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第2話:泡文字(あわもじ)
風が静まり、空の粒子が眠る時間。
それは、泡文字が最も美しく舞う時間帯だった。
伝達所《オロス泡局》の窓辺で、少女ルナ・レイエルは小さく手を伸ばす。
伸ばした指先に触れた泡は、はじけなかった。
——残された、ひとつだけの泡文字。
「キ…ミ…ヲ…」
泡は文の途中で止まり、なぜか弾けないままだった。
ルナは、天球北域の浮遊都市《ラスルヴェラ》に住む泡配信官。
淡い水灰色の髪は肩で跳ね、浮力補助の装飾布がついた制服には《フロートル社》の紋章が縫い込まれている。
フロートル社は、記憶の気配を“感じて”検索する装置を作っている企業だ。
だが泡文字は技術ではなく、風と心の偶発的共鳴によって発生する“自然伝達”とされていた。
天球では、言葉を“泡”で送る文化が主流だ。
それは一度読まれると弾けて消え、二度と再読できない。
だからこそ、伝えられなかった言葉は「永遠」になると信じられている。
泡文字が途中で止まることなど、あり得ないはずだった。
「誰が送ったの? そして、なぜ弾けないの……?」
ルナは泡の出力記録を遡ろうとしたが、送信元は**《ソラー社の空気楽装置》からの偶発反響音とされていた。
言い換えれば——“誰も意図せず生まれた泡”**。
その泡は次第に沈み始める。
浮かぶべき泡が沈む。それは天球では不吉の兆しとされていた。
「これは“海の泡”だ」
老いた泡神官が呟いた。
神官の衣には、地球由来の「T」や「@」のような記号が刺繍されている。
それらはもとは地球の文字だったが、天球では**“泡神の紋章”として祀られている**。
泡神官は語る。
「沈む泡は、“海から届いた声”。
忘れられた者たちの言葉が、風を逆らってやってくるのだ。」
ルナは迷った。
記録局に報告すべきか、泡を手放すべきか。
しかし彼女は泡を胸に抱え、《星沈めの丘》へと向かう。
《星沈めの丘》は、願いを“未完の星”として空に浮かべる儀式の場。
人々は名前をつけず、**「名もなき想い」**を一粒の光に託して風へと還す。
ルナは泡を空へ放とうとした——が、泡は浮かなかった。
かわりに、彼女の肩がふわりと軽くなる。
彼女自身が、ほんの少しだけ浮いたのだ。
「あなたが浮かんでくるなら、
わたしが、沈んで会いにいく。」
その言葉とともに、泡がはじけた。
星々が彼女を見守るなか、泡の破裂音が風の中に溶けていった。
泡は名も残さず、言葉も記録されない。
だが、浮力だけが感情の証として残った。
次回予告(第3話:浮く理由)
「“なぜ私たちは浮くのか?”
その問いは、世界の土台を揺らす禁忌だった——。」