喧騒から離れた王城の一室。
本来は来客者の宿泊に使われるその部屋で、ルキウスはアベル様によって口止めのされた医師の診察を受けた。
結果はルキウスの予想通り、怪我も淀みもなし。
とはいえ命に関わる大怪我を負い、それを強制的に治癒したことで身体に負担がかかっているはずだと、数日間の絶対安静を言い渡された。
医師が退出し、部屋に残されたのはルキウスと私と、アベル様にミズキ様。
ソファーから立ち上がったアベル様は扉前の護衛騎士にしばらくの人払いを命じると、慎重な仕草で、扉を閉めた。
「では、説明してもらおう」
端的に告げて、再びソファーに腰を落とす。
対面に座るのは、私とルキウス。ミズキ様は窓際に立ち、静かに外を眺めていた。
「そうさねえ……。どこから話したもんかね」
艶やかな藍色の髪を揺らして、ミズキ様が振り返る。
「”聖女ルザミナ”のお話は知っているかい?」
(――聖女ルザミナ)
聖女祭で必ず上演されている、初代聖女ルザミナ様の物語。
たとえ歌劇に親しんでいなくとも、この国の礎となった始まりの聖女様であることから、この国の大半の人はその生涯を端的に理解している。
「”聖女ルザミナ”は、何度も観劇している。加えるのならルザミナ様は聖女様であり王妃でもあったことから、王族として知るべき歴史として指南も受けた」
肯定するアベル様に、「僕は書物で読んだよ」とルキウス。
「私は、教会で教えられる程度のお話でしたら……」
了承を示すようにして穏やかに頷いたミズキ様は、再び窓の外を見遣って口を開く。
「聖女の魔力を目覚めさせたルザミナは、幼い頃より同じ志を持っていた青年と、紫焔獣に支配されていたこの地を奪還、浄化した。そして滅びかけていた国を再建し、それぞれ王と、王妃の座についた。それが、この国で伝わる”聖女ルザミナ”の歴史。そして最後には必ず、こう結ばれる。二人はいつまでも仲睦まじく、それこそルザミナ様が亡くなった後も王は彼女を愛し続け、その愛の証としてルザミナ教会を建設した」
「ああ、違いはない。王室で受け継がれている書物にも、そのように書かれている」
「けれどね、それは、真実ではないのさ」
「……なに?」
「ミズキ様、真実ではないとはいったい……?」
再び私達に向いた目が、どこか、寂しさを帯びる。
「まったくの嘘だという話ではないけれどね。二人が王位について、数年が経った頃だ。王はね、出会ってしまったのさ。運命の――”真実の恋”に」
「っ!?」
――真実の恋。
私が、アベル様に感じた。言葉では説明しがたい、ただただ”そう”なのだと直感するような、胸の高鳴り。
覚えのある言葉に戸惑っていると、ミズキ様はそんな私を落ち着かせるようにして柔らかく笑み、
「王はその少女を、側室として迎え入れた。本音は正室にしたがっていたようだけれどね。聖女であり国民の支持も高いルザミナを王妃の座から退かせるには、問題が多いと判断したようだよ。王も王で、なにもルザミナを嫌っていたわけではないからね。彼女を好いて、大事にしていた。ただ、愛せはしなかった。仲間とか、家族とか。ルザミナに抱いた感情は、そういった類の”愛”だった」
「おかしい」
発したのは、アベル様。眉間に怒りと焦燥を滲ませ、
「王室の書物には、王が側室を迎えたのはルザミナ様とは子がなし得なかったからだとされている。ルザミナ様も、了承の上だと」
「間違ってはいないよ。ただ、子がなし得なかったのは、子を成そうとしなかったってだけさ。それにルザミナは、確かに王の一連の説明に納得した上で、承諾している。ひどく心を痛めていたようだけれどね。けれど彼女は、気丈に隠し通した。王への愛をね。王はきっと最後の最後まで、ルザミナの”愛”も自分のそれと同じなのだと信じていただろうよ」
「あり得ない……! そのような話、どこにも……!」
「それはそうだろうね。だってこの真実を記さないようにと指示したのは、ルザミナ本人なのだから」
「ルザミナ様が、ご自身で……?」
ミズキ様は「そう」と私に頷き、
「言ったろう? ルザミナは王を愛していたんだ。例え求めた”愛”が、自分に向かずともね。だから聡明な彼女は、後に王にとって不都合となりそうな”真実”は排除することにした。書物に嘘はない。ただ、真実だけは記されていない。それだけさ」
「そんな……そのようなことが……」
苦悶の声を漏らすアベル様に、ミズキ様は語り続ける。
「さて、側室となった少女だけれどね。ルザミナとはとても良い関係を築いていたようだよ。ルザミナも彼女を大切にしていたし、少女もまた、ルザミナを深く慕っていた。少女と王との間に生まれた子も、ルザミナは共に育んでいたようだし。そしてルザミナはね、少女……いや、その頃には淑女か。ともかく彼女に、打ち明けられたんだ。本当は、彼女にも深く愛した男性がいたということを。けれども王からの求婚により、彼と結んでいた婚姻の約束は、叶わない夢となってしまったのだということを」
「そんな……っ」
絶句する私に、
「それもまた、王は知らぬ”真実”というものか」
苦虫を嚙み潰したような顔で、アベル様が続ける。
ミズキ様はただ穏やかに「どうだろうね」と返し、
「知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない。どちらにせよ、自分が求婚をするということがどういうことか。それは、理解していたんじゃないかと思うけれどね。”王”としての権力を利用しても、少女が欲しかった。それがきっと――彼にとっての”真実の愛”だったんだろうよ」
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