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「……どのような方だったのですか。そのカルド王というお方は」
静かな問いを投げかけたのは、王の傍らに控えるザファール・カーンだった。
アルー・ウッディーンにとって、ザファールは腹心であると同時に、
胸の内を明かすことのできる数少ない友人でもあった。
問われた王は、しばらく黙っていた。
やがて、遠い記憶をたどるように目を細め、ぽつりと口を開いた。
「……幼い頃のことしか覚えていないがな」
その声には、かすかな懐かしさが滲んでいた。
「大勢の部下を従え、堂々と歩く姿は……憧れだったよ」
言葉を切ると、王は窓の向こうへと目を向けた。
かつて憧れた男。
その男が座していた玉座に、今は自分がいる。
部屋に沈黙が落ちた。
王が何を思っているのか、ザファールには分からなかった。
ただ、即位して以来、こうしてふと黙り込むことが増えたのは確かだった。
やがて、別の側近が慎重に口を開いた。
「陛下……叔父君を弑したことを、悔いておられるのですか」
その問いに、王の目がわずかに動いた。
しばらくの沈黙。
「いや」
アルーは短く答えた。
「もう済んだことだ」
突き放すような口調だった。
しかし、その言葉が自分自身に言い聞かせるためのものなのか、
それとも本心なのか。傍らにいる者たちにも分からなかった。
そのときだった。
廊下を慌ただしく駆ける足音が響いた。
「陛下! 急報にございます!」
兵士が息を切らしながら部屋へ飛び込んできた。
顔には、隠しきれぬ緊張が浮かんでいる。
「モンゴリア軍が……国境に集結しております!」
一瞬、空気が凍りついた。
ザファールが鋭く顔を上げる。側近たちの間にも、ざわめきが広がった。
即位したばかりの王を祝福するかのように、東方から大軍が押し寄せている。
もちろん、そんなはずはない。
彼らが求めているのは祝賀ではない。
新たな王の力量を試し、あわよくばその首を獲ることだろう。
アルーはゆっくりと息を吐いた。
そして、唇の端をわずかに吊り上げた。
「……まるで、我が即位を祝ってくれているようだな」
乾いた笑いが漏れた。
だが、その笑みには力がなかった。
玉座を手に入れたばかりだというのに、安堵する暇さえ与えられない。
かつて憧れた叔父を倒し、その座を奪った男。
今、その男の前に、新たな敵が立ちはだかろうとしていた。
アルー・ウッディーンの治世は、こうして始まった。
冬の日の出来事であった。
モンゴリア軍が国境を越えた。
その数、十万を超える。
パンジャブからカスルに至る広大な地域に、彼らは容赦なく押し寄せた。
行く手にある村々は焼き払われ、家屋は炎に包まれた。
逃げ遅れた者たちの悲鳴が、冬の空に響き渡る。
デルーの都からも、遠くの空を赤く染める炎が見えたという。
夜になっても、地平線の彼方は赤黒く燃え続けていた。
それは、ただの火災ではなかった。
家族を奪われた者たちの悲しみ。
故郷を焼かれた者たちの怒り。
そして、幾度となくモンゴリア軍の侵攻に苦しめられてきた人々の、積年の恨み。
燃え盛る村々の炎は、人々の胸に渦巻く憎しみそのものだった。
報告を受けたアルー・ウッディーンは、弟のウルグを傍らに呼び、地図を広げた。
「ザファール・カーンを呼べ」
ほどなくして、王の腹心が参上した。
「陛下、お呼びでしょうか」
アルーは地図から目を離さずに告げた。
「軍を率いて出陣せよ。これ以上、我が国の民を好きにさせるわけにはいかぬ」
「御意」
ザファールは深々と一礼した。
「必ずや、敵を国境の外へ追い返してみせましょう」
その言葉を残し、彼は戦場へと向かった。
新王の命運をも左右しかねない、決戦の始まりであった。
***
両軍が激突したのは、サトル川北西のジャランであった。
冬の川は冷たく、流れも速い。
その対岸には、モンゴリア軍の大軍が陣を敷いていた。
十万を超える敵兵の陣容は壮観で、地平線の彼方まで続いているかのようだった。
対するザファール・カーンの軍勢は二万。
数の上では、到底かなわない。
しかし、ザファールは敵の大軍を前にしても、ひるむ様子を見せなかった。
川岸に立ち、対岸をじっと見据える。
敵陣には無数の旗が翻り、
馬のいななきと兵士たちの怒号が風に乗って聞こえてきた。
やがてザファールは、配下の将兵に向かって声を張り上げた。
「船は使うな!」
将兵たちが一斉に顔を向けた。
「馬で渡る!」
一瞬、兵たちの間にどよめきが走った。
凍えるような川を、馬で渡るというのだ。
だが、ザファールに迷いはなかった。
彼は馬首を川へ向けると、剣を高く掲げた。
「我に続け!」
その声が川岸に響き渡る。
「積年の恨みを晴らすのは、今ぞ!」
鬨の声が沸き起こった。
二万の兵が、一斉に川へと踏み込んだ。
馬蹄が水を蹴り上げ、無数の白いしぶきが冬空に舞う。
冷たい水が兵士たちの身体を打ち、激しい流れが馬の脚に絡みついた。
それでも、誰一人として足を止めなかった。
彼らの脳裏には、焼かれた村々の光景があった。
炎に包まれた家。
帰らぬ家族。
蹂躙された故郷。
その記憶が、兵士たちを前へと突き動かしていた。
やがて、先頭を進むザファール・カーンが対岸へとたどり着いた。
彼は濡れた馬の首をひと撫ですると、剣を振り上げた。
「突撃!」
号令とともに、二万の騎兵がモンゴリア軍へと襲いかかった。
モンゴリア軍は、押し寄せる敵を迎え撃とうとした。
しかし、川を渡りきったザファール軍の勢いは凄まじかった。
ザファール自身が先頭に立ち、敵陣のただ中へと突き進んでいく。
彼の剣が閃くたび、敵兵が倒れた。
その姿に鼓舞された将兵たちは、雄叫びを上げながら敵陣へ食らいついた。
モンゴリア軍は数に勝っていた。
だが、数の優位だけで戦場を支配できるわけではない。
激しい戦闘が続くにつれ、敵軍の隊列は次第に乱れ始めた。
各所で混乱が広がり、やがて一部の部隊が後退を始める。
その動揺は、瞬く間に周囲へと広がっていった。
押し寄せるはずだった十万の軍勢が、今度は我先にと逃げ始めたのである。
サトル川のほとりは、たちまち激戦の場と化した。
夕刻。
長い戦闘の末、モンゴリア軍はついに敗走した。
その戦場には、二万を超える敵兵の屍が横たわっていたという。
ザファール・カーンは勝利した。
圧倒的な兵力差を覆し、モンゴリア軍に大敗を喫させたのである。
しかし、戦いはそれで終わらなかった。
戦場に残された負傷兵のうち、抵抗できない者たちも容赦なく処刑された。
生き残った捕虜たちは鎖につながれ、デルーへと送られた。
それは、かつてモンゴリア軍がこの地の人々に対して行ってきた仕打ちを、
そっくりそのまま返すかのような報復であった。
捕虜たちが都へ到着すると、彼らは市民の見守る中、
象に踏みつぶされて処刑された。
群衆は、その光景を見つめていた。
歓声を上げる者もいた。
家族を奪われた者たちにとって、
それは長年の恨みを晴らす瞬間だったのかもしれない。
しかし、凄惨な光景を前に、ただ黙り込む者もいた。
憎しみは、憎しみを呼ぶ。
それでも、この日ばかりは、誰もが勝利の意味を疑わなかった。
モンゴリア軍は敗れたのだ。
そして、デルーは守られた。
*
凱旋したザファール・カーンは、都を挙げての歓迎を受けた。
彼の名は、たちまち英雄の名として人々の間に広まった。
圧倒的な大軍を打ち破った将軍。
国境を守り、侵略者を退けた勇者。
人々は彼を称え、その武勲を語り合った。
そして、その勝利の栄光は、彼を送り出した王にも及んだ。
アルー・ウッディーンの名声は、いやが上にも高まった。
王位を継いだばかりの若き王は、即位早々に国を脅かす大敵を退けたのである。
王の威信は強まり、諸侯や将軍たちも、その力を改めて認めざるを得なくなった。
かつて叔父の玉座を奪った男。
その男が今、国を守る王として、人々の前に立っていた。
だが、勝利の歓声の中で、
アルー・ウッディーンが何を思っていたのかを知る者はいない。
ジャランでの勝利は、王の治世に輝かしい一頁を刻んだ。
しかし、それは長い戦いの終わりではなかった。
新王の前には、まだ幾多の試練が待ち受けていたのである。
コメント
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うわあ第49話「ジャランの戦い」、めっちゃ熱かった…!!🔥 ザファールが「船は使うな!馬で渡る!」って叫ぶシーン、鳥肌立ったよ…😭✨冬の冷たい川を二万の兵が一気に渡る勇壮さ、そして敵陣に突撃する勢いが凄まじくて、読んでるこっちまで息を止めちゃった! でも戦後の捕虜の処刑シーンは胸が痛かったな…憎しみの連鎖って、勝っても続いていくんだね。アルー王の複雑な心境も気になるし、次話も絶対読みたい!眠狂四郎さん、素敵な物語をありがとうございます🌸