俺にはこの少女の気持ちは分からない。何故死ねる? これは諦観か懇願か。目の前で力なく平伏する裸の少女をもちろん俺は食べることなどない。しかしこうなっては街に帰す事も出来ないのだろう。
とりあえず少女を起こして服を着るように促す。イヤイヤをする少女に後で食べるからとりあえず着ろと説得してやっと話が出来る状態になった。
「まず、お前はなんなんだ?」
生贄。それは分かっている。だが少女からそれをきちんと聞かない事には何も判断できない。
「マイは生贄です。山神様に食べられるだけのエサです」
「自分で自分のことをエサなどと言うものではないぞ」
少女は顔をあげない。服を着たところで立つこともなく汚れることなど気にもせず、うなだれている。
「マイは……お父さんとお母さんに愛されていました。ずっと手紙をくれてましたから。でもそれは嘘でした。マイが居なくなって、お父さんたちにはお金がたくさん。マイは売られたのです。手紙は違う人が書いていたそうです。マイは生贄になるためにあそこに閉じ込められていたのです。お父さんもお母さんも新しい子どもと幸せに暮らしているそうです」
俺は黙って聞く。
「マイはいらない子になってしまっていたのです。売られて、新しい子どもと暮らしていて、手紙を書いていたのは違う人で──馬車の中で教えてくれました。マイを買った人が教えてくれたのです。マイを生贄にするから、沢山のお金を払ったって。両親は喜んでくれたって。マイはその時だけ役に立ったんだって。だから、今度は生贄になって街の役に立てって。そうしないと街のたくさんの人が死ぬかも知れないから」
こちらを見たマイの顔には悲しみの色と絶望が混在している。こんな子どもがする表情なのだろうか。
「マイが戻ってきたら殺すって、マイも両親も、新しい子どもも……みんな殺すって。だからマイにはもう戻るなんて出来ないのです。ここで、食べてください。マイをひとり、殺して食べてください……」
気づけば俺はマイを慰めるように抱き寄せていた。
この子も俺と同じ──大人を信じて、信じて、信じられなくなったのだ。俺のその記憶はバレッタを作る材料として切り取ったが、全て忘れているわけではない。
マイはそのまま寝付くまでうわ言のように、食べてと繰り返していた。残念ながらその願いを聞くことは出来ない。俺にはカニバリズムの気はないからな。
山の中腹で木を背にしてマイを抱きかかえたまま座って寝ていた。朝日が昇って夜が明けた事を知る。
マイは俺の腕の中で寝ている。どれだけ泣いたのか涙の跡が胸を切なくさせる。
「ダリル様──王国には遅延の魔術がかかったままではありますが、それでももうこの子以外にはないかと」
ずっと離れたところから俺たちを見ていたナツがそう進言してくる。この男が言うのなら、この先代わりが現れる未来は少なくとも封印に間に合ううちにはないのだろう。
「だが、この子は裏切られたのだ。俺も同じように騙して使い捨てるなどという事はできない」
「それですと、封印は──」
「その時はその時で、別の方策を考えるしかないだろう」
そんなものはきっと無いのだろうが。願いに喚ばれた俺はそれでも願いに縛られている訳では無い。叶えられなかったとしたらそれは仕方のない事なのだろう。その場合、王国は混沌のまま、俺は失望されて消えてしまうのかもしれんな。
「山神様……」
「起きたか。少しは落ち着いたか?」
「はい……。山神様はマイを食べてくれないのですか?」
「何度も言うが、俺は山神ではない。それにヒトを食べもしない」
「……では、マイはここで死ねばいいですか?」
もはや帰る所もない、帰ると皆殺しの憂き目にあうのが分かっていて、それに対して憤慨したりするでもなく、死ぬしかないとこの子は決めているのだ。ならば。
「お前はどうあっても死にたいのか? 他に道がないとも限らないのに」
「マイには道なんてないのです。死ぬしかないのです」
「そんな事はない。生まれてきて、生きているなら何だって出来る。やりたい事をして、帰る家を作ることも」
「マイは……もうしょんなことはぁ、うぅ……」
子どもは親から、大人から環境から大きく影響を受ける。マイのこれまでの人生は、売られたその日より希望も夢も持つことが許されなかったのだろう。
いつか迎えに来てくれると信じて、それがきっと叶わないことも分かっていて、突きつけられた。
もう、この子には何もないのだと。
「ダリル様は現人神でいらっしゃるのですから、救って差し上げれば良いのではないですか?」
ここまで傍観を決め込んでいたナツが口を挟んできた。この子がどうしようもなくそれでも死ぬ事しかないと言うのであれば提示したかも知れない選択肢を、先に言わせてしまった。
迂闊だった──こいつのスタンスからそれは無いと思い込んでいた。
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