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その週、教室の空気は再び“重く”なっていった。
誰も直接言葉にしないが、全員が気づいている。
——戻ってきた。
授業中。
黒板の前に立つ教師の声が、どこか遠くから響いてくる。
遥はノートを開いていたが、鉛筆の芯が途中で折れた。
拾おうとして立ち上がった瞬間、背後から椅子の脚が引かれる音がした。
転倒し、手のひらが床にぶつかる。
クラスの誰かが小さく笑った。
教師は一瞬こちらを見た。
けれど、その目には「黙っていろ」という色があった。
「ほら、集中しろよ」とだけ言い、授業を続ける。
その声が、遥の耳に刺さる。
——見えてる。
なのに、止めない。
それどころか、その一言がクラス全体への“許可”に聞こえた。
蓮司がノートをめくりながら、前の席から振り向く。
無言で、遥の机の上に自分のプリントを置く。
“赤ペンで丸をつけてこい”。
そう言わんばかりに、目で命令する。
遥は拒もうとした。だが、その瞬間、教師の声が飛んだ。
「おい、何をもたついてる。早くやれ」
クラスが静まる。
視線が集まる。
——逃げ場はない。
震える手でプリントを受け取ると、蓮司の口元がかすかに歪んだ。
それは、笑いではなく“確認”のようだった。
昼休み。
遥は廊下の隅で、給水機の水を飲んでいた。
喉が焼けるように乾いている。
そこへ、教師の靴音が近づく。
「おい、朝の件。わざと転んだんじゃないのか?」
その声に、遥は凍りつく。
「……違います」
「違う? じゃあ何だ。注意力が足りないってことか?」
教師は笑っていた。
その笑いが、蓮司たちと同じ種類のものだとすぐに分かった。
「次は気をつけろよ。みんなの迷惑になる」
そう言って去っていく背中に、教員用のネームプレートが揺れた。
——もう、誰も止める気はない。
放課後。
黒板の前に、蓮司と数人の男子が立っていた。
遥の机の上には、破られたノートと折れたシャープペンの軸。
黒板にはチョークで書かれた一文。
《迷惑かけるな》
誰が書いたかは分からない。
けれど、その筆跡を遥は知っていた。
教室に残っていた教師が、それを見て一言だけ言った。
「……消して帰れよ」
命令でも注意でもなかった。
ただの“手順”のように言い捨て、職員室へ戻っていった。
教室に静けさが戻る。
遥はゆっくりと黒板の前に立つ。
チョークの粉が指に触れた瞬間、涙のように白く崩れた。
《迷惑かけるな》の文字を消す。
粉が落ち、袖に白い線が残る。
——まるで、自分の存在を拭い取るように。
誰もいない教室で、遥は小さく呟いた。
「……俺、何もしてねぇのに」
その声は、窓の外へ吸い込まれていった。
空はすでに暮れかけ、遠くの運動場では笛の音が響いていた。
蓮司の笑い声が、風にまぎれて聞こえた気がした。