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ルナにとって、人間は「食事」でしかなかった。 マッチングアプリの海を回遊し、孤独で、誰かに認められたくて、それでいて明日を諦めているような、そんな「質のいい精気」を持つ男を探す。それが彼女の日常だった。
あの日、ユウトを釣ったのも、ただの気まぐれに過ぎなかった。
「……ねえ、今夜も会える?」
そうメッセージを送れば、ユウトはいつだって二つ返事でやってきた。 夢の中のネオンの下で、彼はいつも少し疲れた顔をして、けれどルナを見ると、世界で一番大切な宝物を見つけたような顔をして笑うのだ。
最初の数ヶ月、ルナは楽しかった。 彼と指を絡めるたびに、彼の指先から温かな「命」が自分の中に流れ込んでくる。吸えば吸うほど、ルナの髪は艶を増し、肌は透き通り、魔力は満たされていく。 一方で、ユウトは目に見えて衰えていった。 頬はこけ、目の下にはクマが張り付き、夢の中でも足元がおぼつかなくなる。
「ユウト、最近フラフラだね。……もっと、私に食べさせてくれる?」
ルナはわざと甘い声で囁いた。 彼が死ねば、また次の「食事」を探せばいい。それがサキュバスのルールだ。 だが、ユウトは朦朧とした意識の中で、彼女の頬を優しく撫でて、こう言ったんだ。
「……いいよ。ルナが、それで元気に笑っててくれるなら。……僕の命なんて、君に会える時間に比べたら、安いもんだから」
その瞬間。 ルナの胸の奥で、吸い取ったはずの「命」が、鋭いトゲのように突き刺さった。
(……なんで。なんで、そんなこと言うのよ)
サキュバスにとって、「愛」は猛毒だ。 獲物を慈しんでしまえば、牙が立たなくなる。 ユウトを愛おしいと思ってしまったその日から、ルナは彼の精気を「美味しい」と思えなくなった。 彼を吸い取るたびに、自分の魂が汚れていくような、彼を切り刻んで食べているような、耐え難い嫌悪感に襲われるようになった。
「……もう、今日はいい。帰って」
ルナは彼を突き放すようになった。 だが、そうすればするほど、ルナの魔力は枯渇していく。 サキュバスは食べなければ死ぬ。 一方で、彼女が食べなければ、ユウトの命は助かる。
二人の関係は、残酷な天秤だった。 ルナが生きれば、ユウトが死ぬ。 ユウトを救えば、ルナが消える。
決定的だったのは、最後の一夜の前日だ。 夢の中で、ユウトが倒れた。 彼が吐き出した空気は冷たく、魂の器がひび割れる音がした。このままあと一度でも吸えば、彼は二度と現実の朝を迎えることはないだろう。
『ごめんね、ルナ。……僕、もう……君を満足させてあげられないかも』
意識を失いかけながら、ユウトは申し訳なさそうに笑った。 自分の命が尽きかけていることよりも、彼女の「食欲」を満たせないことを謝ったのだ。
(バカ。……バカね、本当に)
ルナは決めた。 この男を殺してまで生きる永遠に、何の価値があるというのか。 彼の中で、彼の記憶の中で、「可愛いサキュバスの恋人」として死ねるなら、それ以上の贅沢はない。
ルナは残った魔力のすべてを振り絞り、禁忌の術式を編み上げた。 サキュバスが、自分の全存在を逆流させて、吸い取った精気を相手に「返却」する術。 それは、彼女という個体がこの世から消滅することを意味していた。
――午前二時。 最後の手がかりとして、彼にメッセージを送る。
『今夜も、会いに来てくれる?』
これが最後。 彼に最高の夢を見せて、その代わりに、彼に「明日」を返す。 冷たくなっていく自分の身体を、彼が朝、見つけることになるとしても。
「……ユウト。私ね、あなたの精気なんて、本当はどうでもよかったのよ」
夢の中の遊園地で、彼女は自分の命が砂のように崩れていくのを感じながら、彼の胸に顔を埋めた。 心臓が、最後のリズムを刻んでいる。
「……ただの人間同士として、出会いたかったな」
それが、彼女が「冷たくなる」数時間前にこぼした、本音のすべてだった。