光が差し込んでいた。
それは、かつて地下でしか暮らしてこなかったふたりにとって、眩しすぎるほどの“自由”の光だった。
──人工島“第零区域”の崩壊から、三日。
世界はまだ騒いでいなかった。
だが、“楽園計画”の機密が拡散された影響は、確実に波紋を広げていた。
一部のジャーナリスト、元組織の裏工作員、そして何よりも「コードネームを持たない者たち」が静かに声を上げ始めている。
けれど、そのどれよりも、
この朝が尊いのは──
「……目、覚めてたの?」
「ん……起きたばっか。……顔、近いな」
「うるさい。布団の中なんだから、仕方ないでしょ」
脱出後、ふたりが身を寄せていたのは、
加賀見の知人が遺した小さな別荘だった。
木造の温もりと、静かな風の音だけが、かつての喧騒とは無縁の空間を包んでいる。
「なぁ、栞」
「ん?」
「ここから先……お前は、どうしたい?」
静かな問いだった。
けれど、栞は少しも迷わなかった。
「翠さんと一緒に、生きたいよ。
殺し屋じゃない私で、“選べる私”として──あなたと、同じ未来を見たい」
「……そっか。……なら、俺は、お前の隣にいる。ずっとな」
「ずっと?」
「“楽園”よりも、もっとめんどくせぇ世界で。
泣いて、怒って、好きになって──それでも、“番号じゃない名前”で呼び合える毎日を、お前にやるよ」
ぽん、と頭に乗せられた手のひら。
それが、涙よりも優しくて。
キスよりも誓いみたいで。
「……翠さん」
「なんだ」
「好き。……ずっと、好きだった」
「知ってるよ。俺も、お前が好きだ」
そう言って、ゆっくりと唇が触れた。
殺しも、嘘も、番号も、何も必要ない世界の、最初の“名前”として。
***
その日、ふたりは朝食を作った。
卵が焦げたり、パンを落としたり。
何ひとつ“プロらしくない”、ただのふたりの生活。
けれど、そのすべてが、栞にとっては愛しかった。
「翠さん、次は何する?」
「散歩でもしてみるか。……殺し屋じゃねぇしな」
「ふふっ、なんか変な響き」
「じゃあ、“元殺し屋”って呼ぶか?」
「それもイヤ。──“私の男”でいい」
「調子に乗るな」
「でも、照れてない?」
「照れてねぇ。……でも、まあ……“お前の”でいいや」
そう笑った翠の横顔は、
かつての誰よりも無防備で、
この世界の誰よりも“幸せ”に見えた。
“楽園”なんて、どこにもなかった。
だけど、“ふたりで生きてく自由”は、たしかにここにある。
朝の光に、ふたりの影が並んで揺れた。
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