とある街の中に経つ古き一つの豪邸……ではなく大きめの古い家の一つの部屋に置かれた机で突っ伏しつつ涎を垂らし寝ていると、その部屋に置かれた大きな古時計がチク……タク……チク……タク……と時を刻む音が寝ている若い女性の耳に優しく流れ込んだ。
私
その音で私は目が覚め、今は何時だと欠伸で出る涙を拭うため目を擦り時を刻む古時計を見る。
古時計が指し示している時刻はぴったり十時を示し、今丁度ボーンという時報が鳴り響いた。
私
現時刻を見た瞬間、心臓が口から出てしまうほど驚き、ささっと涎が付いた机を拭くと引き出しから物を取り出すのだが、それを持った瞬間私はぴたりと手が止まった。
その物というのが見覚えのないノートだったからだ。
私
気になってぱらららっと風に流されているかのようにページを捲り続けるが案の定何も書いていなかった。それどころか最近買ったばかりのものではないかという程新品感が漂っていた。
流石に違和感があるのだが、私は急ぎからかはたまた締切という焦りからか、少し悩んだ末酔って適当に買ったんだろうと勝手に決めつけることにした。てなければ気になって仕方ないのだろう。
私
ノートではなく原稿用紙を探しているようだったが、机の中にはそれらしき物はなく、他に出てきたのは数個の文具だった。
というのも私は文章を原稿用紙に書く仕事……つまり小説家なのである。だが最近思うように言葉や文章が思いつかず締め切りが近づいているというのにほぼ手付かずの状態だったのだ。
そのため何かと締切がと言って慌ただしくなっているのである。
私
原稿用紙を買ってくる暇もなければ、予備の原稿用紙すらも見当たらないため、実際の小説と同じように見覚えのないノートを右開きで使い始めた。
それ以降、チク……タク……チク……タク……と古時計が時を刻む音とカリカリと鉛筆でノートに文章を書き込んでいる音が淡々と響き渡った。
ーーまもなく十二時である。
ノートに土台のプロットから文章を書き込んでから凡そ二時間近くたった頃、ボーン、ボーンという音が一定間隔で十二回鳴り、現時刻が十二時を回った事を知らせその直後パタンと私はノートを閉じた。
だが決して書き上がった訳では無い。ただ、二時間も机に向かって背中を曲げひたすらに文章を書き続けた結果、背中や腰に負担がかかり一度休憩を取る事にしたのだ。
私
ググッと背伸びをし背中や腰の凝りを多少和らげた後私は徐ろに立ち上がると、そのままその部屋を後にして台所に向かう。
台所に向かって何をするのかと思うと、棚に置いてあった粉コーヒーとコップを取り出してコーヒーを淹れたのだ。それも冷たくもなければ熱くもないぬるめのお湯で。
だが私は一口分だけ喉を通し、残りは先程の机の上へと持っていった。どうやら執筆中に飲む用に入れたらしく、一口分を喉に通したのは苦味などを確認するためだ。
そして休憩を終え再び執筆を始めた頃、驚くべきことが起きた。
いや、良く考えれば普通の事なのだが、明らかにおかしいのだ。
というのも私が執筆を始める前、つまり休憩中はこれでもかという程太陽が空高く浮かび、邪魔する雲も存在しない程に晴天だったのにも関わらず、いきなり曇り始め豪雨が降り始めたのだ。
勿論、天気予報は豪雨など予測していない。完全なゲリラ豪雨だった。
ここまでなら決して普通の事でもある。この次に起きたことが驚くべきことだったのだ。
私
急に降り始めたゲリラ豪雨の雨音が消え、もう止んだのかと窓を見ると白く大粒の雪が空からゆっくりと降り始めていたのだ。
私
季節が違うというのに雪が降ることに不思議に思うと、私はふと先程まで文章を書いていたノートを見始めた。
そこには。
ーー豪雨が降り続けているのにも関わらず彼女は自身の仕事に専念し続けた。その豪雨で色々な所が雨漏りしているのにも気づかずにーー
ーーその日は大粒の雪が天から降り注いだ。いわゆるホワイトクリスマス。だからこそか街中には男女二人が多く見られたーー
と“豪雨”や“大粒の雪”というワードが入っていたのだ。
私
執筆していた所は一度栞を挟み、空白のページに一つの文を試し書きしてみせた。内容はーー
ーー私はその日の天気を知るためテレビを付けると丁度朝のニュースが入っていた。天気予報は全国的に一日中晴天で程よい気温だというが、翌日からは天気が崩れるらしい。また、ある立てこもり犯がようやく捕まったと報じられたかそれは私には関係はない話だーー
適当にその文章を書いた後部屋にあったテレビをつけると、またしても驚きのことが起きた。
ニュースキャスター
そう、私がノートに書いたことが本当に起きているのだ。その証拠にテレビに表示された時間はノートに書いた通り八時……つまり朝帯になっていたのだ。現実の時間も朝になってしまい古時計は八回の時報が鳴っていた。
私
他にも様々な文章を書いたがやはり全てが現実に反映されていた。
“その日誰かが命を落とした”と書けばニュースには事故で死亡してしまったというニュースが、“どこかの国で大統領が変わった”と書けばやはりニュースに。身近なものだと“腹痛でトイレに籠る”と書くと直後にして腹痛に襲われ、やはりトイレに籠ることとなった。
数分後腹痛から解放された私は再び鉛筆を持つと徐ろに一つの願いを書き、そのままノートを閉じるとノートの表紙に『真実のノート』と記入した。
その直後、私がいる古い家の玄関から一人の男性の声が聞こえた。
それは私も知る人の声。だからこそ直ぐに自身が書いた小説本を手に持ち玄関へと向かった。
私
父親
玄関から聞こえた声は会社帰りなのかスーツ姿の男で、私の父親でもある男だった。
私
父親
私
父親
私
自分が手掛けた小説を早く見てもらいたいがために手に持った一冊の本を父親に渡すが、今は読まないと知った途端、まるで子供に戻ったかのように駄々をこね始めたが、それは家の中かつ父親にしか見せない表情。あまり帰ってこない父親が帰ってきたからこそ、そして家族の前だからこそ素の自分を出しているのだ。
父親
私
その後居間に向かい、父親は黙々と私が手掛けた小説を読み続け、気づけば私にとって二度目の昼を迎えようとしていた。
父親
私
父親
私
父親
私
それから私と私の父親はしばらくの間一緒に暮らしたが、再び父親が出張しなければならないと知ると直ぐに『真実のノート』に“私はまだお父さんと一緒にいたい。そう思っていると、神がその願いを受け入れてくれたのか父親の出張時期が不思議と伸びた”と、もはや私自身の都合で父親の滞在期間を様々な文章という名の屁理屈で伸ばし続けた。
だが、半年後その時はやってきた。何回も出張をなかった事のようにし続けた結果、ノートに文章を書き入れるスペースが無くなったのだ。
私
父親
男がスーツのポケットから小さくされども細長い箱を取り出し私に渡した。
私
父親
私
元気よく返事をし、それを聞き流すかの如く父親は扉を潜りとうとう出張へ向かってしまう。
私もすかさず外に出て父親が見えなくなるまで手を振り続け、次第に父親が遠くなって行くのを見届けた後、再び家の中へと戻る。
直後父親から貰った箱をぎゅっと胸の前で強く、されども潰れないように握り静かに涙を流して。
私
と自分にしか聞こえない声で呟いたその刹那、私の視界は闇に包まれ意識が遠のくこととなった。
ーーーーその数分後。ピッピッと一定間隔でなり続ける電子音で私は再び目を見開く。また真っ先に目に映ったのはぐにゃっと歪んだ白い天井と窓から指す光。そして電気がついていない蛍光灯だった。
私
ムクッと起き上がると直ぐに腕に小さな違和感を感じ、見てみると点滴針が刺さっており、点滴のチューブも伸びていた。
そして一定間隔でなり続ける電子音は隣にある心電図計だということがすぐに分かる。つまりここは古い家ではなく病院。
私は唯一の家族である父親を亡くし、心ここに在らずな鬱状態となり小説家も辞め、ある日落ち着かないという気を紛らわすため散歩していると、父親と同じく交通事故に見舞われ、数年間という長い間植物状態となりこうして病院に入院していたのだ。
だからこそ、全てが私にとって残酷な、されども幸せな夢だったのは確かなことだった。全てを現実にしてしまうノートも会うことが出来ない父親に会った事ですらも夢なのだから。
しかし一つだけ夢では無く本当の出来事があった。それは最後に父親から渡されたあの箱、その箱が近くの小さな棚に置かれている。
またその中身はネリネという花の模様と私の名前が刻まれた万年筆。亡き父の最後の誕生日プレゼントだ。
私
夢だとわかっても、もう会えないと思っていた父親に会えたことに私は再び涙を流し、万年筆の箱をぎゅっと握った。心の中でもう一度、またもう一度会えたならと願うがその願いは誰にも届くことも無かった……
数年後、私は無事退院すると墓参りのため直ぐに父親の墓へと向かった。
私
一通り墓を洗い終わり、雑草も抜き線香も立てた後そう呟いて立ち去ろうとした時。
父親
聞こえるはずのない父親の声が聞こえ、ばっと振り向くがそこにあるのはやはり墓。しかし確かに父親の最後の言葉が聞こえた。だからこそか頑張らないとと決意を決め、父親から貰ったネリネの花柄と名前が掘られた万年筆で、数年前に自身が体験した事を再び小説家として一冊の本に綴るのだった。