッコリと微笑むリアンの顔が、完璧過ぎて気持ち悪い。
「お願いっす!自分、ソフィアさんに一目惚れして、このままサヨナラとかマジ勘弁なんで!」
「……は?」
『わぁ』
「——ん?」
焔、ソフィア、リアンの二人と一冊が同時に驚き、ボソッと呟いた。
「おい、リアン」
リアンの服の胸倉を引っ張り、耳元で囁くみたいな声量で焔が声を掛けた。 吐息が混じり、ゾクッとリアンの背筋が快楽に震える。此処が外でなければ確実にこの流れで焔を押し倒していたところだ。
「一目惚れと言ったか?コイツは」
「は、はい……あ、んっ。ち、近い、ですっ」
どうやらリアンは、焔の温かな吐息のせいで会話に集中出来ないっぽい。
「恋愛うんちゃらのせいか?」
「BL恋愛、んん、シミュレーションゲームの、あっ、……世界だからか?と言う話し、ですか?」
いちいちリアンの発する言葉が途切れるが、好きな相手の吐息なのだから仕方ないだろう。
「……おい、どうかしたのか?反応が可笑しいぞ?」
「ひぅっ!」
一層近づいて訊かれたせいで、もうまともに返答が出来なかった。
「えっと……すみません。多分違うのではないかと思いますよ。単純に、ソフィアさんが彼の好みに刺さったのではないかと。どこらへんがかはわかりませんけど」
感じた快楽で跳ねた背をそっと伸ばし、胸倉を掴んでいる焔の手に手を重ねる。
(ったく。意図的じゃないアンタのその行為がもう、すぐにでもまた喰べちゃいたくなるじゃないか!)
可愛い・愛しい・犯したい。 笑顔を崩さぬまま、リアンが『どうやったらまた二人きりになれるのか』を考える始める。
『一目惚れ……ですか。自我を持って幾百年も経ちますが、初めての経験です』
驚き、でもソフィアはちょっとだけ、本当にちょーっとだけ嬉しそうだ。
『でもまぁそれって、ワタクシの実態が男の日本人形であると、知らないから言える一言ですよねぇ』
ふぅと息を吐きながら、ソフィアがこぼす。だが五朗の方は眼鏡の奥で瞳が輝き、今世紀最高の宣言を聞いたみたいな顔になった。
「に・ほ・ん・に・ん・ぎょ・う!」
祈るみたいに顔の前で手を組んでいる五朗の歓喜具合は異常だ。鼻血がツツッと軽く流れ出て、彼は慌てて手でそれを押さえた。
「や、やべっ……ちょっと勃ってきた」
「変態だ」
「変態ですね」
『変態でしたか』
青冷めた顔で三人が同時に言う。体はおもいっきり後ろに下がっていて、関わりたくない感がこの場を満たした。
「や!ちが!まっ!いや、そうかもだけど、違うっすよ!違うんっす!ただちょっと自分、対物性愛者な……だけで」
対物性愛——それは、生命の在る者ではなく、玩具や車、壁、建造物などに対して愛情を抱き、性的に惹きつけられてしまう性的倒錯の一種である。
ソフィアに一目惚れしたとのたまう五朗は、どうやらアニメや漫画キャラクターのフィギュアや人形といった物に興奮するタイプのパラフィリアの様だ。
「対物性愛ですか、それはまた珍しい」
五朗が対物性愛であるならば、絶対に焔には惚れないという事だ。その為か、リアンの五朗に対する警戒心が急に下がった。変態ランクは高いままだが、ソレはこんな短時間のやり取りでどうにか出来るレベルではないので致し方ない。
「俺も初めて会ったが……そうか。じゃあ、付喪神はまさに理想型という訳か」
「付喪神っすか!なるほど」と頷き、じわりじわりとソフィアの方へ五朗が手を伸ばしていく。もう秘密はバラしちゃったし、コレで心置きなく愛情を押し付ける事が出来ると思うと彼は心が躍った。
異世界では洋書の姿。
元の世界へ戻れば日本人形の付喪神。
そんな存在から離れる選択肢など五朗の中では有り得ず、そっと逃げようとしているソフィアにゆっくりとにじり寄りながら、何がなんでも仲間になりたそうにこちらを見ている。
「——で?昼下がりの人妻」
「あ、いや。だから恥ずかしいんで、片橋五朗の方でお願いします」
「そんな名前を人様に呼ばせようと思う低能なお前を、仲間に向かえ入れるメリットは、俺達には在るのか?」
「えっと、あーんー。な……無いっす、ね」
ゲームネーム“昼下がりの人妻”。
異世界での職業・山賊。
元の世界ではなんとなーく高校を中退し、現在二十二歳で引き篭もりのニート。中学生の時に同級生から借りた本を返し損ねていたというだけで山賊系の職業しか選択させて貰えなかった対物性愛属性持ちの残念系男・片橋五朗。
この異世界へ飛んで来て、はや三年。日々の生活にも職業のせいで色々と苦労してきた彼だったが、今この瞬間が今までで最大のピンチかもしれないと思ったのだった。