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「いらっしゃいませ、皆川様。お席にご案内いたします」
背の低い男性が窓際の席に案内してくれた。三十五階建てのホテルの最上階。唯が話す通り、確かにすごく綺麗な景色だ。夜景が目の前に広がり、『宝石をちりばめたような景色』という言葉がしっくりくる。客同士の席の間が随分あり、大声で話さない限りは隣の席の話し声が聞こえて煩いという事のない贅沢な席の配置になっていた。椅子もソファータイプで、くつろいで飲むには丁度いい。
その分値段も相当高そうだが、あんな古いアパートに住んでいるような彼女が払えるのかと心配になった。
「こちら、本日のメニューになります」
差し出されたメニューを開き、少し体が固まる。桁が一つ多くないか?これ。サービス料だとでも言いたいんだろうか。
チラッと唯の方を見るが、彼女が動揺している様子は全く無い。
「兵藤さんのオススメで」
(ん?メニューに無いぞ?そんなもん)
唯が、パタンッと開いていたメニューを閉じて、ウェイターにそれを返す。俺の見ていた物も、彼に渡した。
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
礼儀正しく一礼して、彼が去る。
「なんだ?今のメニュー」と素直に疑問をぶつける。
「えへへ、形だけですよ。他のお客さんも居ますしね」
口元に手を当て、小声で唯がそう教えてくれた。
「ああ、そういう事か」
「社員割引使っても、私じゃここのメニューを存分にご馳走するなんて、とてもじゃないけど無理ですからね。本当は司さんにお財布の心配されちゃうだろうからメニューも見せたくなかったんですけど、『彼には渡すなー』ってお願いしておくのをすっかり忘れてました、すみません」
「そんなに無理しなくても、いつもみたいに居酒屋とか普通の店でよかったんじゃないか?」
「今日はダメなんです」
首を横にブンブンと振り、断言する。「だって、ねぇ…… 」と呟き、もじもじと照れくさそうにしだした。
(…… なんだろう?久しぶりだからだろうか)
「——話は変わるんだが、ここのホテルって『カミーリャ』とか書いてあったけど…… 」
「椿財閥のグループ企業のホテルです。会長さんはとても有名な方ですよ」
よく知った名前に即納得出来た。
「やっぱり」
「何かありましたか?」
「ああ、まぁ…… うん」
つい歯切れの悪い返事をしてしまった。
「現会長さんはアメリカ出身の方ですが、昔っから日本文化が好きらしいです。だからなのか、奥様は日本人なんですよ。素敵ですね、国際結婚」
「『カミーリャ』は日本語で『椿』。椿財閥のお嬢様だった彼女に親近感を感じたのがきっかけで、結婚までしたんだろう?知ってる」
「うわーさすが刑事さんですね」
(いやいやいや、警察は関係ない)
可愛い顔で感心されてしまったので、心の中だけで否定した。
「大きい財閥同士の結婚だったらしいから、最初は色々あったらしいですけど…… 今はもう日本を代表する企業にまでしちゃったんだから、ホントすごいですよね」
ニコニコと唯が笑う。よっぽど好きなんだろうか、そのエピソードが。
「あぁそうだな。幸せそうで良かったよな」
(その二人の息子と、俺が友達だと言ったら唯はどんな反応をするんだろうか)
ちょっと気になるも、今奴の話で盛り上がるような気分でもないので話すのは止めた。アイツの話になるとネタがあり過ぎてすぐに時間が足りなくなるのがわかっていたからだ。
「おまたせいたしました、ご注文の品になります」
ウェイターが飲み物をテーブルに置く。一緒に来ていた別の女性が、料理を並べてくれた。
「ありがとう、涼子さん」
小声で唯が話し掛けている。どうやら二人は知り合いの様だ。
「しっ…… 特別なんだからね?」
コクコクと頷いて返事する唯の姿が、小動物みたいだ。
「では、ごゆっくりどうぞ」
目の前に、あまりお目にかかった事のない料理が並んだ。フランス料理、だろうか?
「美味しそうですね、料理の名前くらい聞けばよかったかなー」
「そうだな」
「冷めたらもったいないから食べちゃいましょ?あ、でも司さんは…… この量で足ります?」
「この年齢になると若い奴程は食べられないよ、大丈夫だ」
「よかった」
二人して黙々と料理を口に運ぶ。俺は食事中は話さなくなるタイプなのでいつも通りなのだが、俺とは違い、唯は結構話す方だ。なのに、今日はやけに静かだった。
(どうしたんだろう?)
「…… あの、司さん」
カトラリーを持つ手を少し震わせ、唯がやっと口を開いた。
「なんだ?」
「…… いいです、なんでもない」
俺から視線を逸らし、気持ちここにあらずといった顔になる。それからも何度も態度がおかしくなる瞬間があったが、いったいさっきからどうしたんだろうか?