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※今の段階で。
蓮司にとって「遥」という存在は、単なる“被害者”でも“ターゲット”でもありません。彼にとって遥は、罪の証であり、生きる実感の源です。
①「支配の対象」であり、「罪を見せる鏡」
蓮司は、自分がかつて行った暴力や加担を“終わったこと”として切り離せない男です。
沙耶香との会話での一言――
「……俺が離れたら、あいつ、もう見つけられない気がする」
これがすべてを示しています。
彼は、遥を通してしか自分の罪や存在の実感を確認できない。
だから彼は「償う」ことを選ばない。
代わりに、「見届ける」「そばに居続ける」ことで、罪を形として維持している。
遥が壊れず生きている限り、
蓮司は「まだ何かをしている」錯覚の中にいられる。
遥が完全に壊れたら、それは自分の罪の「終わり」になる――
つまり“赦されること”が一番怖い。
②「理解できないから手放せない」存在
蓮司は人間の“壊れ方”を見てきた。
でも遥は、壊れそうで壊れない。
涙も怒りも、どこか遠い。
その“壊れ方の異質さ”が、蓮司にとっては恐ろしくも魅惑的。
だから、彼の中ではこうした歪んだ構図ができている。
「俺がいなければ、あいつは壊れる」
「俺がいる限り、あいつは壊れない」
――これは保護ではなく、支配の口実。
蓮司にとって遥は、“壊れさせないことで罪を延命させる”ための生きた装置。
③「愛」と「贖罪」と「支配」が一体化した関係
蓮司が遥を見つめるとき、そこに確かに“情”がある。
ただしそれは「人としての情」ではなく、
「この地獄の中でだけ通じ合える同質性」への執着。
彼は、沙耶香と同じく“役”を生きてきた人間。
誰かの命令で、冷たく笑い、痛めつけ、そして“止める側”に回った。
だから彼の優しさは、「優しさの模倣」に過ぎない。
でも、遥はそれでも生きる。
壊されても、まだ生きようとする。
その姿が、蓮司の中の「本当の人間性」を痛みとして呼び起こす。
彼にとって遥とは、
「壊れずにいることによって、自分の偽りを暴き続ける存在」
なのです。
④一言で言うなら
蓮司にとっての遥は、“終わらせてはいけない罪”そのもの。
遥がいることで、自分がまだ“加害者として存在している”と感じられる。
だから彼は、遥を救わず、壊さず、ただ見続ける。