キスミさんは僕に鎖を外させて人魚を自由にした。
──そう、自由にしてしまったんだ。
これまで拘束されてこの狭い部屋に閉じ込められて、貴族たちがその身体からウロコを剥いでいく日々に鬱屈としていた人魚を僕は解き放ってしまったんだ。
「なあなあ、あんた何者なん? こんなん出来るひとなんてそうそうおらへんよ? なあ、あんたうちの旦那にならへん? うちってこう見えて海底にある国のお姫様やねんで? え、知っとる? やっぱこの高貴な美貌は隠されへんかぁ。ええんやで? うちんとこおいでぇなぁ?」
人魚は解き放たれたと同時にキスミさんに飛びかかって、今は尻もちをついたキスミさんの胸に抱きついて口説いている。
キスミさんは優しく人魚をお姫様抱っこして、何処からか取り出した台の上にそっと優しく置いた。
人魚はうっとりとした瞳でキスミさんを見つめたままだ。
そしてどこからか取り出した、ひよこのアップリケのついたピンクのエプロンをつけて包丁を持ったキスミさんは
「人魚の活け造りは昔からの滋養強壮の霊薬らしいぞ。お前たちも食うか?」
「やめて! うちなんかいっこも美味しあらへんから! そんなん今どき流行らへんから! 調子乗ってごめんなさいっ!」
この2人は息が合い過ぎている気がする。
結局そのあとは、人魚はやはり貴族がウロコを装飾品などに使うのと、最終的には他の奴隷よろしく慰み者やそれこそ活け造りなどにされるためにあそこに拘束されていたと言う話を語りながら、その人魚は勝手にキスミさんの背中にしがみつき、僕たちはそのまま外の世界へ帰ってきた。
「ほんま、あのままやったらうちは生きてへんかった。ううん。それだけやあらへん、もっともっと酷い目に遭うてた思う。あんなして剥いだウロコに魔力もなにもあらへんからアイツらそのうちホンマに殺しに来たやろしな」
人魚が感謝しているのは言葉の端端でも、直接的でも伝わってきた。そして僕の横で後ろから人魚を見るバレッタの殺気もしっかりと伝わってきた。
「ここがうちの住んでる海や。わざわざこんなところまで送ってもろうてありがとうな」
「どうせ歩いて帰るなど出来ないだろう。助けたついでだ。次は捕まるなよ」
キスミさんはやっぱり優しい。この人が悪鬼羅刹の如く振る舞うのは貴族に対してだけだ。
バレッタが後ろで何かしてるけど、ここは気にしないでおこう。
「ホンマにありがとうな。お礼言うたらあれやけど……これ受け取ってぇな」
そう言って人魚はキスミさんに小さなウロコを手渡す。
「それはな、うちが小さい頃に取っといた大事なもんやねんけどな。隠しとったから取られへんかってん。うちの魔力をずっと受け続けたやつやから、それがあればうちはいつでもあんたの力になるために見つけ出せる。海に生きるうちら人魚の力が必要になったら、呼んでな?」
それは逆にこちらからこのおかしな人魚の位置も補足できると言う。滅多と出会うことのない人魚にいつでも会えるというのは貴重なアイテムだ。
「おい、それは分かったが、このウロコは何処から出してきた?」
おや? なんだか怪しい流れになってきた。
「そ、そらうちのこの格好みたら、さ。ほら、ね?」
「ふぅ……」
キスミさんはひとつ息を吐いただけで、
「ありがたく貰っておく」
「うん、貰っといてな。せや……あんたはうちの恩人やさかい、ちゃんと名前聞かせて」
キスミさんは少し考えてから告げた。
「俺の名はダリル。それが俺がこの世界で両親から貰った大事な名前だ」
それは僕もバレッタも知らない名前。
「ダリルね。どっちかが真名なんやろうけど、ダリル。いい名前やと思うよ。なあ、ダリルぅ。ダリルぅー」
「キスミ様。準備が──」
「ああ。人魚よ、俺にもお前の名前を教えてくれ」
キスミさんは人魚の顎をくいっと指先で持ち上げるようにして問いかける。
「うちはな、クローディアって言うんよ」
人魚はメロメロだ。
「クローディアか。いい名前だ」
優しく抱きかかえたクローディアを傾いた板の上にうつ伏せに載せてその背中を愛おしそうに撫でる。人魚はもう昇天しそうだ。
「クローディア、また会おう。アディオスっ!」
バツンっ! と何かが弾ける音と共に、固定されたレールの上を残像を残し超高速で斜めに飛び出した板は、クローディアを瞬時に沖の方へと飛ばしてみせた。
「バレッタ。カタパルトとは気が利くな」
「人魚大砲でも良かったのですが、こちらの動作確認も捨て難かったものですから」
時間を置いて遠くで何か聞こえた気がした。
「そういえばキスミさん。本名はダリルさんなの? 初めて聞いたんだけど」
「俺のやろうとしていることはキスミとして喚ばれたその目的だ。その苛烈な行いにダリルの名前は出すわけにはいかないが……遠い海に広まる人助けの名前にくらいは両親から貰った大事な名前を使ってもいいだろう」
「悪名でご両親を傷つけることを恐れはするものの、善行で名を馳せるのなら良いとの判断ですね。さすがキスミ様、美しいです」
僕たちは沖に架かる虹を眺めた後、帰路についた。
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