テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#完結済み/分割投稿中
1,152
懐のシガレットケースを探りあて取り出したハリソンが言った。
「キヨシ、どうして君は、あの時、奥方に嘘をついたんだい?」
「嘘?」
「そうさ、橋のたもとでひろわれた孤児だなんて。君は、芸者の子供だろ?置屋で育てられ、結局、遊郭へ売られた。違うかい?」
ハリソンは、射るように金原を見た。
金原も同じくハリソンを見る。
「……そんなこと、あいつに言ってもしょうがないだろう?そもそも、孤児みたいなもんだ。俺は、横浜の居留地で異国人に囲われていた芸者の子供だ。男が帰国して、食うに食えなくなった母親は、俺を手放した。いや、捨てられたのさ……遊廓なんぞで、下働き以下の扱いを受けていたなんて……あいつの前で言ったところで……」
消え去るような声で、金原は言う。
「……キヨシ、それは、彼女への裏切りだよ?結婚とは、神の前で誓い、契約を交わすこと。嘘偽りは、無しだ。もし、その事を彼女が知ったら君が欺いていたと傷つくんじゃないかい?」
ハリソンの言葉に、金原は黙りこむ。碧い瞳は、揺れていた。
「……すまんが、これは、俺のことだ……」
「キヨシ、君一人のことじゃないよ。奥方と、君達二人のことだよ?」
ハリソンの忠告から逃れるよう、金原は顔を背ける。が、何か思いついたのか、ゆるりと口角を上げた。
「なるほど、芸者か!ハリソン!感謝する!」
「な、なに、私、何かとてつもない悪知恵を、与えてしまった?!」
金原の変貌ぶりに、ハリソンは、手にしているシガレットケースをテーブルにポトリと落とした。
銀製のそれは、事の始まりを告げるかのように音をたてる。
「……赤坂の芸者、亀松に、子爵はぞっこんだったろう?」
「ああ、そうだったなぁ……って、亀松を、もしや、使うのか?!」
仰天するハリソンへ、金原は、意味深に冷ややかな笑みを向ける。
その頃、珠子と別れた勝代は、偶然出合った山之内と、浅草にある展望塔「浅草十二階」の周囲に広がる銘酒屋──、連れ込み宿の一室にいた。
「しかし、いいのか。娘を先に帰して、こんな所で……」
情事の後、帯を閉め直している勝代の姿を眺めながら山之内は言う。
「構うもんですか。誰に見つかる訳でも無し。ここいらに、集まって来る者達は、同じことをしている。たとえ、誰に見つかっても、何も言やしませんよ」
部屋の隅に置かれてある鏡台を覗き見ながら、勝代は帯の具合を確かめている。
「……しかし、おそれいったねぇ。子爵とは」
山之内は、目を細め、ふっと、小馬鹿にしたように笑んだ。
「ええ、縁続きになれば、珠子経由で子爵家の財産を流させるわ。勿論、柳原のものもね」
「それは、魅力的な話だな」
勝代の背後にまわった山之内は、そのまま腕を回すと、勝代を抱き締めた。
「で、すまんが融通できるか?」
「わかってるわ、今日は、手持ちがいつもより多いから……」
勝代は、懐から紙入れを取り出さと、紙幣の束を山之内へ手渡した。
「恩に着る」
上着の内ポケットに、手渡された金を仕舞い込むと、山之内は、勝代の熱っぽい視線を振り切るようにさっと部屋を出た。
その後ろ姿を恨めしそうに、勝代は見る。そして、鏡台の前に座り込むと紅を引き、化粧を直す。
身繕いをして、山之内と時間差をつけ宿から出た勝代は、辺りの目を気にすることもなく、悠々と歩き始める。一人なのだ。近道をしている、そう、言い訳すれば良いと、踏んで。
「ほお、龍、見たか?」
「へい、八代の兄貴、ありゃ、柳原の継母じゃねぇですか」
「昼間から、若い男と逢い引きねぇ。芸者から、豪商の妻になっても、やるこたぁー、やるってことか」
勝代に見つからない様に、八代と龍が塀に隠れていた。
「しっかし、兄貴、大収穫ですねぇ」
「ああ、お前の言ったように、近道してよかった」
二人は、顔を見合せ、ニヤリと笑う。
櫻子を襲った輩を束ねている、山根組へ向かう途中だった。
「まっ、取りあえずは、親分の所が先だな」
「へい」
足取り軽く、八代と龍は歩んで行く。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!