テラーノベル
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ヨハンセンが仕事を放棄して二カ月。
一度だけ皇后が訪れたが、ヨハンセンはそれも無視をした。
皇后が無理やりにでもメリーティアを引きはがさないのは、おそらくケイリクスの反応を窺っているからだ。愛する女が息子に寝取られても静観しているのが不思議で、ひどく恐ろしいのだろう。
メリーティアを害せばケイリクスの逆鱗に触れることを、皇后は理解している。
だから今までも直接的な嫌がらせをしてきたことは一度もない。
ケイリクスがしびれを切らすのを待つしかない状況に、歯噛みする皇后の様子が目に浮かんだ。
――最近はあまり来なくなっていた侍従がドンドンと扉を叩く。
たしか昨夜も同じように扉を叩いて何かを言っていた気がするが、ちょうどふたりで沐浴をしていたためどんな用事かは聞きそびれていた。
「殿下! 本日は砂漠のアシム王国の貴賓をお迎えしなければならないと昨夜も申し上げたではございませんか! 半年前から決まっていたことなのにお忘れとは言わせませんよ!」
「聞いていないしそんな前のこと覚えていない」
「もう使節団は港にお着きです。アシム王国の王太子殿下もいらっしゃるからこの日だけはしっかりお勤めくださいと何度も申し上げたではございませんか……! 先ほど急いでユージーン殿下が代わりに出迎えに行かれましたが、先方はひどくお怒りです! 皇帝陛下も今度ばかりは見逃してくださいませんよ!」
「ハハッ、どうなると言うんだ。はじめから全部ユージーンにやらせればいいだろう。何もかも!」
もうヨハンセンは、皇子という地位にかけらも執着がないようだった。
そのすべてがいま、メリーティアだけに向けられている。
どうなろうとかまわないと言いたげに振る舞う彼に、侍従もとうとう匙を投げたようだった。
*
アシム王国の使節団が帰った翌日、ヨハンセンの部屋に騎士たちが押し入った。
鍵のかかった扉は破られ、ヨハンセンもメリーティアも裸にローブを羽織っただけの恰好でどこかへ連れて行かれる。
メリーティアはいつかこうなると予想していたため大人しくしていたが、ヨハンセンは暴れに暴れた。最終的にグウェンダルに取り押さえられ、肩に担がれる始末である。
第一皇子の部屋に無理やり突入する許可が出ていて、尚且つ騎士団長のグウェンダルが出てきたとなると、これはケイリクスの命令なのだろう。
予想どおり、ふたりが転がされたのは玉座の間の床だった。
この場には玉座に腰かけたケイリクスと、グウェンダル、ヨハンセン、メリーティアだけしかいない。
グウェンダルによって床に押さえつけられたヨハンセンとは異なり、メリーティアは自由だ。それもケイリクスの命令なのだろう。
ひじ掛けを指先で叩く音がやけに響き渡った。
「――ヨハンセン・ヘイスティン・ヴェドニア。ここに連れて来られた理由はわかっているな?」
ケイリクスに対して、ヨハンセンはただ乾いた笑いをこぼした。
「俺を捨てるんだろ」
「そなた自らがその地位を捨てることを選んだんだ。違うか? 自身の領地のことを疎かにし、使節団を迎えるという大事な仕事も投げ出すような者を誰が認めてくれるというんだ」
「メリーティアがいる! メリーティアがずっと俺のそばにいてくれる! がんばらない俺でも、すごくない俺でもいいって言ってくれた!」
ケイリクスは目を細め、蔑むようなまなざしでヨハンセンを見下ろした。
「――ヨハンセン、そなたを皇族の籍から外す。領地も財産も取り上げる。そんなに責任から逃れたいというのなら、ただの平民として生きるがいい」
無慈悲な罰を言い渡されたにもかかわらず、ヨハンセンはぱぁっと顔を明るくした。やっと本当の意味で重責から解放されると喜んでいるようだ。
「あぁそれでかまわない! メリーティアとともに田舎で野菜でも育てながらのんびり暮らすんだ。な、メリーティア。想像するだけでわくわくするだろ?」
無邪気な笑顔を向けられ、メリーティアはふっと笑った。それはヨハンセンに同調した歓喜の笑みでもなく、彼がついに父親からも見放されたことに対する同情でもない。
嘲りに満ちた笑みを目にして、ヨハンセンは額に冷や汗を浮かべて笑顔を引き攣らせた。
「め、メリーティア……? うれしくないのか……?」
すっくと立ち上がったメリーティアは、ゴミでも見るようなまなざしをヨハンセンに向けた。
「御冗談ですよね」
「え……?」
「皇子ではないあなたには何の価値もないわ」
「だ、だって、俺のこと愛してるって……」
「あなたが皇子だったからに決まっているでしょう?」
メリーティアはヨハンセンを鼻で笑い飛ばす。
それから高みの玉座へと視線を流した。
ケイリクスは息子に対しての冷淡な態度とは打って変わって、こちらを楽しげに眺めている。メリーティアと目が合うと、相変わらずうっとりととろけるような表情で微笑んだ。
メリーティアはケイリクスが称賛するその美貌を輝かせ、彼の瞳を熱っぽく見つめた。
「好みで言うなら……権力をお持ちで、年上で、うんと甘やかしてくれるような方が好きですわ」
一言ひとことゆっくりと紡ぐ遠回しな告白を、ケイリクスは頬杖をついて味わうように聞き入っていた。
やっと自分のもとへメリーティアが自らやってくるつもりなのだと理解したようで、たまらずといったふうに笑みをこぼす。
一方でヨハンセンはまだ事態を呑み込めていないようで、呆然としていた。
相手だけを求めていた自分とは気持ちが根本から違っていた――そのことに今まで気づいていなかったのだからそうなるのも仕方ない。
あんなに好きだと言っていたのが自分の〝地位〟に対してだったと知り、どれほどむなしい気持ちが込み上げているだろうか。
――メリーティアのためにすべてを失ったのに、こんな仕打ちはあんまりだ。
そう言いたげにヨハンセンの目から涙が溢れ、頬を伝っていく。
だが決して憎悪の表情ではなかった。まだまなざしに愛がこもっている。どうやら、本性を知ったあとでもメリーティアを憎めない自分をひどく惨めに思っているようだ。
「メリーティア……やだよぉ……やだぁ……捨てないでくれよぉ……」
拘束されているため、涙でぐちゃぐちゃになった顔も垂れた鼻水も拭うこともできない。情けないことこのうえなかった。
父親にも見捨てられ、愛した人には見向きもされず、ヨハンセンはいま心がひび割れていく痛みを味わっているだろう。
だが、犯してもいない罪で拷問の末に処刑されたグウェンダルのほうが、ずっと痛かったはずだ。
ヨハンセンがすべてを諦めた様子で目を閉じようとしたとき、部屋の外がにわかに騒がしくなった。
直後、扉が壊れそうなほどの勢いで開けられる。
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コメント
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あっ、やっとメリーティアの本当の顔が見えた瞬間……鳥肌立った🤍 ヨハンセンが皇子の地位も財産も全部捨てて「メリーティアと田舎で暮らすんだ」って無邪気に笑うところ、痛くて苦しかった。彼にとっては救いのはずなのに、読んでるこっちは「あ、これだめなやつだ」って確信しちゃう。 最後の「御冗談ですよね」……たった一言で全てがひっくり返る感じ、すごかったです。柴田さんの書く"裏切り"の温度感、いつも心臓をぎゅっと掴まれます🥀