放課後の相談室。窓から入る夕焼けが床をオレンジ色に染めている。机に肘をつき、蓮司は静かに椅子を揺らした。ドアがきしむ音がして、一人の男子生徒が入ってくる。名前は拓海。顔に疲れがにじみ、カバンを持つ手が少し震えていた。
「話したいことがあるのか?」
蓮司が声をかけると、拓海は小さく頷いた。
「うん……でも、うまく言えない。ただ、なんか、ずっと胸の奥がざわざわしてる」
沈黙。窓の外では部活帰りの生徒たちの笑い声が遠くに聞こえる。
蓮司は急かさず、ただ足を組み替えながら拓海を見ていた。
「理由は分からないんだ。ただ……授業中とか、友達と話してても、なんでか急に息が詰まる。何も嫌なことが起きたわけじゃないのに」
拓海の言葉は途切れ途切れで、空気を探るようだった。
蓮司は少し口角を上げる。
「言葉にできない不安って、案外みんな持ってる。俺もな。試合前とか、何でもない日に突然押し寄せたりする」
「……どうして?」
「理由は後から見つかることもあるけど、今は“ある”ってだけで十分じゃないか。無理に名前を付けようとすると、かえって苦しくなる」
拓海は眉を寄せたまま、少しだけ息を吐いた。
「でも、このままじゃいけない気がして」
「そう思えるなら動いてる証拠だ。いけない気がする、って感覚は“今のまま立ち止まりたくない”ってサインだから」
蓮司の声は低く柔らかい。
「歩幅はバラバラでいい。俺だって周りと同じスピードで生きてない。自分の足音が小さくても、それでいい」
拓海は黙ったまま、窓の外に目を向けた。夕焼けが少しずつ群青に変わる。
「……なんか、少し息ができる気がする」
それは安堵でも解決でもない、ただ小さな実感だった。
蓮司は立ち上がり、ドアに手をかける。
「もやもやは消えなくても、こうして話した時間がある。それだけで今日は少し違う。帰る途中、空を見てみろ。意外といい色してる」
拓海は目を瞬かせ、わずかに笑った。
その笑みを確認すると、蓮司は何も言わずにドアを開け、廊下の静けさへと消えていった。