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放課後の教室は、もう人の気配が薄い。窓から射す西陽が黒板を金色に縁取り、机の影を長く伸ばしている。
その影の中、遥は静かに椅子を引いた。
 ドアがきしみ、ひとりの男子生徒が入ってくる。制服の第一ボタンは外れ、リュックの肩紐は片方だけ。
 「……ここ、相談していい?」
 「いいよ。そこ、空いてる」
 男子はうなずき、少し距離を置いて腰を下ろした。
 「未来がさ」
 言いかけて、彼は唇を噛んだ。
 「未来が怖い。進路も決めろって言われてるけど、やりたいことがない。
このまま大人になって、何者にもなれないまま終わるのかなって」
 遥はペンを回しながら、天井を見上げる。
 「わかる。俺も“何になりたいか”って聞かれるの、苦手だ」
 男子は小さく笑う。
 「でも、お前は落ち着いてるように見える」
 「見えるだけ。俺だって、先のことは何も決めてない」
 遥は少し間を置き、黒板の光を指先でなぞった。
 「未来ってさ、なんか“形”があるものだと思われてるけど……
実際は、今日を積み重ねた先にしかない」
 男子は眉を寄せる。
 「今日を積み重ねた先?」
 「うん。明日を決めるために必要なのは、
結局、今日の自分がどう息してるか、だと思う」
 「でも……何もしてない日ばかりだ」
 「何もしてない日だって、呼吸してれば“してる”だろ」
 遥は少し笑った。
 「俺、よく思うんだ。
今日、誰にも見つからずに終わったとしても、
その一日が“未来の一部”になってるって」
 男子は机に視線を落とす。
夕陽がその横顔を薄く染めた。
 「じゃあ、怖くても、今日を生きるしかないってことか」
 「そう。怖いままでいい。
怖いって感じるのも、未来に向かってる証拠だと思う」
 男子は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
 「……なんか少し楽になった」
 遥はペンを止め、ほとんど聞こえない声で言った。
 「それなら、来てよかったな」
 窓の外では、校庭が夜に飲み込まれ始めていた。
未来はまだ見えない。
でも、二人がここで息をしている今が、確かにそこへ続いている。