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第十三章 繋がる願い
第十四話 黒い救済
まだ夕刻の鐘が鳴る前だというのに、その場所には薄暗く湿った空気が漂っていた。
ラディス東側、貧民街。
石畳には泥水が溜まり、建物の壁は黒ずんでいる。
細い路地へは陽の光がほとんど届かない。
「……まさか、またここ来ることになるとはなぁ」
シュンタは小さく息を吐いた。
つい先日、ジントを探して訪れた場所。
そして今。
再びここへ足を踏み入れている。
理由は一つ。
少しでもジントを守るための情報が欲しかったからだ。
黒いローブを羽織り、フードを深く被る。
その奥で紅い瞳だけが鋭く光った。
「……まぁ、しゃあないか」
小さく呟き、シュンタは細い路地へ入っていく。
鼻につく酒と煙草の臭い。
どこか遠くで響く怒鳴り声。
建物の隙間から向けられる、探るような視線。
だがシュンタは気にする様子もなく、懐から取り出した小さな紙へ時折目を落としながら進んでいく。
ーーボッツもようこんなとこ知っとるなぁ。
迷路のような細道。
何度も角を曲がり、やがて一軒の古びた建物の前で足を止めた。
ヒビ割れた壁。
小さな木の扉。
汚れた窓ガラス。
外から中の様子は全く分からない。
シュンタは周囲を確認すると、コンコン、と扉を叩いた。
しばらくして。
ギィ……と音を立て、扉が開く。
現れたのは、大柄な男だった。
鋭い目つき。
無数の傷跡。
ただ立っているだけで普通の人間ではないと分かる。
男はシュンタを一瞥した。
「……どっちだ?」
シュンタは一呼吸置く。
「……黒い月を、見たいんやけど」
その瞬間男の目が僅かに細くなる。
数秒の沈黙。
そして。
「……入れ」
短い言葉と共に、扉が開かれた。
バタン。
重い音を立て扉が閉まる。
男の後をついていくと、部屋の奥にある大きな棚の前で足が止まった。
男は無言で棚へ手を掛ける。
ギギギ……。
鈍い音。
棚が横へずれる。
その奥には、地下へ続く階段があった。
冷たく湿った空気が、下から流れてくる。
シュンタは一瞬眉を顰める。
だが何も言わず、階段を降りていった。
足音だけが静かに響く。
地下へ進むほど、空気は重く淀んでいく。
やがて小さな木の扉が見えた。
シュンタは軽くノックする。
「……入れ」
低い声。
扉を開ける。
部屋の中には、薄暗い灯りが一つだけ揺れていた。
煙草の煙。
酒の匂い。
壁際には木箱。
机の上には書類やコインが乱雑に置かれ、刃物まで無造作に転がっている。
ここが表の世界ではないことは、嫌でも分かった。
そして部屋の奥。
古びた椅子へ座る男がいた。
五十代ほど。
暗くて顔はよく見えない。
だが、その存在感だけで空気が変わる。
男はシュンタを値踏みするように見つめた。
「……何を聞きに来た?」
シュンタは静かに答える。
「……月蝕の子について」
その瞬間、男は鼻で笑った。
「はっ」
「教会もお前さんも……随分と必死だな」
煙草へ火を付け、ゆっくり煙を吐き出す。
「残念だが、俺達も大した情報は持ってねぇ」
「帝国での魔物退治」
「ミストア村での騒動」
「最近ラディスで起きた件」
「その辺は兄ちゃんも知ってるだろ」
シュンタは黙って聞いている。
男は続ける。
「今も皇子達と一緒にいるらしいな」
「だから裏の連中も簡単には手を出せねぇ」
そして、少し声を落とした。
「……だが」
「教会が裏で懸賞金を掛けてる」
シュンタの目が細くなる。
「懸賞金……?」
男は灰皿へ煙草を押し付けた。
「帝都本部が相当焦ってるらしい」
「表じゃ救済だ神だと言ってる連中が」
「裏では金を撒いて一人の人間を探してる」
「妙な話だろ?」
シュンタは拳を握る。
男はさらに続けた。
「しかも最近は、内部でも揉めてるって噂だ」
「月蝕の子をどう扱うか」
「捕まえた後、何をするつもりなのか」
「そこまでは俺らにも分からねぇ」
部屋に沈黙が落ちる。
「だが……こんな噂もある」
男は一呼吸置く。
「月蝕の子を利用して、帝国をひっくり返そうとかなんとか……」
シュンタは思わず目を見開く。
「これを期に皇子を始末して、皇室を大きく揺るがすつもりらしい」
「まぁこれは、教会以外の勢力が関わる話かもしれねぇがな……」
しばらくして、男が低く笑った。
「まぁ……」
「なんにせよこのままなら、月蝕の子が見つかるのも時間の問題かもしれねぇな」
その言葉が、重く響いた。
シュンタはゆっくり息を吐く。
そして机へコインを置いた。
「……ありがとさん」
踵を返す。
これ以上、ここにいる必要はなかった。
再び階段を上がる。
地上へ近づくほど、重たい空気は薄れていく。
建物を出ると外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
市場には灯りがともり始めている。
野菜やパンを抱えた人々。
店を閉める商人達。
笑い声。
呼び込みの声。
焼きたてのパンの匂い。
さっきまでいた地下とは、まるで別の世界だった。
シュンタは大きく息を吐く。
その時。
ーーゴーン……
ーーゴーン……
遠くから夕刻を知らせる教会の鐘が響いた。
街に暮らす人々にとっては、いつもの音。
けれど今のシュンタには、妙に耳へ残った。
「……」
空を見上げる。
夕焼けの向こう。
教会の尖塔だけが、黒く浮かび上がっていた。
シュンタは静かに呟く。
「……ほんまに、あれが救いを語る場所なんかね」
紅い瞳が細められる。
そして、仲間達の待つ場所へ向かって歩き出した。
◇
一方ソレイユ帝国。
その中心にそびえ立つ太陽教会。
白く輝く外壁。
天へ届くように伸びた高い塔。
帝国中の人々が信仰を寄せる、太陽神の象徴。
しかしその荘厳な建物の地下深く。
陽の光が届かない薄暗い部屋に、数人の神官が集まっていた。
部屋の奥、大きな椅子へ腰掛ける男。
太陽教会教皇、ヴァルド。
灰色の瞳は、静かに目の前の三人を見下ろしていた。
その前で、三人の男が跪いている。
「……帝都での件に続き」
低く落ち着いた声が響く。
「今回も、月蝕の子を確保できなかったか……」
「……申し訳ございません」
一人の神官が震える声で答える。
「常に皇子達が月蝕の子と行動を共にしており……」
「現在は貧民街を中心に懸賞金を掛け、監視も続けております」
ヴァルドは何も言わず、机の上へ置かれた暦へ視線を落とした。
そこに記された月。
満月まで、残り二週間。
「……時間がない」
静かな声。
「だが」
ヴァルドはゆっくり顔を上げる。
「我々の読みが正しければ」
「月蝕の子は、必ず“あの場所”へ現れる」
部屋に沈黙が落ちる。
「何としてでも確保しなければならない」
灰色の瞳に揺るがぬ決意が宿る。
「世界が再び闇に呑まれる前に」
「我々が食い止めるのだ」
「それこそが……」
「太陽神より与えられた使命なのだから」
三人の神官は深く頭を下げる。
「太陽神のご加護があらんことを……」
薄暗い地下室に、祈りの言葉だけが静かに響いた。
◇
その一方。
太陽教会の礼拝堂。
高く伸びた天井。
色鮮やかな光が差し込む大きな窓。
その静かな空間で、数人の影が祈りを捧げていた。
高位神官クラウス。
そして、まだ若い一人の神官。
隣には、修道女セナの姿もあった。
長い沈黙の後。
クラウスがゆっくり顔を上げる。
「……また、月蝕の子を追うのか」
誰へ向けた言葉でもない。
ただ、静かな疑問だった。
セナは目を伏せる。
「……教皇様は」
「彼を……どうなさるおつもりなのでしょう……」
その声には、僅かな不安が滲んでいた。
若い神官も眉を寄せる。
「月蝕の子を正しく導けるのは……」
「本当に、我々教会なのでしょうか」
礼拝堂に小さな声が響く。
クラウスは静かに目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、あの日の光景。
礼拝堂で魔物となった者。
そしてその前に立った黒髪の青年。
恐れられる存在でありながら。
必死に、ただ必死に。
闇を取り込み、苦しむものを救おうとしていた姿。
「……」
クラウスはゆっくり目を開ける。
「我々が恐れるべきものは」
「本当に、闇だけなのだろうか……」
小さな呟き。
その言葉に答えるものは誰もいなかった。
コメント
1件
うわ…教会の裏の顔、結構黒いね。懸賞金かけてまでジントを追ってるって、表向きの「救済」って言葉の重さが全然違って見えてくる。シュンタが地下から出て、普通の街の風景を見た時のあの対比がすごく刺さったよ。クラウスが最後に言った「本当に闇だけなのだろうか」って言葉、すごく考えさせられる…。comiさんの世界観、毎回引き込まれる😢