相談室のドアが、ためらうみたいに一度止まってから開いた。
入ってきたのは、フードを深くかぶった男子だった。目は合うけど、すぐにそらす。視線の逃げ方が、ずっと責められてきた人のそれだと、ここにいる三人はすぐ分かった。
遥が「座って。別に緊張しなくていいよ」と手を軽く振る。
日下部は資料を閉じ、椅子を引く。蓮司は、腕を組んだまま目線だけ向けた。
男子は椅子に腰を下ろすと、深く息を吸った。
「……なんかさ。昨日、親に言われて。『お前は何も分かってない』って」
蓮司が片眉を少し上げる。
「何の話で?」
「進路。俺、まだ決めきれてなくて。でも、ちゃんと考えてるし、焦ってるし……。なのに、話そうとしたら、途中で遮られてさ。『分かってないくせに』って決めつけられた」
日下部が目を細める。
「言い返した?」
「……無理。言ったらまた怒られるの分かるし。あの空気になるの、マジでしんどいから」
男子は手を膝の上でぎゅっと握った。
「なんかさ……“分かってない”って言われると、もう全部ダメな気がしてくる。俺の考えてることも、感じてることも、最初から間違いみたいに扱われて……。話す気、なくなる」
遥がゆっくり背もたれに寄りかかった。
「そう言われたときってさ、“分かってない”のはお前じゃなくて……“分かろうとしてない”のが向こうのほうだったりするよ」
男子は顔を上げた。
「……でも、親だし」
「親でも、分かんないもんは分かんないよ? 子どもの気持ちを全部理解できる親なんていない。分からないときに“教えて”ってこっちが言えないように、向こうも“分かろうとしよう”って言えないタイプの人、普通にいる」
日下部は静かに頷く。
「大人って、自分が正しいって思いたいときほど、“分かってない”って言葉を使う。あれは、相手を否定するための言葉であって、中身のある指摘じゃないよ」
蓮司が続ける。
「それに、進路なんて、今決まらなくても別に終わらねぇし。焦らされて決めたもんって、だいたい後から苦しくなるだけだろ」
男子は少しだけ苦笑した。
「……言われても、やっぱり言葉残るんだよ。“お前は何も分かってない”って。なんか……全部見透かされたみたいで」
遥が前のめりになった。
「じゃあ逆に聞くけどさ。お前より、お前の人生について分かってる人なんてどこにいんの?」
男子は目を瞬かせた。
「進路で迷ってるってことも、自分に自信ないことも、本当は何が怖いかも……一番知ってるの、お前だろ。親に“お前は分かってない”って言われたら言われたで……“いや、俺のことは俺が一番分かってるし”で良くない?」
日下部が続ける。
「大人の言葉は絶対じゃないよ。声が大きいだけで、正しさとは関係ない」
蓮司は肩をすくめる。
「てか、迷ってるって言えてる時点でお前はだいぶ冷静。何も考えてねぇやつは、“迷ってる自分”のことにも気づけねぇよ」
男子の目に、ようやく少し光が戻った。
「……ここに来てよかったかも」
遥が笑う。
「よかったなら、そのまま帰れ。で、迷ってんなら迷ったまま生きてけよ。焦ってないふりより、ずっとマシだから」
男子は立ち上がり、深く頭を下げた。
「……ありがと」
ドアが閉まる音がして、相談室に静けさが戻る。
蓮司がつぶやく。
「“分かってない”って、便利な暴力だよな」
日下部は短く息を吐いた。
遥が言う。
「……でも、あいつはちゃんと分かろうとしてた。そこが救いだよ」
そして三人は、次の相談者を待つように椅子の位置を整えた。







