帰り道。駅から少し離れた遊歩道。夕闇の中、街灯の明かりに照らされて、二人の影が並んで伸びていた。
「今日は……ありがとな」
日下部が何気なく口にした言葉は、ただの礼だった。
けれど遥には、胸に刺さるように響いた。
――礼なんか言われるようなことしてない。
ただ隣にいただけだ。
笑えもしない、会話も弾まない。
他の誰かなら、もっと楽しく、もっと自然に過ごせたはずだ。
「……おれさ、ぜんぜん向いてねえだろ、こういうの」
ぽつりと吐き出す。
「普通のデートとか、普通の恋人とか……そういうの」
日下部は立ち止まり、少し考えるように遥を見た。
「……向き不向きじゃねえよ。やりたいか、やりたくないかだ」
その言葉に、遥の足が止まった。
――やりたいか。
本当は、やりたい。
誰かと普通に歩いて、笑って、くだらない話して。
だけど、自分には似合わない。許されない。そんな資格ない。
「……わかんねえよ」
小さな声が、夜風にかき消されそうになる。
「普通なんか……やったことねえし。できるわけねえし……」
沈黙。
日下部は、それ以上説得するでもなく、ただ横に並んで歩き出した。
その無言が、遥には居心地悪くも、同時に救いのようにも感じられる。
道端の自販機で缶コーヒーを二つ買ってきた日下部が、黙って片方を差し出す。
遥は受け取ったあと、しばらく開けられずにいた。
――こんな当たり前が、いちばん怖い。
壊れることに慣れすぎて、「壊れないもの」をどう抱えていいかわからない。
遥は唇をかすかに噛む。
「……なあ、日下部」
「ん?」
「おまえ、ほんとに、これでいいのかよ」
「これって?」
「……おれと。こんなふうに」
日下部は少し間を置いて、視線を夜空に向けた。
「……いいよ」
それだけだった。
あまりに簡潔で、余計な装飾もなくて。
だからこそ、遥は答えられなかった。
胸の奥で渦巻くのは矛盾――
欲しいのに信じられない。
受け取りたいのに壊したくなる。
「普通」が差し出されるたび、遥は自分が一番遠ざけられてきたものを突きつけられる気がして、足元が崩れそうになる。
それでも――その夜、遥は日下部と並んで歩き続けた。
心の奥で、今にも破裂しそうな矛盾を抱えながら。
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