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船のスタッフには、老婆は見えないが、壱花は見える。
壱花は見咎められないよう、周囲に気を配りながら、すでに終了している大浴場に入っていった。
誰もいない脱衣場を通り過ぎ、ガラガラと浴場のガラス戸を開ける。
すると、老婆はまだお湯のある広い浴槽の縁にしゃがんで、お玉でお湯をかき出していた。
しばらくその様子を見ていた壱花だが。
「あの~」
と声をかけてみた。
「なにしてらっしゃるんですか?」
だが、老婆は返事をすることもなく、お湯をかき出している。
そういえば、この人(?)、何処でも水を見ていたな、と気づく。
水をお玉でかき出したいあやかしなのかもしれない。
だが、他の水はかき出せなかったり、かき出しがいがなかったりしたので、ここにまた戻ってきてしまったのだろう。
……でも、なんで水をかき出したいんだろうな?
と思いながら、壱花は老婆の側にしゃがみ、彼女がせっせとお玉を動かすのを眺めていた。
倫太郎と冨樫は男二人でレストランの窓際のカウンターに座っていた。
冨樫がコーヒーを飲みながら倫太郎に言う。
「……好みが似てるんですかね?」
「なんの?」
がっつり大盛り海老天丼を食べていた倫太郎は顔を上げた。
冨樫はもうかなり減っているどんぶりを見ながら言う。
「風花もそれ頼んでましたよ」
「……あいつ、これ全部食ったのか?
俺でも持て余すくらい多いんだが」
「なんだかんだで、女性はよく食べますからね。
別腹とかいう医学的には認められない腹があるようですし。
ああでも、おいしいものを見ると、胃と脳が動いて、胃の上部にスペースを作るって言うんでしたっけ?
……どっちみち、別腹ではないですよね」
そんな冨樫の呟きを聞いた倫太郎の頭の中では、壱花の服にカンガルーのお腹のポケットのようなものがひっついていた。
壱花が鼻歌を歌いながら、天丼をどんぶりごと入れている。
「……別腹って、普通、甘いものしか入らないんじゃないのか?」
「まあ、風花ですからね」
と冨樫は、なにが起こっても、
『風花ですからね』で終わらせてしまいそうな雰囲気で言う。
急いで食事を終え、倫太郎たちが大浴場に向かうと、風呂場の中から、まだばしゃーっ、ばしゃーっと音が聞こえていた。
そのまま待っていたが、ずっと音が続いていて、壱花は出てこない。
「もう結構いい時間だぞ。
早く部屋に帰って寝ないと。
あやかし駄菓子屋に飛んでしまう」
戻ってきたとき、上手く船に戻れても、女湯の前で寝てるとか、問題あるだろっ、と思った倫太郎は周囲を窺う。
「冨樫、そこで見張ってろ。
俺が入って見てくる」
「ついて行きますよ。
ここに一人で立ってるのも変ですし。
捕まるときは一緒です」
冨樫っ、と愛ある部下の言葉に思わず、手を握ったが。
まあ、捕まらないほうが良い。
スタッフが来たら、壱花が浴場に忘れ物をして、どうしても見つからないので、みんなで探していたとでも言おう。
他の女性が入ってるわけでもないし、そう怒られないだろうと踏みながら、倫太郎は女湯ののれんを潜った。
「……風花以外いないとわかっていても緊張しますね」
と後ろで冨樫が言う。
そうだな、と言いながら、ガラガラ浴場のガラス戸を開けた倫太郎は見た。
浴槽の側で老婆がしゃがみ、お玉でお湯をかき出している壱花を眺めているのを。
「壱花~っ」
えっ? とお玉を手にしたまま、壱花が顔を上げる。