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放課後の廊下はしんと静まり返っていた。
その沈黙を破ったのは、相談室の前で立ち止まった足音ひとつ。
ノックの直後、ドアがゆっくり開く。
中へ顔を出した生徒は、どこか怯えたように周囲をうかがっていた。
「入っていい。誰も見てない」
そう言うと、彼はほっとしたように息を吐き、そろそろと部屋へ入ってきた。
「……あの、少しだけ……」
「少しでも長くても、別に構わない。座れ」
言われるままソファに腰を下ろした彼は、指先を握りしめたまま視線を落とした。
「……親に褒められると、息が詰まるんです」
「変じゃないよ。それで?」
「“頑張ってて偉いね”“うちの子だからできるんだね”って言われて……
普通は嬉しいのかもしれないけど、俺は……逆に胸が苦しくなって。
“もっと期待されるのかも”とか、
“次はもっとすごいことしなきゃ”とか……
先のことばっかり考えて、怖くなるんです」
声が震えていた。
褒められて傷つくという矛盾に、本人がいちばん困っているのがわかる。
「褒められるのが嫌なんじゃなくて、
“次に失敗する自分”を想像してるんだろ」
彼は顔を上げた。図星が痛かったようだ。
「……そう、です。
次の自分は、期待に届かない気しかしなくて……」
「つまり、褒め言葉が『借金』みたいに聞こえるわけだ」
ぽつ、と彼は笑いかけて、すぐまた俯いた。
「……借金、か……。返さなきゃ、って思います」
「親の期待は、返済期限のない借金みたいなものだからな。
返そうとすると、いつか潰れるよ。
特に“褒められ慣れてる子”より、“褒められたのが怖い子”ほど潰れる」
彼は膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「じゃあ、俺は……どうしたら。
褒められて嬉しいって……思えないままで、いいんですか」
「いいよ」
すぐに答えると、彼は驚いたように目を開けた。
「褒められて嬉しくなるには、“自分で自分を褒められる”のが先なんだ。
順番を無視すると、苦しくなる。
おまえの場合、自分に満点を出したことが一度もないだろ」
「……たぶん」
「だから、親の褒め言葉は“ノルマ”に聞こえる。
まだ受け取る準備ができてない。
準備ができるまで、無理に嬉しがらなくていい」
彼はゆっくりと背もたれに寄りかかった。
さっきまで張り詰めていた肩が、少しだけ落ちる。
「……そんなふうに言われたの、初めてです」
「世の中は“褒められて嬉しいのが普通”みたいな顔してるけど、
そんなのは多数派の話だ。
おまえは、違う側にいる。
違ってるだけで、壊れてるわけじゃない」
しばらく静かな時間が流れたあと、
彼は立ち上がり、ゆっくり礼をした。
「ありがとうございます。
……今日は、息がしやすいです」
「じゃあまた苦しくなったら来いよ。
息の仕方くらい、何度でも教えてやる」
彼は小さく笑って、相談室をあとにした。