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仮祝言は無事に終わった。のだが、最後まで野口と沼田の記者二人が口出しし、結局、吉田が見事な采配でまとめあげる始末だった。
芳子、お咲、岩崎の独奏、そして、仮祝言を挙げた岩崎と月子二人の記念写真の撮影を終わらせるという具合に場を上手く収め、そして……。
「月子、すまん。仮祝言などと、馬鹿げたことを。ちゃんと準備をして祝言を挙げればよいのに、まったく、誰が言い出したのやら……」
皆に振り回されて疲れたろうと、神田旭町の家に戻った岩崎は、茶を部屋へ運んで来た月子を労っている。
「いえ、そんなことは。私は、ありがたいと思っています……」
衣裳は借り物、参列者も男爵夫妻にお咲だけ。本当に急ごしらえの物であったが月子にとっては、その気持ちがありがたかった。
そもそも、いきなりの見合い、強引な結婚話だった。
気が進まないなど考える暇もなく西条の家を追い出され、不安と戸惑いを抱いていた月子が、今では安堵し、この出会いに感謝している。同時に岩崎への淡い恋心も芽生えていた。
それを認めるのは、恥ずかしかった。しかし、もう、認めざるを得ない。仮とはいえ、祝言を挙げたのだから……。
これからは、二人一緒。岩崎に寄り添い生きて行くのだと思うと、月子の目頭は、自然熱くなった。
「……それでだな、月子、つまり、その、なんだ、まあ、そのぉ、……というか、どうした?!」
様々な思いに流されてしまった月子は、岩崎が話している事を聞いていなかった。
「ああ!そ、そうだな。と、戸惑うのも分かる!少し、私も気が急いてしまったな……祝言とはいえ仮なのに……」
岩崎が、慌てている。
「あっ、京介さん!す、すみません。私、お話を聞いていなくて……」
「なあぁーに言ってんだぁー!俺は聞いたぜぇ京さんっ!!」
すぱんと、襖が勢い良く開き、べろべろに酔っ払った二代目が、怒鳴りこんで来る。
「二代目!立ち聞きか?!というより、どうした?!そんなに、酔っぱらって!」
「うっせぇーよ!俺はぁ、留守番してたんだあー!何が、仮祝言だぁ!んなもん、飲むしかねぇだろっー!!でぇ!んで!!なんでだよっ!二人で寝ようって!そんな、あからさまな誘いがあるかってんだぁ!!」
酒臭い息を吐きながら、二代目は、肩をいからせ叫んだ。
「い、いや!二代目!ち、違うぞ!一緒の部屋でということで、布団は別々だっ!」
「え?!京介さん……」
二代目が口走った事に岩崎は必死に反論しているが、聞こえたことに、月子は動揺した。
「……一緒の部屋で……」
確かに、もう休む時間が迫っている。仮とはいえ祝言を挙げているのだから、そうゆう事になるのが筋なのだろう。けれど、今の月子には、急すぎて、着いていけない話しだった。
「いや、いや、月子!例えばだ。無理にとは言わない!」
岩崎は、月子の気持ちを尊重しようとし、言い訳がましく、まくし立てている。
そんな、岩崎の様子に月子は、はっとした。
これは、当然のことだ。仮とはいえ、祝言を挙げた。そして、これから夫婦として一緒に生きていくのだから……。
月子は、覚悟を決め、居ずまいを正すと深々と頭を下げる。
「……ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします……」
このまま、頭を上げるのが月子は、恐ろしかった。畳についている手が、指先が、震えている。もちろん、発した声も震えていた。
顔を上げ、岩崎にどんな顔を向ければよいのだろう。
「えっ!ええーー!月子ちゃん!いいのかよ?!こんな唐変木!!年の差も考えろぉ!そんなーー!!俺は大家だぞぉ!!」
二代目は、後ずさりながら叫んだ。
そして、帰る!と、何故か大泣きしながら、玄関へ向け廊下を駆けた。
とたんに、ドタンと大きな音がして、痛てぇーー!と二代目の叫びが声が響き渡る。
それでも、ガラガラとガラス戸が開く音がして、ピシャリと荒く閉められた。
「……なんなんだ。あれは。帰ったようではあるが……。あいつ、留守番中にかなり飲んだようだなぁ……」
「あ、あの、二代目さん、大丈夫でしょうか?」
ひどい酔い具合に、月子も二代目の事を心配したが、自分が岩崎と普通に喋っていることに気が付き、さっと俯いた。
そんな月子の落ち着かない様子に、岩崎も急にオドオドし始める。
「な、なんだ、そ、その……で、では、一緒に」
「にくーー!!にく太郎ーー!!」
今度は隣り合わせの月子の部屋からお咲の叫びが流れてきた。
「あっ!お咲ちゃん、先に寝ていたんです!」
「今の騒ぎで起こしてしまったか?!」
岩崎と月子は顔を見合わせる。
が、向こうの部屋はすぐに静かになった。
「寝言……でしょうか?」
「……月子?寝言にしては、大きいだろう?」
てすねぇと、月子も同意をした。すると、岩崎が、思案顔でボソボソと何かを言った。
「京介さん?」
「いや、だからな、そのぉ、下手に、向こう側の部屋へ、お咲の所へ行くのはどうかと……起こしてしまってもいけない……」
「はい、そうですね、確かに、お咲ちゃん起きてしまうかも」
「そうだろう!だ、だからっ!布団を……同じ布団で、そ、その、一緒に寝ないか?」
つまり、月子の布団を取りに部屋へ入れば、お咲が起きてしまう可能性がある。だから、もう、岩崎の布団で一緒に休まないかと言うことらしく……。
岩崎は、ぷいっとそっぽを向いている。
月子は、頬を染め頷いた。ここまで来たら、従うべきだろうと覚悟を決めた。
「じゃ、じゃあ、その、うん、寝るか」
岩崎は、腰を上げ寝間の準備を始める。
月子も、一緒に手伝って、布団を敷いたが……。
二人は、向き合って座り、気まずそうにした。しいーーんという音が聞こえて来そうなほど、妙な間が流れている。
「よし!夜だからな!寝るかっ!で、電灯を消すぞ!」
取って付けたような岩崎の一声で、二人は布団に入った。
しかし、互いに距離を取り、岩崎は、月子に背を向け横になっている。
月子も、ドキドキうるさい自分の鼓動が気になって眠れない。
「つ、月子!こちらへ来なさい!」
「は、はい!」
ついにこの時が来たのだと、緊張した月子の返事は裏返る。
岩崎は、ぎこちなく月子を抱き寄せた。
「離れていると隙間ができて、風が入って来る。背中がすうすうして眠れない。だ、だから、こうして、くっついているだけだ」
風邪を引いてしまってもいけないだなんだかんだ、岩崎は一人言い訳していた。
月子は、子供のように躍起になっている岩崎の様子に、心の中で笑ってしまった。
しかし、面と向かっては、さすがに……。岩崎の気持ちも汲んでやらなければ。
「まあ、そういうことだから、月子、これで、風邪を引くこともない。ゆっくり休みなさい」
岩崎は、何かを誤魔化すように、コホンと咳払いする。
が、ふと思い出したように、月子の額に口づけた。
「こ、これは、おやすみの挨拶だ!西洋では、この様に行う!し、したがって、私も、それに準じたまでで、な、な、なにも、やましいことは考えておらず……」
朝まで続きそうな勢いで、岩崎は、またまた、誤魔化すことに必死になっている。
額とはいえ、口づけを受けた月子は、すぐにカッと顔が火照ってしまう。
どうしようもなくなり、つい、岩崎の胸にしがみついてしまったが、岩崎の胸も、トクトク激しく鳴っている。自分と一緒だと月子は思う。
──夜がしんしんと更けていく。
岩崎と月子、二人の高鳴る鼓動が響き渡りそうなほど、部屋は静まり返っていた……。